第18話 ウォールロックの提案
「ディール様。来客です」
自室で本を読んでいると扉がノックされた。ディールは立ち上がって、扉を開ける。
外にはカルディウスが立っていた。
「ウォールロックと名乗られる方がいらっしゃいました。
それだけ言うと老執事は去っていった。もてなしの準備をするためだろう。
ディールはそのまま部屋を出る。
女性の身を包む緑色のドレスは、母親と同じく派手さはないが上品な仕立てだった。歳の頃はディールよりも三つ上くらか。
「あら、ディール。ちょうどよかった」
息子に気づきペリアが呼び止める。ディールは二人の前へと歩いていく。
「この方がケルナーの婚約者のミュリーアよ」
女性――ミュリーアがドレスの裾を摘んで挨拶する。栗色の髪に青い瞳のややふっくらとした面立ちの女性。垢抜けた感じはないが気だての良さが浮かべた笑顔から滲みでている。
「初めまして、ディール。ケルナーから話は聞いていたの。会いたかったわ」
「初めまして、ミュリーアさん」
ディールは頭を下げて挨拶を返す。その顔に浮かんだ笑みはぎこちない。兄の婚約者と聞いて思わず緊張してしまったのだ。
「ミュリーアが貴方に会いたいという方たちを連れて来てくれたのよ」
「え? ウォールロック様を?」
ペリアの「方たち」という言葉に引っかかりを覚える。たがそれよりも、目の前の女性がウォールロックと知り合いだということに、ディールは驚いていた。
「ウォールロック様を案内するよう、お父様から頼まれたの。城館に逗留されているらしいわ」
ディールが驚いた理由を理解しているわけではないのだろうが、ミュリーアが笑顔で説明する。それを聞いてディールはミュリーアの父親が軍の主計官だと、兄から聞いたのを思い出した。
「さぁさぁ。顔合わせもすんだことだし、貴女は私とお話をしましょう。時間はあるのでしょう?」
「はい。お
「なら
ペリアはミュリーアの手を取るとそのまま食堂へと向かって行った。
ディールは二人を見送った後、
「メリッサ様。ご無事でなによりです」
ディールは二人の前まで行って言う。メリッサは視線を合わせるも、その表情はどこか気まずそうだ。
「ディール……ごめんなさいっ」
立ち上がってメリッサが頭を下げた。突然の事にディールが慌てる。
「メ、メリッサ様、頭を上げてくださいっ」
「本当にごめんなさい。わたしのせいで貴方たちを危険な目にあわせたばかりか、破門になってしまって」
「破門は……いいんです。ケデル先生の所にいても、あれ以上のことは教えて貰えなかったでしょうし」
ディールが静かに言う。その顔には落ち込んだ様子はない。むしろどこか吹っ切れたようにすら見える。
そんなディールを見て、ウォールロックはおやという表情を浮かべた。
「そのことで儂の方も話がある。二人ともまずは座らんか?」
老魔術師の言葉に二人は慌てた様子で座る。メリッサはソファに。ディールは机を挟んだ向かいの椅子に。
三人が座ったのを見計らったかのようにカルディウスが現れる。ティーセットの乗ったカートが机の横へとつけられた。老執事は流れるような動作でティーカップに紅茶を注ぎ、三人の前へと置いた。それから礼をして去って行く。
ウォールロックは紅茶を一口飲んでから、口を開いた。
「まずはディール。ケデルのやつを許してはくれまいか。あれは莫迦がつくほど真面目での。昔からやることが極端なやつじゃった。何もお主が憎くて呪文を教えなんだわけでもなければ、破門したわけではない」
「許すもなにも。僕は恨んではいません。破門についても母に言われました。先生は僕を破門にすることで、これ以上罰を受けないようにしてくれたのだと」
そう言ってディールは真っ直ぐにウォールロックを見る。
ウォールロックはじっと見つめ返していたが、ディールの言葉に嘘はないと分かったのかふっと表情を緩めた。
「そうか。そう言って貰えると儂も助かる。メリッサの件は儂がなんとかするから破門を解けと言うたが、ケデルは頑として受け入れなんだ。そのことはすまぬと思っておる。このとおりじゃ」
ウォールロックが頭を下げた。
「ウォールロック様まで。やめてくださいっ」
メリッサの時以上の慌て振りでディールが言う。
ウォールロックはゆっくりと頭を上げた。そして真剣な表情で口を開く。
「ところでディール。お主はまだ魔術に興味はあるか? お主さえよければ儂が教えようと思うのじゃが」
「え……それはどういう……」
「儂の弟子にならぬか……ということじゃ。ケデルのやつには了承をとってある」
「なんで……僕なんかを?」
突然の申し出に驚き、ディールは掠れた声で言う。
そんなウォールロック自ら、弟子にならないかと言ってきたのだ。昔のディールなら一も二も無く飛びついただろう。
だが今は――
「なんじゃ。儂の弟子になるのは嫌か?」
なかなか答えないディールを見てウォールロックが口を開く。
「そういうわけでは……」
「もしかしてケデルのやつに遠慮しておるのか? なら無理に儂の元で学ばずともよい。そうじゃな、王都の魔術学院はどうじゃ。お主の推薦状を書いてやっても良い」
