第20話

 そこにいたのは、人目見ただけで全身の毛が逆立つほどに悍ましい、異形の怪物だった。長い手足を持った細い身体に、頭足類のような頭を持っている。

 何故かぼくには、その姿に既視感があった。一体どこで? 直近のことのはずだ。どこだ。思い出せ、カイル。最近……そうだ。最近、艦橋で見た。マクスウェルが〈サークレット〉の基地で隠し撮りしたという、あいつだ。ならば、これは生き物ではなく兵器なのか?

 怪物は、ぼくが〈グリッター〉を封じ込めた瓦礫の表面を這い、何か目星をつけると頭部の触手を瓦礫に突き立てた。

「何してるんだ? お前……」

 突き立てられた怪物の触手が瓦礫から抜かれると、その先端には〈赤いゲル〉の人型制御ユニットが握られていた。怪物は口を開き、触手が捕えた人型制御ユニットを口の前に運んだ。そして――。

 食った。

「何なんだよ、お前は」

 思わず、ぼくは声を引き攣らせた。こいつは兵器じゃないのか? 〈サークレット〉が持っていたものじゃないのか? どうして、今になって現れた。なんで〈グリッター〉を食った?

 無数の疑問が頭の中を駆け巡りながらも、ぼくは臨戦態勢を取ろうとした。怪物が瓦礫を這い、ぼくの方へと近づいてきたからだ。

 満身創痍の機体で何ができる? 何にせよ、何かしなければ、次に食われるのはぼくだろう。

 コンソールに推進剤が空になった(エンプティ)と表示された直後、怪物が跳びかかってきた。その細長い腕で抱き寄せるように〈プロスペクター〉を羽交い締めにすると、怪物は頭から垂れる無数の触手で、〈プロスペクター〉の胸部を――コクピットの搭乗口をこじ開けた。

〈なんだ。お前〉真空に、声が響く。〈泣いているのか〉

 怪物は口角を上げた。……こいつ、嗤っているのか?

〈《宇宙に出よう》。そう訴え続けてきたじゃないか。望み通りだろう?〉

 ぼくの宇宙服(スーツ)に内蔵された通信機に直接介入するこの声……聞き覚えがある。取調室の、あのマシン。そして「あの日」の――。

「ウォルター……」

 怪物は触手をコクピットに潜り込ませた。ぼくを引きずり出そうって魂胆か? 触手の先端がコクピットから座椅子を引き剥がす。

〈果てなく続く世界を前にして、人々の歓声は聞こえるか? 今までの暮らしを棄て去った人々が、新時代を切り拓こうとする熱意と情熱の叫びは――〉

 怪物はコクピットの亀裂から瞳を覗かせた。深く青い海の色の中で、レンズと金属のリングが回転している。

〈宇宙に響いたか?〉

 怪物は声を押し殺すように哂った。

〈何もかも終わったような顔をするな、カイル。まだだ。まだ……あいつらは諦めていない〉

「あいつが何かを知っているのか?」

〈知っているさ。だから、解かる。カイル。お前たちが招き寄せた〉

「ぼくが……あいつを」

〈最早、後戻りはできない。人類は、お前たちの望み通り世界と……あいつらと向き合うことになった〉

「こんなこと、ぼくたちは望んじゃいない」

〈いい逃れか〉怪物は声を挙げて哂った。〈期待外れの結果でも、お前たちが望みが招きよせた結果だよ。カイル〉

「自由になれるはずだった。みんな、求めるものを望むままに追い駆けて、こんなところじゃ思いも寄らないものに巡り合って」

〈出会ったものが牙を剥いた〉

「〈ミグラトリー〉は人を堕落させてきた!」

〈それで納得するか?〉怪物は姿勢を変えて、ぼくに宇宙を見せた。〈お前が「解放」した連中は〉

 怪物の背後にある、ついさっきまで〈ミグラトリー〉だった瓦礫が、ぼくたちを包囲するように散乱している。窓だったガラス。送電設備だったチューブ。フロアマットだったウレタンシート。数多の残骸が集まってくる。まるで、ぼくのことを批難しているみたいに……。

 ぼくは周囲の瓦礫に圧倒されながらも、ぼくは言葉を振り絞る。

「手を取ってくれた仲間ができた。前に進もうと後押しをして……」

〈だから自分は悪くない、か〉

「ぼくも誰かの後押しをしたかった。ぼくたちには自分が想像するよりも大きな可能性があるのに、〈ミグラトリー〉はずっと眠り続けてきた」

〈そのおかげで人類は無謀な真似をせずに済んだ〉

「それは――」

〈お前たちが明日を変えたから、人々の平穏無事は破られたんだよ〉

「お前だって……」ぼくは悲鳴にも似た声で叫んだ。「お前だって旅をしようっていっていたじゃないか! ウォルター!」

 ぼくの叫び声のあと、通信機にノイズが奔った。ぼく宛てじゃない。これは。公衆通信だ。

〈そいつから離れろよ! バケモノ!〉

 マクスウェルの声がして、銃撃が怪物の横っ面を叩く。それから、マクスウェルの〈プロスペクター〉が現れて、怪物に蹴りを入れた。しかし、怪物はものともしない。マクスウェルは更に蹴りを構える。すると、怪物の触手がその足を絡め取り、捕らえたマクスウェルを瓦礫に叩きつけた。

