全地獄対応版納税のススメ

飯田太朗

第1話 悪魔

 俺は退屈していた。

 クラス。教室。みんな思い思いの時間を過ごしている。雑談をする者、教室の端でバレーボールを突きまわす者、黒板に何やら書く者、読書に夢中になる者。


 俺はそのどれにも属していない。俺は教室の隅、机の上で丸くなっている。腕を枕にして突っ伏すようにして寝ている。……いや、厳密には寝ているフリをしている。


 田中聡。それが俺の名前。た行。四月の、新学期が始まった頃こそ教室の真ん中にいられたが、あの時は地獄だった。俺がトイレに立った隙、俺がロッカーに教科書を取りに行った隙にクラスの人気者が俺の机を占拠しおしゃべりに花を咲かせる。俺の居場所がなくなる。仕方なく、何をするでもなく教室の外でただ立ちつくす。そんなのが三カ月くらい続いた。席替えをしてようやく教室の端に移動できたが、その頃にはもうみんな仲良くなっていて、友達ができているようだった。しかし俺には友達はできなかった。理由は分からない。今も、分からない。


 高二。世の中的には「青春真っ只中」とされる時期だ。高一の頃ほど幼くなく、高三の頃ほど忙しくない。やりたいことをやるなら今。そんな時期だ。


 でも俺にはやりたいことはなく……厳密に言うと「やりたい」ことはあるのだが……勉強ができるわけでもなく、スポーツに打ち込めるわけでもない。ただ毎日学校に行って、みんなに無視されて、授業中も休み時間も寝て、時間だけを過ごして家に帰り、自分の部屋でゲームをするわけでもなく、勉強をするわけでもなく、本を読むわけでもなく、ただボーっと過ごしている。そんな生活を送っていた。何の為に生きているのかは分からない。母も父も何も言ってこない。何なのだろう。俺の人生。


 いじめられている、と言えばそうだろう。俺はクラスの連絡網に入れてもらえていない。配布物を配る時も俺に手渡す女の子は心底嫌そうな顔をする。シャーペンを落としても誰も拾ってくれない。踏まれることすらある。


 分かりやすく言うなら、俺はサンドバックだ。どんなに殴っても文句は言わない。ただそのパンチが、物理的な目に見えるパンチじゃなくて、無視とか、悪口とか、そういう目に見えないパンチになって俺に迫ってくる。俺がクラスでどんなあだ名をつけられているのかは知らない。でも多分碌なものじゃない。


 嫌気は、さしていた。こんな生活抜け出したいとも思っていた。しかし俺の机がある場所の近くはちょうど柱があって窓の外も見えず、半ば監獄のような暗さの中過ごしているしかなかった。その場所は俺しか好まない場所であったし、俺にお似合いの場所でもあった。


 帰り。俺は真っ直ぐ家に帰らない。母が心配するからだ。母の認識では、俺は何らかの部活に所属していて、帰りが遅い、ということになっていた。だから午後四時に学校が終わってからまっすぐ帰って五時頃家に着くと驚かれる。部活は、と訊かれる。やってないとは、言えなかった。母の中では高校時代イコール部活である。その常識を覆すのは難しい。


 しかし学校にいるとまた目に見えない暴力で傷つけられる。仕方なく、俺は学校から離れた公園に行く。ベンチに座ってぼんやりする。何かを考えるわけではない。ただ、ボーっとする。


 六時。日が暮れる。公園は暗くなる。そろそろだな、と思い俺はベンチから立ち上がる。公園には遊歩道がある。そこをぐるりと一周してから俺は家に帰ることにしている。その日もそうだった。ただ、俺は誰の目にも触れず、誰にも声をかけられず遊歩道を歩く……はずだった。


「おい」


 唐突に声がした。でもそれが俺に向けられたとは思わず……まぁ、実際俺に向けられたとは分かっていたが、俺なんかに、という疑問の方が認識を捻じ曲げてしまった……俺は歩いてその場を去ろうとした。その時だった。


「話聞けよ」


 ぱちん。と声の主が指を鳴らした。途端に俺は、さっき歩いたはずの場所に戻されていた。まるで時間が遡ったような、不思議な状態だった。


「え……え」


 俺は混乱する。すると声の主がまた話しかけてきた。


「俺がこれから美味しい話をお前に持ち掛けようっていうのに、逃げることはねーだろ」


 声の主。それは、遊歩道脇にある植え込みから出てきた。


 猿。第一印象はそれだった。小さい。でもよく見ると脚が山羊とか羊のそれだったし、頭に角も生えていた。くねくねと動くしっぽ。猫背なのか曲がった背中。小さな羽。明らかに、俺の知っている生き物ではなかった。


「ビビるなよ」


 そいつはそう笑った。何故か言葉を話せる。俺は、人間以外の生き物が言葉を使っている場面に出くわしたことがなかった。だから驚いた。口を、パクパクさせていたと思う。


「見て分かんねーか」


 そいつは両手を広げて自ら姿を俺に見せてくる。俺は答える。


「わ、分かりません」


 するとそいつはやれやれ、という顔になってからため息のように言葉を吐いた。


「俺は、悪魔だ」


 その生き物はポリポリと頭を掻いた。普通なら一発で分かるんだがな。そうも続ける。


「妄想や幻覚の類じゃねぇ。お前ら人間の中には、頭をやっちまって俺のことを病気が見せている幻覚だと思う奴が一定数いるが、違う。俺は真面目に、悪魔だ」


「あくま」


 するとそいつは頷いた。


「そう、悪魔だ」


 にやりと笑う。鋭い牙が覗いていた。あれで舌噛んだら痛そうだな。俺は呑気にそんなことを、思った。


「悪魔って、地獄の」

 俺は訊ねた。悪魔は頷く。

「そう。地獄の」

「悪いに魔って書く奴」

「そう。悪いに魔で悪魔」


 お前頭いいな。悪魔はそんな皮肉を言う。


「で、だ。さすがにお前でも分かると思うが、俺が現れた、ということはお前にとってチャンスだ」


 意味が分からない。俺は首を傾げる。


「俺、死ぬのか」

 すると悪魔が笑う。

「俺は死神じゃねーよ。お前を殺しはしねぇ」


「チャンスって、何がチャンスなんだ」

 悪魔は再びにやりと笑った。

「そらもう、あれよ」


 あれがどれか分からない。すると俺の察しの悪さに嫌気がさしたのだろうか、悪魔はまた、やれやれ、という風に上を向くと……その仕草は俺がよく教室でされる態度でもあったが……口を開き、言葉を紡いだ。


「しょうがねぇ。お決まりのセールストーク言うからよく聞けよ。俺、本当はこのセリフ嫌いなんだけどなぁ。お前馬鹿だから、これ言わねぇと分からねぇだろ」


 それから悪魔はごほんと咳ばらいをしてから続けた。


「お前の望みを言え。どんな望みも叶えてやる。お前が払う代償は、たった一つ」

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