「そんなっ。僕は魔術をまったく使えないのに魔術学院なんて」
通常、魔術は私塾や家庭教師などで実践を学ぶ。その後、魔術の知識を深めたいと思う者が王都の魔術学院へと進むのだ。或いは知識ではなく魔術学院で学んだという箔をつけるために通う者もいる。そう言った者たちは貴族に多い。
「誤解する者が多いが、何も魔術学院は魔術が使えなければ入学できないわけではない。魔術学院で初めて魔術の実践を学ぶ者もおるのじゃぞ」
だが希に、魔術を一から学ぶために魔術学院の門を叩く者もいる。私塾もなく家庭教師を雇うこともできない、だが魔術の才能があると認められた者たち。入学するためには学ぶに足る資格があると保証する推薦状が必要だが、決してありえないことではない。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「お主、魔獣を倒したそうじゃの。そればかりかメリッサの傷を癒しおった。しかも呪文や
「……いえ」
「それに――」
ウォールロックが傍らに座るメリッサを見た。ディールも思わず視線を移す。
「メリッサにとっても、良い刺激になるじゃろうしの」
「メリッサ様の?」
「メリッサは魔術学院に入る予定じゃが、お主に助けられた後、儂に言いおった。儂の推薦はいらぬ。試験を受けて実力で入るとな。ようやく魔術と真摯に向き合う気になったのじゃ」
どこか楽しそうに
メリッサは二人に見つめられ、恥ずかしそうにそっぽを向いた。そこには以前に見た、自分の魔術に過剰なほどの自信を持つメリッサの姿はない。かといって自信を喪失して
それをメリッサから感じ取り、ディールは初めて彼女に親近感を抱いた。
「こんな僕にそこまで言って頂けて嬉しいです」
「おお。では――」
「でも、ごめんなさい。僕は
「魔導師……?」
「はい。僕は今、魔術ではなく魔法を学んでいます」
「魔法?」
聞き慣れない言葉の連続にウォールロックとメリッサがディールをまじまじと見つめる。
「初めて聞く言葉じゃが、お主が魔獣を倒したのはそれか?」
「えっと……はい」
「わたしの怪我を治したのも?」
「はい。あの時は必死で……上手くいってよかったです」
メリッサの怪我が治った時の事を思い出し、ディールはホッとした表情を浮かべる。
「魔術では為し得ぬ治癒。それを行う魔法とは、一体なんじゃ?」
ウォールロックは真剣な表情で問うた。その顔は普段の
「世界の真理を探究するための方法だと……僕は聞いています」
「世界の真理とな。これはまた大きな話がでたの」
ベルデスと似たような事をウォールロックは言う。だがベルデスと違い、老魔術師はディールの言った言葉を莫迦にしていない。むしろ興味をそそられたようにすら見える。
「昔にいた魔導師という存在が、この世界は五大元素で構成されていると突き止めたそうです。そしてその五大元素がどのように影響し合って世界を作っているのか……それを知るために魔法という検証方法が作られたって聞きました」
ディールは話した。五大元素の存在。それを扱うには
大森林で迷い込んだ先にある図書館とそこで出会ったキュアリスのこと。彼女の本体が魔導書であることは話さなかったが、魔法の師匠であり一緒にこの街に来たことなどは話した。
「ふむう。クラウブルの大森林にそのような場所が。それなりに
もしよければお主の師匠に会わせてくれぬか?」
「それは構いませんが……今日はちょっとシルク――妹と出かけてまして」
ディールは申し訳なさそうに言った。
キュアリスはシルクの我が儘で新市街の方に出かけていた。キュアリスと一緒に服を買いたいそうだ。
もちろん二人だけということはない。侍女と雇った冒険者の二名が付き添っている。
ベルデスは冒険者を三人雇っていた。門の前で会ったホイスと屋敷の中ですれ違ったスキンヘッドの男。シルクたちの護衛はこのスキンヘッドの男だ。
もう一人は大男で、ベルデスとケルナーの護衛をしている。
「そうか。それは残念じゃの。なに、儂らはまだしばらくトリオスにおる。城館の方で世話になっておるからいつでも連絡をくれ。お主の兄の婚約者にでも伝言を頼んでくれれば会いに来るぞ」
そう言ってウォールロックはメリッサに目配せをした。二人が同時に立ち上がる。
「お帰りになられるのですか? でしたらミュリーアさんに――」
「よい」ディールの言葉を遮るようにウォールロックは言う。「あの
「分かりました」
老魔術師の言葉に義姉への気遣いを感じ、ディールは素直に頷いた。
「言い忘れてたけど、怪我を治してくれてありがとう」
そう言ってメリッサは微笑んだ。初めて会った時からは想像できないくらいの柔らかい笑み。陽光を受け輝く金髪と相まって、彼女自身が輝いているように見えた。
ディールは思わず見惚れてしまう。
「い、いえ」
ようやく返事をした時にはもう、メリッサは背を向けて去って行くところだった。
だがその日、夜になってもキュアリスとシルクが帰って来ることはなかった。
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