第16話 父と息子
「だからキュアリスさんは僕の、その……け、結婚相手とかではなくて魔法の師匠なんです!」
「左様でございましたか。
ディールの必死さが伝わったのか、カルディウスは納得してくれたようだった。
「あら、違ったの。残念ね」
老執事が勘違いを認めたことで、母親のペリアも理解してくれたようだ。
当のキュアリスはシルクに連れられて
目の前に置かれたティーカップに、何杯目かのお茶が注がれる。
「でも貴方は、お父さまの知り合いの魔術師の所へ習いに行ったのではなくて? 確かケデルという方だったはずよね?」
ディールは母親と老執事にキュアリスを〝魔法の〟師匠と説明していた。だがペリアには魔法と魔術の区別はついていない。魔術も「なにやら便利なもの」という認識でしかない。
だから彼女の疑問はディールが習っているのが魔法であることではなく、息子が師と仰ぐ存在が少女であることだった。
「それは……その。ケデル先生の所は……破門、になりました」
ディールは目を伏せて言いにくそうに口を開いた。
「破門……ですって? 一体、貴方は何をしたのですか?」
口調は穏やかではあったが、ペリアの視線は問い質す者のそれだ。ディールはおずおずといった様子で破門されるに至った経緯を話し始めた。最初は魔法を使って魔獣を倒したことやメリッサの怪我を治したことについては言葉を濁し、触れなかった。
しかしペリアがその都度質問を挟み、結局は話す結果になった。
「話を聞く限り、貴方は巻き込まれたのですね。しかしケデルという方を恨んではいけませんよ」
「先生を恨むなんてそんな」
全くわだかまりがないと言えば嘘になる。だがケデルを恨んでいないのも確かだ。
だが続くペリアの言葉に、ディールは虚を突かれた。
「破門という形で、それ以上ディールに咎がいかぬようしてくれたのでしょうから」
「……え?」
そんなことは考えてもいなかった。けど――
ディールは思い出す。ケデルから故郷までの路銀を渡された時に言われたことを。「破門したのだから、これ以上お前が責められることはない」と。
その時はショックのあまり言われた事の意味を考えようとはしなかった。
「僕は……」
何かに気づいた表情の息子を見て、ペリアは優しい笑みを浮かべる。
「それに……魔法のことはよく分かりませんが、貴方はすごいことをしたのですね」
その言葉にディールが弾かれたようにペリアの顔を見た。ペリアの優しい笑顔がディールの目に飛び込んでくる。思わず目の奥が熱くなった。
「……母さん」
「しかし残念です。ケルナーにも縁談の話があり、ディールも伴侶を連れて帰ってきておめでたいことが重なったと思ったのに」
「え? 兄さん、結婚するんですか?」
ディールが驚きの声を上げる。予想外のペリアの言葉に、溢れかけていた感情が一気に覚めた。
「お話だけね。あったのですけど……」
「めでたいことが」と言っていた割に、ペリアの表情は優れなかった。台詞もどこか奥歯に物が挟まったような言いぐさだ。
「兄さんが断ったのですか?」
「いいえ。ケルナーもお相手も気持ちは固まっているのです。でも――」
「奥様。その件に関しましては
横で給仕をしていたカルディウスが口を開く。ペリアは老執事に頷いてみせた。
「先程、ディール様はなぜ見張りがいるのかとお尋ねになりましたよね?」
「はい」
「実はケルナー様の縁談を邪魔する輩がおりまして。奥様やシルク様にまで危害を加えようとしているのです」
「え?」
「つい先日、お二人が新市街へ出かけられた際に何者かに襲われたのです」
「大丈夫だったのですか?」
二人の元気な姿を見ているのだから無事なのは間違いない。だがディールは訊かずにはいられなかった。
「はい。たまたま通りかかったホイス様に助けていただきました。そしてそのまま、旦那様がホイス様たちを警備に雇われたのです」
ホイスが門の前にいた男の名前であったことをディールは思い出す。それと同時に
自分がいない間に、一体何が起こっているのだろう。ディールはカルディウスを見て、それからペリアへと視線を移す。
