第22話 ディールの決意
キュアリスとウォールロックを会わせたその日の夜。ディールはある決意を胸に、
再会した日と同じく、机の上のランプがベルデスの顔を浮かび上がらせていた。ベルデスは机に向かいなにやら書き物をしている。
そんな父親をディールは黙って見つめていた。
「用があるなら早く言え。明日までに陳述書を書かねばならんのだ」
ベルデスが書いているのは今回の件についての陳述書だ。この世界には単独の司法機関は存在しない。国や領主。神殿。そして
今回は殺人などは起きていないこと。当事者が二つとも商会であったこと。この二点から
「今日、ウォールロック様に会って来ました」
「知っている」
ベルデスはディールの方を見ようとしない。取り付く島もないと言った様子の父親に、ディールは一瞬言葉を継げなくなる。そんな父親を見て一度強く唇を結び、それでも意を決したように口を開いた。
「王都の魔術学院に推薦してくださるそうです。僕はそれを受けようと思います」
ディールが部屋に入って初めて、ベルデスが顔を上げた。眉を顰めて息子を見る。
「お前はあの小娘に魔法とやらを習い、魔導師になるのではなかったのか? それを魔術学院だと? 随分といい加減なことだな」
「もちろん僕は
「ふん。苦しい言い訳だな。
言葉は辛辣だが、ベルデスの浮かべる表情は我が儘を言う幼子を見る父親のそれだ。
殆どがキュアリスの活躍とはいえ、ディールも魔法でシルクたちを助けたのだ。そのことはベルデスも知っているはずだった。なのに自分へと向けられるベルデスの態度は相変わらずだ。
もうそれに苛つくことはなかったが、いつまでも父親に認めらないという一抹の寂しさはあった。ディールはその気持ちをグッと飲み込む。
「父さんにお願いがあります」
「駄目だ」
「っ……まだ何も言っていません」
思わず叫びそうになり、ディールは拳を握りしめて耐える。
「どうせ魔術学院へ行くための金を出せとでも言うのだろう? お前は学院など行かなくてもいい。私の商会を手伝うんだ」
それで終わりだとでも言うように、ベルデスの顔が下を向いた。
ディールは目を閉じて大きく深呼吸する。吐き出す息と共に目を開き、机に向かうベルデスを真っ直ぐに見つめ口を開く。
「少し……違います。父さん、僕にお金を貸してください」
「……なんだと?」
ディールの言葉にベルデスが思わず顔を上げた。自分を真っ直ぐに見つめてくる息子と目が合う。その視線の強さにベルデスは押し黙ってしまった。
「僕と師匠――キュアリスさんの二人分の学費を貸してください。必要なら公証人立ち会いのもとで証文に署名します」
「ふん。公証人と証文と来たか」ベルデスが鼻で笑う。「言葉の意味を分かって言っているのだろうな?」
証文と言えば大きな商取引において欠かすことのできないものだ。生え抜きの商人である自分に対しディールはそれを持ち出してきた。ベルデスの機嫌が悪くなる。
「もちろん分かって言っています。魔術学院に行きたいというのは僕の我が儘です。だから父さんにお金を出してくれとは言いません。貸して欲しいのです」
ディールの表情は真剣だった。己で考えた末の言葉であることがそこから分かる。自分の言葉に責任を持つ者の表情だ。大人の表情だ。
それを見てベルデスは思う。いつの間にか
「……返す宛はあるのか? 親子と言えど証文を交わせば、私は容赦なく取り立てるぞ?」
ディールがその場の思いつきだけで言っているわけではないと分かり、ベルデスは静かに問うた。
「宛は……正直言って分かりません。ですが必ず返します。何年かかってでも」
「失格だな」
「え?」
「シュタット商会は商売で金貸しはやっておらん。だから金融屋のように
ベルデスの言葉にディールは俯いて唇を噛んだ。
