第8話

「ワザと捕まっただあ? 酔い潰れた振りをしてえ?」

 マクスウェルは呆れた様子でぼくを見た。

「お前にとっては他人事だろうけどな。ぼくは名指しされたんだよ。訳も解らない、ヤバそうな奴に」

「ヤバいって解ってるのにその懐に飛び込む奴があるか」

「ぼくの逃げ足の速さは知ってるだろう?」

「カイルだけだったもんね」とフランシス。「『ペイント・チャレンジ』で一度も捕まらなかったのは」

 フランシスが「ペイント・チャレンジ」って呼んだのは、取調室でアドルフに見せられた監視カメラの映像にも映っていたやつのことだ。街中で掲げられた広告をハックすることで、行政や企業が自己都合で奨励する生活様式をぶっ壊す。提案されたライフスタイルを忠実に実行する機械に成り果てた模範的市民共が、自己を取り戻すための第一段階。ぼくたちのアートは、世の中を秘密裏に変えるプロジェクトだった。

「今度ばかりは逃げてばかりもいられないさ。答えから遠ざかっていく一方だ。結局は……問題の先送りでしかない」それに、とぼくは続ける。「破滅が何を指すんであれ、それをぼくが止められるっていうのなら、どうするかくらい、話をしてみる価値はあるだろう?」

「英雄気取りか。ご立派だな」

 ぼくとマクスウェルの間を横切るように、フランシスが卓上の食い物に手をつける。今度はスナック状の健康補助食品だ。

「あそこにいる連中は」マクスウェルは窓外に見える〈ミグラトリー〉を指す。「おれたちのことなんか、どうだっていいって考えていた連中だぞ?」

「どうだっていい?」エディが割って入った。「それどころか、恨まれてるよ。ぼくたちは」

 平和と安寧が続くことを信じて止まない人たちにとって、約束された日常を揺るがそうとするぼくたちのメッセージは毒だった。幸福を汚染し、調和を破壊する。勿論、ぼくたちにはそんなつもりはない。どうしてぼくたちはここまで来られたのかってことを、もう一度考えて欲しかっただけなんだ。

「誰もそうだと認識してはいないだろうけど、星の重力と大気の中でどうにか生きてこられた人間が真空の中でも窒息しないでいられるのは、何世代にも渡る資源の効率化と技術の発展の賜物だ。一人の一生を遥かに凌駕するスケールの苦労の集積だ」

「それだ」マクスウェルはエディを指す。「それが気に入らない」

「気に入らない?」スナックの容器を空にしたフランシスが、今度は部屋の壁際にある冷蔵庫の傍でドリンクのパウチを咥えている。

「……良く食うな」

「マシンを整備している間、寝ていただけの誰かさんとはカロリー消費が違うから」舌を出してぼくを威嚇したあと、フランシスはマクスウェルに向き直った。「それで、気に入らないっていうのは?」

「〈ミグラトリー〉のことさ。あれを築き上げたのは先祖だっていうのに。まるで自分の手柄みたいに思ってる。数百年続けてきた。ああ、そうかい。それで? おれたち自身は? 一体何をした。答えられる奴が、〈ミグラトリー(あの中)〉にいると思うか?」

「それはわたしたちも同じでしょう?」

 フランシスがぼくと卓上を交互に見るので、ぼくは視線の先にあった缶詰を放り渡した。

「おれたちは被害者面して助けられるのを待っているだけじゃない」

「だからって、他人の振りはできない。だって……どう考えたって異常だろう? 〈ミグラトリー〉は暗闇の中で、数百年間ずっと同じ場所にいた。何百年。宇宙はぼくたちに対して沈黙してたんだよ。〈ミグラトリー〉だってそうだ。宇宙を無視し続けてきた。同じだけ。ずっと」

 宇宙で暮らすようになって人々は一つの認識を共有した。それは、ぼくたちは孤独だってこと。暗闇を眺め続けても、やってくるのは隕石だけ。星の瞬きには意味がない。世界は果てしないというのに、ぼくたちを見つめる視線も、語りかけてくる声もなかった。

