少年は魔法を使う

第6話 〝術試し〟

 ケデルの家の広間リビングには六人の人間がいた。大きな木の机を囲うように座っているのが四人。

 ケデルとアッガス。その後ろにはヘジデとディールが立っていた。

 向かい合うように座っているのはローブ姿の老齢の男とディールと同じくらいの年頃の少女だった。


 老齢の男の方は白髪を撫でつけ、長く伸びた顎髭も同じく白かった。青みがかった灰色の瞳を持つ目は鋭い。しかし浮かべる表情は穏和であり、好好爺といった印象を与えてくる。

 ケデルの師匠である大魔術師アーチメイジウォールロックだ。

 少女の方は鮮やかな金髪の髪を後ろに結い上げ、青い瞳で美しい顔立ちをしていた。吊り上がり気味の目と固く結ばれた口元からは意志の強さを伺わせる。細い革のベルトを腰に巻いたダルマティカの上にケープを纏っていた。女性の魔術師によくみられる衣装だ。

 しかしケープにもダルマティカにも細かい刺繍が施されており、一見して高価な衣装であることが分かる。

 ウォールロックの弟子であり、トスタ領を治めるグートバルデ伯爵の次女メリッサだ。


「師匠、よくおいで下さいました」


 ケデルが頭を下げる。ウォールロックはそれを見て頷いた。


「お主のたっての頼みとあってはな。儂の弟子の中でも頭一つ抜けておったお主の眼鏡に叶った弟子なら、見てみとうもなる」


 そう言ってウォールロックはアッガスの方を見た。アッガスは緊張した面持ちで頭を下げる。メリッサの方は、ケデルを睨みつけるかのように見ていた。


「そちらが例の?」


 視線に気づいたケデルがウォールロックに問いかける。


「うむ。グートバルデ伯が次女メリッサじゃ。魔術の才能はなかなかじゃが、少々自惚れが強くての。手を焼いておる」


 ウォールロックの言葉がまるで褒め言葉だとでもいうように、メリッサは挑戦的な表情を浮かべてケデルを見る。そして立ち上がると、ダルマティカの裾を摘むようにして挨拶をした。


「初めまして。メリッサ・グートバルデと申します。ケデル様のことはお師匠様からよく話を聞かされております」

「ご丁寧に。クラウブルの魔術師、ケデルです」


 ケデルも立ち上がって礼を返す。そして同時に立ち上がったアッガスに視線を向ける。


「こちらは私の弟子のアッガス。後ろにいるのが同じく弟子のヘジデとディールになります。試験の間は、後ろの二人がメリッサ様のお世話を致します」


 三人ともメリッサに向かって礼をした。だが少女はそれを無視する。そしてケデルを真っ直ぐに見つめたまま口を開いた。


「ケデル様。いきなりで申し訳ございませんが、わたしと〝術試し〟をしていただけませんか?」


 言い方は丁寧だが、その表情は相変わらず挑戦的だ。

 アッガスとヘジデが気色ばみ、ディールは驚いた表情を浮かべた。〝術試し〟とは魔術師同士で行う力比べのことだ。初対面の魔術師に〝術試し〟を申し込むことは喧嘩をふっかけることに等しい。

 申し込まれたケデルは表情を変えることなく、ウォールロックを一瞥する。目が合った瞬間、ウォールロックは頷いてみせた。そのやりとりは、まるで二人が今の状況になることを知っていたようだった。


「……分かりました。ですがこちらはアッガスを〝術試し〟に出します」

「先生!?」


 ケデルの言葉にアッガスが驚く。メリッサはきつい視線をケデルに向け、口を開いた。


「わたしが〝術試し〟を申し込んだのは貴方よ。ウォールロック様の弟子であるわたしと兄弟子である貴方が〝術試し〟をするのが順当ではないの?」


 アッガスが格下だと言わんばかりの言い様だが、ケデルの表情は動かない。


「このような辺境の街では他の魔術師と〝術試し〟をするなど滅多にあることではありません。どうか私の弟子に胸を貸してやってください。その後でまだメリッサ様に余力がおありでしたら、私がお相手させていただきます」