「逃げろ! マクスウェル! 〈プロスペクター〉じゃ、叶わない」

 マクスウェルは、ぼくを無視して〈アトラクト〉をばら撒いた。

〈セット!〉

 マクスウェルの声に応じて〈アトラクト〉が起動する。怪物には何の影響もない。〈アトラクト〉が吸引したのは……ぼくだ。宇宙服に使われている金属が〈アトラクト〉に反応して、ぼくは宇宙空間に放り出される。ぼくは咄嗟に腰のロープを引いた。宙域作業用のスラスターが展開する。

〈《ファントム》が復旧したとエディから連絡があった。お前は先に戻ってろ〉

「お前も戻れよ! マクスウェル!」

 くそっ! 返事がない。あいつ、すっかり頭に血が上ってしまってるんだ。

 このまま引き下がればマクスウェルを見捨てることになる。あいつを犠牲にしてまで生き残って、そこに何がある? ぼくは自分の〈プロスペクター〉に戻ろうとスラスターを操作した。その直後、ぼくの背後から風が吹く。

 違う。ここは宇宙だ。空気の流れじゃない。これは……銀色の粒子。微細な粒子が舞っているんだ。それが風のように感じられた。

「今度は何だよ!」

 現れたのは〈プロテージ〉だ。〈プロテージ〉はぼくを追い越すと、怪物と対峙するマクスウェルの間に割って入った。

〈おい。《銀ピカ》〉マクスウェルが〈プロテージ〉に迫る。〈そこを退け〉

 しかし〈プロテージ〉はマクスウェルの言葉を無視し、自身の頭上に銀粉を集合させ、白銀の巨人を創り出した。〈プロテージ〉を追い越し、怪物に肉弾戦を仕かけようとするマクスウェルの〈プロスペクター〉の両腕を、白銀の巨人はすれ違い様に手刀で両断する。

〈くそっ!〉

 マクスウェルは標的を白銀の巨人に変えて、足を振り上げた。だけど、白銀の巨人は自在に肉体を粒子化できる。マクスウェルのその渾身の蹴りも、空振りに終わってしまった。

 一方で、怪物もその様子を見物しているだけではなかった。背後から〈プロテージ〉に肉薄した怪物は、四肢と頭部の触手を器用に操って〈プロテージ〉を翻弄する。主人の危機を察知した白銀の巨人(保護者)は、マクスウェルの相手を放棄して、怪物と格闘を始めた。

「解っただろう! マクスウェル! ぼくたちの手に負える相手じゃない!」

〈だからこそ、ここで終わらせるんだろう!〉

 マクスウェルが大量の〈アトラクト〉をバラ撒いた。格闘する〈プロテージ〉と怪物の周囲に無数の〈アトラクト〉が浮遊する。マクスウェルが何を企んでいるのか、ぼくには解かる。解かるが、ダメだ。それは白銀の巨人(あいつ)には通用しない。

 起動した〈アトラクト〉が白銀の巨人を吸引する。白銀の巨人は一時塵と化すが、〈アトラクト〉は自分で吸引した銀粉の反撃によって撃墜された。白銀の巨人が消えた隙をつき、怪物が〈プロテージ〉に攻撃を仕かけるものの、怪物の背後で再度実体化した白銀の巨人がその胸を手刀で貫いた。

 串刺しになった怪物は低い笑い声を挙げた。

〈やってくれたな。これを動かすまでにどれだけの苦労を重ねたか……〉怪物は自分の胸に突き刺さった白銀の腕をへし折って逃れた。〈だが、その程度か〉

 怪物はウォルターの声で哂う。

〈全てはもう終わったんだ。お前が終わらせた〉

 怪物はぼくを見る。

〈お前の望み通り、新しい時代の始まりだ〉

 そういい残し、怪物は宙域を去った。〈プロテージ〉に追う気はなく、ぼくやマクスウェルには追う手段がない。

「お前は何のために現れたんだ」

 ぼくが聞くと〈プロテージ〉はこちらを振り向いた。

〈あなたたちを護るため〉

「護る? どこがだ! 全部失ったぞ! もう何も残ってない!」

〈《警告》はした。聞き入れなかったのは、あなたたち〉

「言い逃れか?」

〈止めておけ、カイル〉マクスウェルの声だ。〈そんな奴のことなんか、放っておけ。どうせ、何をいったところで、何も感じない。そういう顔じゃないか。おれたちが何を失ったのかも理解しちゃいないんだ〉

 マクスウェルはコクピットを開き、〈プロスペクター〉をぼくに寄せた。

〈戻ろう。クレアが《ファントム》を牽引して、傍まで来ている〉

 マクスウェルの〈プロスペクター〉に相乗りして、〈ミグラトリー〉の残骸が浮かぶ一帯をしばらく進むと、見慣れた船影が目に入った。

〈ファントム〉がキャッチした緊急事態放送によると、〈グリッター〉が衝突する前に〈ミグラトリー〉を脱出した人たちは〈サークレット〉が保有する救助船に収容されているそうだ。

 ぼくたちには還る場所が在る。だけど、一体どれだけの人が暗く寒いこの宇宙に放り出され、暮らしの基盤を失ったのだろう。

 結論を先にいえば、孤立している人は多くないそうだ。

 現在、〈サークレット〉の船が収容しているのは、戦闘員・民間人合わせて三百人未満。

 惨劇の生き残りは、千分の一にも満たなかったということだ。

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