「それが突然だぞ。あんな正体も何も解らないようなものが現れて、ぼくたちはもう御仕舞だなんて言い出した。それを無視しろって?」

「あいつらがどうするかは、あいつらの問題だ」

「ぼくたちも〈ミグラトリー〉市民だ」

「おれたちは出発の準備をしてきた。ずっとここに留まるって選択をしたのはあいつら自身だぞ。おれたちが置き去りにするんじゃない」

 マクスウェルはぼくを一瞥して、何かを思い出したかのようにいった。

「そうだ。そうだ、カイル。名指しされたのはお前だろう? あいつはお前に用があるんだ。だとしたら、おれたちがこの宙域から出て行けば、あの〈銀ピカ〉も〈ミグラトリー〉に用はない。全てが解決するんだよ」

 マクスウェルは目を輝かせ、ぼくの肩を叩く。

「後腐れなければ、お前だって〈ミグラトリー(あんなところ)〉に未練はないんだろう?」

「そりゃあ――」

「残念だが」ぼくがいいかけたところにエディが割って入る。「〈プロテージ〉はカイルが標的だなんていってない。彼が『存続の鍵』だっていったんだ」

 マクスウェルは無言で肩を落とした。何か説得の次なる手を考えているんだろうが、残念ながら多分彼にはどうにもできない。

「多分、あいつがいっているのは〈ファントム(この船)〉のことだ。この間、この船の通信機のテストをしただろう?」

「そんなのしたの?」とフランシス。

 エディは頷いた。

「『我々はこれより身に余る野望を胸に、大いなる旅を始める』」

「何それ」とフランシスがいうと、エディはぼくに視線を送った。

「本の引用だよ」

「ウォルターの持っていた本だ」マクスウェルの言葉を受けたぼくは、咄嗟にエディを見た。エディもぼくを見ていた。そして、ぼくを制止するように首を振る。

「なんとか船長……だったか?」

 ぼくは頷いて、続きを離す。

「どうも〈プロテージ〉は、あのメッセージを聞いたらしい。可能性の話だが」

「らしいっていうのは?」

「〈サークレット〉の連中。ぼくたちがこの船で何をしていたのかしきりに気にしていた」

「それで、どうしてカイルとこの船が繋がるの?」とフランシス。

「カイルの名前で発信したんだ」エディが答えた。

「ぼくが名指しされたのは、ぼくに特別なことができるからじゃない」

「そうだろうな」とエディとマクスウェルがいい、

「そうでしょうね」とフランシスが頷く。

 釈然としない思いを咳払いで払拭して、ぼくは続ける。

「ぼくの名義で記したメッセージを、〈ファントム(この船)〉が発信したからだ」

 エディには結論をいう前にぼくのいいたいことが伝わったみたいだが、他の二人は腑に落ちないって感じだ。

「〈プロテージ〉は、この船を探しているんだよ。だから、ぼくを指名手配させた。生き死にがかかってるとなれば〈サークレット〉は総動員でこの船を探す。どうしてこの船を狙うかなんてことは……態々説明しなくたって解かるだろう?」

「まあ……」口を開いたのはフランシスだ。「カイルに不思議な力があると思うよりは自然だけど」

「狙いがこの船なら、結論は同じじゃねえか」マクスウェルがいう。「〈ミグラトリー〉とはここでお別れ。おれたちもあいつらもそれぞれ生きればいい」

 マクスウェルの言い分も一理ある。しかし、ダメなんだ。それはできなくなった。

「その出発についてだが」エディがいう。「残念ながら延期だ」

「延期?」マクスウェルが目を丸くした。「どうして」

「部屋を見て解らないのか? エネルギーが足りない」

「一年かけて蓄えたエネルギーが? 何に? ……って〈ウェーブ〉を使ったのか」

「仕方なかったのよ」フランシスがいう。「ハプニングの連続で」

「クソッ!」マクスウェルはテーブルを叩いた。

「今度はもっとかかる」

「何?」

「前のときよりも、出力を上げた。それに、以前は既に、ある程度の蓄えがあった」

 そう聞くと、マクスウェルはぼくたちに背を向け、深い溜息を吐いた。

「エディ、お前の推算だと次のチャンスはどれくらい先だ?」

 全員の視線が集まる中、彼は渋々答えた。「万全を期すなら三年後だ」

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