「っ!」


 ケデルの言葉に、今度はメリッサが気色ばんだ。ケデルは言外に言ったのだ。メリッサの相手は、弟子であるアッガスで充分であると。


「いいわっ。すぐに終わらせてあげるから、首を洗って待ってなさい」


 取り繕おうともせず、メリッサは敵意をむき出しにしてケデルを睨んだ。


「外に呪紋陣じゅもんじんを用意いたしますので、しばらくお待ちください」


 ケデルは涼しい顔をして踵を返す。


「先生」


 アッガスが慌てた様子でケデルを追いかける。


「すまぬな。アッガス。メリッサ様と〝術試し〟をしてくれ」

「そんな。俺は……」

「いつものようにやれば大丈夫だ。相手が貴族であることは気にするな。あくまで魔術師同士の〝術試し〟。遠慮は無用だ」


 不安そうなアッガスを見て、ケデルはニヤリと笑ってみせた。


        ☆


 中庭に呪紋陣が二つ、距離をとって向かい合うように描かれていた。

 〝呪紋じゅもん〟とは呪文を図案化して描いたもので、よく見ると文字によって紋様を形作っているのが分かる。その呪紋を複数並べて魔術的な機能を造り出したものを呪紋陣という。形は様々。基本形はあるが、呪紋陣を描く魔術師により違いがでる。

 それぞれの呪紋陣の上にアッガスとメリッサが立つ。ケデルが描いた呪紋陣は真円を形作るようにいくつもの呪紋を並べたものだった。


「今回の〝術試し〟は障壁破り。数は一枚。障壁の耐久は双方同じとする。魔術による防御は可……異議は?」


 向かい合う二人の間に立ち、ケデルが言う。


「ないわ」


 メリッサは声に出して返事をし、アッガスは首を横に振ってケデルの問いに答える。アッガスの方はメリッサを見ているが、彼女は対戦相手ではなくケデルを見ていた。


【展開】


 二人が同時に呪紋陣の起動用に設定された言葉を言う。口から出るのは魔力を帯びた声だ。足元の呪紋陣が輝きそれぞれの頭上に一枚、カードのような光が現れた。透明で青く輝く魔力の障壁。

 それを見てケデルが下がる。その横にはウォールロック。少し離れた場所にヘジデとディールが立っていた。


【我命ず。其は穿つ炎なり。鋭く螺旋を描くものなり。触れるものを真直まなおに貫く】


 最初に仕掛けたのはメリッサだった。魔力を帯びた声が四節の呪文を紡ぐ。魔力は呪文により形を与えられメリッサの前に具現化した。

 方錐形の炎が回転しながらアッガスの頭上に浮かぶ魔力障壁へと迫る。


【我思う。汝は渦巻く風なり】


 対するアッガスの口から出たのは二節の呪文。メリッサの放つ方錐形の炎の前に忽然と風が生まれた。それは炎を包み込み、あっという間に霧散させる。


「なっ!?」


 そのあまりのあっけなさにメリッサが思わず声を上げた。


「ほう。四節の呪文を二節で上書きしおるか。お主の弟子、やるのう。一撃で破壊するつもりで放った呪文が、ああも簡単に破呪レジストされれてはたまらんじゃろうな」


 己の弟子の劣勢を面白がるようにウォールロックが言う。その言葉を裏付けるように、メリッサの表情は硬い。

 魔術とは呪文により魔力に形を与えるすべだ。節を重ね、より詳細に定義することで魔力は堅牢な現象となって具現化する。メリッサの呪文は四節。威力も精度も問題ない。


 これに対しアッガスの放った呪文は二節。しかもその呪文でメリッサの起こした現象を防ぐのではなく、上書きする破呪レジストを行った。相手より少ない節の呪文で破呪レジストするのは、相応の力量差がないと難しい。