父親の言うことはもっともだった。信用できない人間にお金は貸せない。それは親子であってもだ。
「だが……お前は〝魔法〟とやらでシルクを助けた。信じられんことだが、あの小娘はシルクの怪我まで治したと聞く」そこで一旦言葉を止める。「……一年だ。一年分の学費をお前に貸してやろう。もちろん二人分でな」
「……父さん?」
思いがけないベルデスの言葉にディールは顔を上げた。信じられないといった表情で父親をを見ている。
「その一年でなんでもいい。お前の魔法で一つ結果を出せ。そうすれば借金ではなくお前への投資に切り替えてやる。私を納得させる結果が出れば、残りの学費も投資してやろう」
ディールは何も言えず、ただベルデスを見ている。
「不満か? 条件が飲めないのなら、この話は無しだ」
「いいえっ。充分です。ありがとう父さん!」
ディールの表情が明るくなった。ベルデスはそれを懐かしそうな顔で見る。ディールがこんな表情で父さんと呼んでくれたのは何年振りだろうか。
自分の顔が綻びかけたことに気づき、ベルデスは慌てて下を向いた。そして陳述書に取りかかる振りをしてディールの様子を伺う。
「なんだ、まだ用事があるのか?」
素っ気なくベルデスが言う。ディールはもう一度「ありがとう父さん」と言って書斎を出て行った。
「ふん。すっかり生意気になりおって」
一度だけ扉を見て、ベルデスはすぐに陳述書に取りかかった。その口元にはあるかなしかの笑みが浮かんでいた。
☆
「キュアリス姉様」
シルクがキュアリスに抱きついた。キュアリスはそれを優しく抱きしめ返す。
「王都に行くだけじゃ。この街から近いのであろう? もう会えないわけではなかろう」
「でも。でも……寂しいです」
ディールたちの住む屋敷の前、門のところにキュアリスとシルクは立っていた。すぐ近くにはディールもいる。
シルクたちの後ろには母親のペリアとミュリーア。そして執事のカルディウスが立っていた。
キュアリスと共に王都の魔術学院へ行くことを決めてから、二ヶ月が過ぎていた。
今日はディールとキュアリスが王都へと旅立つ日だった。
この二ヶ月の間、キュアリスとディールはウォールロックから魔術の基礎を学んでいた。そしてウォールロックはディールと共に、キュアリスから魔法を学んでいた。
他にも兄のケルナーとミュリーアの結婚式があったなど、目まぐるしく日々は過ぎ去った。
「シルク。キュアリスに渡すものがあるのでしょう?」
ペリアの言葉にシルクがキュアリスの元から離れた。そしてミュリーアから何か受け取った。
「キュアリス姉様。これをあげるです」
「なんじゃ?」
シルクの小さな手が、何かを差し出した。その手には小さなペンダントが握られていた。キュアリスがそれを受け取る。
虹色に輝く一枚の羽根。根本の
虹色に輝く羽根は綺麗だが、羽柄に巻かれた紐と留め具の仕上げが雑でやや不格好だ。
「幸運のお守りなのです」
「この
ミュリーアの言葉に、キュアリスが驚いてシルクを見た。シルクは上目遣いに、恐る恐ると言った様子で見返している。
「綺麗なお守りじゃな。ありがとうシルク。大事にするぞ」
自ら首にかけ、キュアリスがにっこりと微笑んだ。シルクが安堵の表情を浮かべ、すぐに照れたような笑顔になる。
「妾も何か渡せるものがあれば良いのだが……そうじゃ」
キュアリスがシルクの手を取った。手のひらを上にしたシルクの手を、キュアリスが両手で軽く挟む。魔導書が浮かび上がりページが開かれた。刹那、二人の手を包むように光が生まれた。
光が消えキュアリスが手を離すと、シルクの手のひらの上には瑠璃色の羽根を持つ蝶がいた。
「あ……蝶……です?」
それを見てシルクが目を丸くする。
蝶は羽根を大きく広げた状態で動かなかった。綺麗な瑠璃色の羽根が目に飛び込んでくる。よく見るとそれは作り物で、羽根は薄く水晶のような硬質の素材で出来ていた。