見張りを雇うくらいだから何やら深刻な状況になっているのは間違いない。だが二人の表情からどれくらい深刻なのかを読み取ることは、ディールにはできなかった。
☆
ディールが三年振りに父親との再会は果たしたのは夜になってからだった。新市街にある商会での仕事を終え帰って来た父親の元へ、ディールは向かう。
書斎の前に立ち、ディールは扉をノックしようとしてその手を止めた。それを二度ほど繰り返しようやくノックする。
「父さん……ディールです」
「……入れ」
三年振りに聞く父親の声だ。だがその声には母親と再会した時のような温かさは感じられない。ディールは静かに扉を開けて中へと入った。
入って正面、窓を背に大きな机があった。机の上のランプが、その後ろに座る中年の男の顔を浮かび上がらせる。
歳のころは五十くらいか。黒い髪に浅黒い肌。ディールを見る茶色の瞳は鋭く、目元に刻まれた皺が男の過ごした歳月を物語っている。やや丸みを帯びた輪郭は中年太りのせいか。痩せて若返らせれば、その顔はディールによく似ていた。
ディールの父親。ベルデス・シュタットだ。
「本日、帰って来ました。えっと……」
ディールは俯き言葉を止める。そんな息子の様子を見てベルデスは軽く眉をしかめた。
「破門になったそうだな」
「知っていたんですか!?」
ディールは顔を上げてベルデスを見る。
「今日、商会の方へ手紙が届いた。ケデルからだ」
手紙を送るだけならクラウブルからこのトリオスまでは七日で到着する。ディールたちは十一日かけてトリオスまで来た。同時に手紙が着いたということは、ディールが田舎町で魔法の練習をしていた頃に手紙が出されたということだ。
「グートバルデ伯爵の息女の件は、お前の破門をもって不問となったそうだ。お前は気に入らないかもしれんが、破門で済んだことを感謝することだな。ケデルに預けて三年。魔術師にもなれないようだし、ちょうど良かったと思え」
「父さんは――」ディールが強い視線をベルデスに向ける。「なぜケデル先生に預けてまで魔術師になることを諦めさせようとしたのですか?」
「あいつが何か言ったのか?」
思いがけず向けられた息子の視線に、ベルデスは意外だと言った表情を浮かべた。
「先生は、僕には何も。でも三年間、呪文を教えて貰えなかったのは父さんが先生にお願いしていたからじゃないんですか?」
「
ディールが引かないと悟ったのか、ベルデスはあっさりと認めた。両手を組んで口の前に置き、じっとディールを見つめる。
「そういうことを訊いているんじゃありません。父さんはなぜ僕を魔術師にしたくないのですか?」
「……少し見ない間に、生意気な口をきくようになったな」
ベルデスが声を低くして言う。ディールの表情が強ばった。だがそれでも、ディールは父親から目を反らさない。
ベルデスはそんな息子の様子にふと表情を緩めた。
【我願う。汝は導く光なり。
突如、ベルデスの口から呪文が流れた。その声には確かに魔力が乗せられている。
ベルデスの頭上に光の玉が現れた。ランプの明かりよりも強い白光が部屋の中を照らす。光は部屋にあるものを、くまなく浮かび上がらせた。
「魔術!?」
ディールが驚いた声を上げる。父親が魔術を使ったのを、ディールは今まで見たことがなかった。
「父さん、魔術師だったのですか?」
「私がか? 莫迦を言え」ベルデスが両手を開いて苦笑する。「知っておる呪文はこれを含め三つだけだ。どれも行商をしていた頃、旅の役に立つからと覚えたものだ」
魔術を使える人間は案外多い。自分の体を廻る魔力を感知し操れること。呪文を知っており、その呪文に魔力を乗せることができること。その条件さえ満たしていれば魔術は誰でも使える。
この世界では魔術を使えることのみで特別扱いされることはない。必要とする呪文だけを魔術師から習っている者もいるのだ。それは冒険者や行商人などに多い。
そしてベルデスが若い頃、行商人として様々な国を巡っていたのは聞いていた。
「魔術を使える人間は多い。魔術は便利だが、使えるだけでは生活はできん」
そう言ってベルデスはディールを見る。その瞳は真剣だ。
「
「……それは」
「お前は私の息子だ。魔術の才は多少はあるだろう。だがケデルのような才能はない」