 メリッサには〝術試し〟を始める前の生意気な様子はなかった。


【我思う。汝は穿つ炎なり。強く鋭く全て貫く】


 今度はアッガスが呪文を放った。炎が伸び槍のようになってメリッサの魔力障壁へと迫る。


【我命ず。其は爆ぜる風なり。全てを弾き消し去るものなり】


 メリッサの呪文に応じて風が生まれる。風は炎の槍をかき消そうと爆発した。しかし炎の槍は多少、その姿を小さくしただけで消えることはなかった。

 炎の槍がメリッサの魔力障壁にぶつかり消える。障壁に亀裂が入った。


【我思う。汝は穿つ炎なり。強く鋭く全て貫く】


 それを見て、即座にアッガスが呪文を放つ。先ほどと同じ炎の槍が亀裂の入った障壁めがけて飛んでいく。


【我命ず。其は守る氷なり】


 自分には破呪レジストできないと悟ったメリッサが、咄嗟に炎の槍を防ぐための呪文を二節で唱えた。欲を言えば三節以上欲しかったがそれでは間に合わない。

 いくつも六角形が組み合わさった氷の盾が、魔力障壁の前に現れた。そして炎の槍を受け止める。だがそれも僅か。すぐに氷の盾は炎の槍に貫かれる。


「そんなっ!」


 氷の盾を貫いた炎の槍は、そのまま魔力障壁をも貫いた。亀裂がさらに増え、メリッサの魔力障壁は粉々になって消える。


「そこまで!」


 ケデルが〝術試し〟の終了を宣言する。二人の足元にあった呪紋陣がその輝きを失う。アッガスの頭上に残っていた無傷の魔力障壁も同時に消えた。

 アッガスがほぅとため息をつく。緊張の糸が切れたように表情が和らいだ。

 メリッサの方は俯き、両の拳を握って肩を震わせている。


「メリッサよ」


 ウォールロックがメリッサに近寄る。老魔術師ろうまじゅつしの声に、少女は大きく肩を震わせた。


「なぜ負けたのか、理解できるか?」


 それに答えることなく、メリッサは顔を上げウォールロックを睨み付けた。更に口を開き何か言いかけ、結局なにも言わずに口を強く引き締める。その目には涙が溜まっていた。

 そしてすぐに踵を返してその場を走り去った。


「やれやれ。少しは薬になったじゃろう」ウォールロックがアッガスの方を向く。「アッガスとやらすまなかったの。〝術試し〟にお主を出すように頼んだのは儂じゃ。ケデルを恨まんでやってくれ」

「恨むなんてそんな」


 アッガスが恐縮したように言う。そして何かに気づいたように口を開いた。


「もしかしてメリッサ様が〝術試し〟を先生に挑んでくると分かっていたのですか?」

「あれは才能に恵まれておるが、自惚れが強くての。連れてくれば兄弟子にあたるケデルに突っかかるじゃろうと思っておった。お主の卒業試験に呼ばれたのを幸いとみて、お灸を据えるのを手伝ってもらったわけじゃ」

「でも俺が負ける可能性もありました」

「ケデルの見込んだ弟子じゃ。簡単に負けるとは思うておらんわ。のうケデル?」

「はい。アッガスならどこに出しても問題はありません」


 ケデルもアッガスたちの所までやって来た。師匠の言葉にアッガスは照れた表情を浮かべる。


「ところでお主、卒業したらどうするつもりじゃ? 王都の魔術学院を受けるのか?」

「いえ。故郷に帰って村付きの魔術師になります」

「そうか。お主ほどの実力があるのに村付きとはもったいないのう」

「そう思うのでしたら、師匠から呪文を一つ授けてやってください」


 ケデルの言葉にウォールロックが頷いて見せる。


「うむ。儂の試験に合格したら呪文を一つ授けよう。さて、メリッサの様子を見に行ってやらねばな」


「明日から二日間、よろしくお願いします」


 家の中へと去って行くウォールロックの背に向かって、ケデルが声を掛けた。老魔術師ろうまじゅつしは片手を上げてそれに応える。


「アッガスさん、さすがです!」


 ヘジデが駆け寄って来た。その顔は興奮の余り紅潮していた。アッガスがヘジデに笑顔を向ける。

 ディールは少し離れた場所でそれを見ていた。ディールもアッガスとメリッサの〝術試し〟を見て興奮していた。アッガスが勝って嬉しくもあった。

 だが同時に寂しさも感じていた。呪文を使えない自分は、アッガスのそばに行く資格がないような気がして。

 ディールは興奮して色々と話しかけるヘジデと相手をするアッガスを、ただ見ていることしかできなかった。

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