「ウォールロック殿のように動くことはないが、消えることもない。このようなものですまないが受け取ってくれ。妾からの贈り物じゃ。
髪飾りにでも細工してもらうとよい」
最初は驚いたように。だが嬉しそうに、シルクは両手で蝶を包んで胸に
「嬉しいです。大事にするです」
「迎えが来たようです」
カルディウスの言葉に、一同が街路へと目を向けた。二頭立ての馬車が二台、こちらへ向けて走ってくる。
馬車は門の前でぴたりと停まった。先頭の馬車の横にはグートバルデ家の紋章が描かれている。御者が降りてきて、ディールたちに一礼した。
「ディール様とキュアリス様は前の馬車へお乗り下さい」
そう言って御者は扉を開けた。中には先客が二名、座っていた。ウォールロックとメリッサだ。
「母さん。兄さんと……父さんにもよろしく伝えてください」
馬車に乗る前に、ディールはペリアに言った。母親の目が見開かれる。そしてすぐに笑顔になった。
「分かったわ。お父様たちにちゃんと伝えておくわ」
キュアリスとディールが馬車に乗り込む。二人の背後では別の御者が、ディールたちの
馬車が走り出す。窓越しにキュアリスはシルクと目が合った。涙を一杯に溜めた目で、シルクが見ていた。
その姿がすぐに小さくなる。
「あの……ありがとうございます。王都まで連れて行っていただけるなんて」
馬車の中で、ディールがウォールロックとメリッサを見て言う。
「なに。儂らも行かねばならぬのじゃ。なら一緒に行けばよい。お主らは儂の師匠と兄弟子じゃからの」
悪戯っぽい笑顔を浮かべてウォールロックは言う。そんな
「あら。キュアリス。そのペンダント」
キュアリスの首にかかったペンダントを見てメリッサが言った。よほど気が合ったのだろう。キュアリスとメリッサはこの二ヶ月ですっかり仲良くなっていた。
「これか? シルクに
「魔獣化したツバクロの羽根ね」
「おお。これはツバクロの羽根じゃったか」
「小さい鳥だけど海を渡るほどの渡り鳥って言われててるわ。どんなに遠くに行ってもまた帰ってくる。無事に帰って来て欲しい人に渡すお守りよ。よほど好かれているのね」
「そうか。そうであったか」嬉しそうにキュアリスが言う。
「貴女でも知らないことがあるのね」
メリッサがからかうように言った。キュアリス上機嫌に頷いてみせる。
「もちろんじゃ。まだまだ妾でも知らぬことは沢山ある。特に魔術はメリッサの方がよく知っておろう」
他愛のない会話が彼女たちの間で交わされる。そんな二人をディールは嬉しそうに見ていた。
その視線に気づき、キュアリスがディールを見る。
「しかし良かったのか?」
「何がです?」
ディールがきょとんとした表情になる。
「学費の件じゃ。魔術なら
「学費は師匠に払う魔法の授業料だと思ってください。それにやっぱり師匠も魔術学院に行った方がいいと思います」
ディールは確信を持っているかのように言う。その自信に満ちた物言いにキュアリスは不思議そうな顔でディールを見た。
「なぜじゃ?」
「だって楽しそうだったから」
「なにがじゃ?」
「師匠がシルクやメリッサ様と話している時、すごく楽しそうだったから。師匠にも友達ができればって……」
ディールの言葉にキュアリスが虚を突かれたような表情になった。ディールは相変わらず嬉しそうにキュアリスを見ている。
その顔が一瞬ぼやけて見えた。視界がぼやけたことの意味に気づき、キュアリスは慌てて窓の方へと顔を向けた。
「弟子のくせに生意気を言いおって。お主は妾に気を使い過ぎじゃ」
顔を合わせること無く、ぶっきらぼうにキュアリスが言う。外を見つめるその瞳は僅かに潤んでいた。
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