そう言い切った父親にディールは反論したかった。なぜそんなことが分かるのかと。修行していた所を見ていないのに。
だがディールも気づいていた。アッガスやメリッサのような才能は自分にはないと。アッガスはディールの魔力操作は自分よりも上だと言ってくれた。だが、逆を言えばそれしかディールにはないのだ。
「悪いことは言わん。私の商会を手伝え。この先、お前が一人前になって独立したいと考えるのならさせてやる。そうなってから魔術を習えばいい。魔術師にならずとも、魔術を使うことはできる」
幼い子供に言い聞かせるかのように、穏やかな声と表情でベルデスは言う。実際、ベルデスにとってディールはいつまでも子供なのだ。幼い子が抱く憧れ。息子の魔術に対する執着はそれと同じだ。ベルデスがそう考えているのがディールにも伝わってくる。
ディールは俯き、両手の拳をぎゅっと握りしめた。大きく深呼吸する。吐く息と共に両手に籠もった力が抜けた。そして顔を上げベルデスの目をしっかりと見る。
「父さん、僕は
「
「はい。魔術ではなく魔法を学び、僕は魔導師になります」
「そういえばペリアが言っていたな。お前が魔法とやらの先生を連れてきたと。聞けばお前と歳の変わらぬ小娘という話ではないか。魔法とは子供のお遊戯のことか?
結婚相手を連れてきたという方がまだ話は通る」
そう言ってベルデスは鼻で笑った。
「師匠――キュアリスさんは見た目こそ僕と同じくらいの歳ですが、僕なんかよりたくさんのことを知っています。魔法は世界の真理を知るための方法なんです!」
キュアリスのことを莫迦にされたような気がして、ディールは父親に食ってかかった。だがベルデスはそんなディールすらも
「世界の真理ときたか」ベルデスは苦笑する。「単に魔術が駄目だったから他のものに縋ろうとしているだけではないのか?」
「それは……」
ディールの瞳が揺らぐ。確かに最初はそうだった。自分が三年間していたことを認めてくれたのはキュアリスだった。そして魔法が――いつの間にか自分の中に生まれていた
だが、今は違う。
「僕は……自分の意志で、魔法を習いたいんです」
先程よりも強い視線でディールは答える。瞳の中にあるのは光。そして明確な意志だ。
しかしそんなディールを見てもベルデスは顔色を変えることはなかった。相変わらず聞き分けのない幼子を諭すような表情を浮かべている。
「ふん。で、その魔法とやらは儲かるのか?」
「え? 魔法は世界の真理を探究するための方法で――」
「稼ぐことはできんということだな?」
「…………」
思いも寄らない言葉を受け、ディールは何も言えず黙ってしまった。
「よく考えてみることだ。もうすぐお前も成人する。そろそろ夢みたいなことばかり考えるのはやめなさい」
リィスバル王国では十七歳で成人となる。ディールは十五歳。成人まであと二年だ。
「今日はもう休め。お前も長旅で疲れているだろう。話ならまた明日聞いてやる。一晩休めばお前も頭が冷えるだろう」
いかにも話が分かる父親であるかような言い様に、ディールの中に今まで感じたことのない苛立ちが生まれた。三年前にはなかった感情だ。ベルデスに魔術師になることを反対された時も、悲しい気持ちになることはあっても苛立ちを感じることはなかった。
「分かりました。でも、僕は魔導師になることを諦めません」
「……その話はまたしよう」
やれやれと言った様子でベルデスが言う。ディールは更に苛立ちを募らせた。これ以上、話しても無駄だ。そんなふうに考え、ディールは書斎を出て行く。
「そうだ」
出て行く息子の背中に向けてベルデスが思い出したかのように言う。ディールは立ち止まって振り向いた。
「手紙にはウォールロック殿が、お前に会いたがっていると書いていあった。トリオスまで訪ねてくるそうだ」
「ウォールロック様が?」
ケデルの家で数回会っただけだ。自分に何の用事があるのだろう。メリッサの件についてはケデルの手紙でも不問とすると書いてあったはずだ。
ディールは不安を抱えながら書斎を後にした。
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