第11話 性別と制服



 家の前で由良と別れて玄関を入ると、廊下の突き当たりのキッチンから、母親がひょいと顔を出した。


「おかえり、徹」

「ただいま。今日、帰り早いね」


「こないだ急にシフト入ったでしょう。その時の代休、みたいな感じでね。早く上がらせてくれたのよ。まだ引越しの片付けもあるしねえ」


 片付けの手伝いを申し出たが、「かあさんの物と、季節のものだけだから大丈夫」と断られてしまったので、そのまま自室へ上がることにした。

 階段の下にある和室に寄り、仏壇のお鈴を鳴らして「ただいま」と口の中でつぶやき、祖母に手を合わせる。仏壇には桜餅が供えられていた。

 祖母の遺影を見ていつも思い出すのは、手描きの紙芝居だ。祖母が子供の頃にひいおばあちゃんから聞いたという昔話を元に、手書きの紙芝居を作ってくれた。祖母は幼い頃に親戚に預けられたらしく、その昔話が、唯一の母親との思い出なのだと聞いたことがある。


 「そういう時代だったんだよ」と優しく微笑みながら、祖母は何度もその紙芝居を読んでくれた。

 内容はぼんやりとしか覚えていないけれど、朧げに昔話とファンタジーが混ざったみたいな不思議な話だった気がする。


 その祖母は、透たちが東京に越してすぐに、事故で亡くなった。祖父はそのショックから体を壊し、今は介護施設で暮らしている。少しボケてきてしまっているらしい。

 祖父母とも大好きだったから、ボケたおじいちゃんと対面するのが怖くて、徹は未だに面会に行けずにいた。



 階段を上がり部屋に入ると、壁にかけた制服が嫌でも目についた。

 黒くて四角いシルエットは、この部屋の違和感でしかない。ピカピカしたボタンがバカみたいだ。試着した時、首の周りが擦れて痛かったし、全体的にゴワゴワしていて着心地も悪かった。これからほぼ毎日これを着るのかと思うと、うんざりする。普段の服の方がよっぽど良い。


 徹は制服から目を背けてベッドに腹ばいになり、由良にもらった青いオカリナの練習を始めた。

 本来ならパソコンやゲームをしたりして過ごしていただろう。でも今は引っ越したばかりで、まだネット周りの環境が整っていなかった。田舎にある、祖父母の古い家だ。元の家のようにはいかない。

 それに、由良は「おもちゃの楽器だけど……」とはにかんでいたが、徹は純粋にそのオカリナの音が気に入っていた。


 両手の中にすっぽり隠れてしまいそうなその楽器から、暖かで素朴な音が流れ出す。




 徹がここまでの制服嫌いになったのには、理由があった。


 もともとは「制服とか、めんどくさいなぁ」ぐらいの気持ちだったのだ。だが、休み時間の雑談で中学進学の話になった時にたまたまそう言ったら、友人の一人が意外なほど強く共感を示した。


 後々話を聞くと、その子は制服のスカートを履くのが嫌なのだと言う。とにかく「スカート」が嫌いなのだ、と。人が履いているのを見るのは構わない。むしろ可愛いとも思う。

 でも、自分が履くのは本当に嫌で、自分が自分でないみたいな気持ちになるのだそうだ。居心地が悪くていたたまれなくなるらしい。なるほど、彼女は常にパンツスタイルだった。


 徹にはその気持ちはわからなかったが、その子の「生徒が揃いの制服を着ることには反対しない。好き嫌いはともかく、理由としては理解できる。ならば男女共通の服でもいいじゃないか」という意見には全く同意見だった。


 「外見で学校を見分けるんだったら、鞄か帽子やなんかで充分だ」

 「夏には男子に暑苦しい長ズボン、冬には女子に寒々しいスカートを強要するのは不合理だ」

 「せめて、好きな方を選べるようにして欲しい。現にそういう形式をとっている学校もすでにある」

 

 意気投合した二人はそう話し合い、その結果、徹は私服で通える私立の中学へ進むことを選んだ。幸い学力的にも金銭的にもその余裕はあったし、両親も許してくれていたのだ。


 だが、その子の親は違った。娘の気持ちは一切無視。父親の母校でもある地元の中学に通い、もちろんスカートの制服を着ることを強制した。

 金銭的には徹の家よりも裕福だったはずだ。父親はなにやらお偉いさんだったから。

 その子はなんとか理解を得ようと親を説得したのだが、それを「親に歯向かう娘」と激高した挙句、なんと私服のズボンを全て捨ててスカートに買い換えるという暴挙に出たのだ。


 彼女は、自分の気持ちを理解しようとさえせず、これ見よがしに「親に歯向かった罰」を下されたことに酷く傷ついた。そして絶望し、手首を切った。



 幸い傷は浅く、命に別状はなかった。だが、その後のカウンセリングで徹の存在が明るみになった。これまた激高した父親の画策によって、徹の私立中学進学は道を絶たれ、地域の公立中学校にまで手を回されて、ここへ戻る羽目になったのだった。


 二人とも小学校を卒業はできたものの、彼女は卒業式当日まで登校を許されず、徹との接触も一切禁止された。それ以来家に篭ってしまい、誰にも会っていないらしい。



 自分が余計なことを言わなければ、彼女はあそこまで傷つかずに済んだかもしれない。母親も仕事を続けられたし、父も単身赴任にならずに済んだ。兄はすでに独立して働いているからいいけれど、すごく心配をかけてしまった。


 ───これ以上誰にも迷惑をかけたくないから制服はちゃんと着るけど……袖を通すたびに、苦々しい気持ちになるんだろうな。それとも、そのうちに慣れて何も感じなくなるのかな……


 あれから度々感じることになった、無力感。所詮、大人たちの都合で世界は進んでいく。僕ら子供の小さな声なんて、大人には届かないんだ。



 徹はオカリナの練習をやめて窓を開け、うっすらと染まり始めた遠い空を眺めた。

 空が広いからだろうか、空気がきれいだからなのだろうか、東京で見ていた夕焼けとは、少し違って見える気がする。夕空のグラデーションの美しさを、徹は最近になって改めて意識した。

 前に住んでいた時には、ここは兄の部屋だった。まだまだヨソイキな雰囲気が拭えない部屋で、徹は窓に頬杖をついて、夕焼けを待つことにした。本格的な夕焼け空には、まだ時間が早い。


 由良の家の鶏たちが庭でコッ、コッと小さく鳴くのが聞こえる。鶏たちの声を聞きながら空を眺めていると、遠くから17時を報せる「夕焼け小焼け」の防災無線が聞こえてきた。


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