二 章

翌日になって、早朝から翡翠の研磨をする職人たちのいる工房を訪ねたヌナカワは、昨日採ってきた翡翠を職人に預け、工房を見て回っていた。

「イトヒコ、この玉はとても良い出来だな」

イトヒコと呼ばれた初老の職人は、嬉しそうに笑った。

「姫さまにお褒めいただけるとはありがたい。この玉は姫さまが以前採ってこられたものでございます。大きくて、混ざり物のないものでしたので、これほど美しく磨けたのでございます」

明るいとろんとした緑色の石が、勾玉の形に磨き上げられている。大きさは親指の先ほどあって、かなり大きい。上手に穴が開けてあって、すぐにでも身を飾れそうだった。

「イトヒコ、頼みがあるのだが…。そのう、これを首飾りに仕立てては貰えぬか?」

「おお、もちろんでございますよ。今日中にはお納め出来ますので」

笑顔で請け負うイトヒコに、ヌナカワも笑顔になって、

「では頼む。夕刻には取りに参るゆえ」

ヌナカワは己れが不思議であった。

見ず知らずの青年と何故か再会の約束をしてしまった。言い出した自分も不思議だったが、なんの疑問も抱かずに頷いた青年も不思議だった。

(身分のありそうな方だったけれど…)

身なりもきちんと整っており、何よりも物腰が優雅だった。美丈夫ぶりもかなりのものだった。

(お声が、とても麗しかった)

ヌナカワの脳裏に青年の声が蘇る。

「私だけのものにしておきたい」

そう青年は言った。

知らず知らずため息をついて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

「姫さま!大変でございますぞ!」

サガワヒコの大声が物思いの時間を途切れさせる。ヌナカワは驚いた顔で腹心の部下に向き直った。

「どういたした?ずいぶんと慌てているが」

「慌てずにはおられませぬ…姫さま、あのお方、大変なお人ですぞ」

サガワヒコのただならぬ様子にヌナカワも緊張する。

「昨日訪ねていらした方のことね」

サガワヒコはただ数回頷いた。

「あのお方は、根の国の王、大国主大王(オオクニヌシノオオキミ)さまでございます!」

「え…っ!?」

オオクニヌシノオオキミ。高名なスサノオノオオキミの跡を継いで、王になったという。王になると同時にスサノオの娘のスセリヒメと結ばれて、オオクニヌシという名を賜ったという。


ヌナカワの脳裏に謎めいた昨日の青年の姿が浮かんだ。

(なんと…オオクニヌシさまだったとは)

(それならばいろいろと合点がいく)

元々賀という国の王子であったが、優秀過ぎて異母兄弟に疎まれ、何度も暗殺されかかったという。母が命がけで国から脱出させ、巡り巡って根の国に行き着いたという、まるで生きながら伝説のような王であった。

「オオナムチとは、まだ故郷にいた頃のお名前だそうで、根の国出身の宮人が存じておりました」

「そうか…」

ヌナカワはサガワヒコを残して、部屋を出ようとした。それをサガワヒコが目の前に立ち塞がり、させまいとする。

「いかがした?」

「姫さま、申し上げたきことがございます」

いつもバタバタした印象のサガワヒコが、直立したまま押し殺したような声で言う。ただごとならぬ様子に、ヌナカワは足を止めた。

「言うてみよ」

「…姫さま、オオナムチさまは、お妃さまがおられるお方。しかもお妃さまはかのスサノオオオキミの姫であらせられるお方。おそれながら、このスセリヒメさまとのご結婚がなくば、オオナムチさまは根の国の王にはなられなかったお方です」

ヌナカワは黙ってサガワヒコの言葉を聞いていた。

「姫さまはどうあっても、お妃さまにはなれぬのですぞ。それでも…」

サガワヒコは我がことのように悔しげに言った。

「それでも、オオナムチさまの求婚を受け入れるおつもりか…」

ヌナカワはうっすらと微笑んで頷いた。

「私ははなから妃に上がるつもりなどないのだ」

「では、ではなぜ!」

サガワヒコの声は悲鳴に近かった。

「私は越の国の女王。翡翠の女王と呼ばれたおなごだ。越の国と契り、国を守る神と契りを交わした女王だ。それ以外は誰とも契りは結ばぬよ」

ヌナカワは艶然と笑った。

「サガワヒコ、いつもお前にはいらぬ心配ばかりさせているな。私が男ならこんな心配などさせずに済むのだろうが…」

言ってクスッと笑う。

「おなごの心配をするぐらいがちょうどいい。威張ってふんぞり返る男なぞ、私の国にはいらぬでな」

ヌナカワはわなわなと怒りで震えている男の肩をポンと叩いて、部屋を出た。

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