第5話 迫真の演技は、誤魔化しも利く
貴子を術中に嵌めたと確信した五十嵐は、健気な態度で不安を装い、心配を掛け、不安を駆り立てる術に出た。
「ああ、有難う、待っててくれ、じゃぁ」
五十嵐は、心配・不安の種を貴子の心に撒き散らし、貴子の母性本能により発芽するのを待つだけだった。貴子の心配は日に日に増し、不安と心配は、大樹への思いへと摩り替えられていった。暇な時間があれば、ついつい大樹の事を考えてしまう。そんな自分に気づく。そんな自分が可愛くも、健気に思え好きだった。まさに、吊り橋効果を自ら作り出していた貴子だった。
五十嵐は、貴子の動揺を嘲笑うように着信を拒否し、繁華街で女を吊り上げ、風俗に売る小遣い稼ぎに勤しんでいた。
五日程経った頃、五十嵐は行動に移した。
「健太、ちょっとこいや」
「何ですか、兄貴」
「お前、特殊メイクをやってたよな」
「才能ないですよ。だから、ここに居ますから」
「まぁ、いい。殴られた感じに見えれば」
「何のために?」
「いいから、やれ」
「はい」
健太は、メイクに必要な道具を調達するとすぐさま取り掛かった。
「これで、どうです?」
「上手いじゃないか、それらしく見えるぜ」
「うおっす」
「じゃ、よりリアルにするため、俺を殴れ、手加減するなよ」
「いやいやいや、そんなこと出来ませんよ」
「仕事だ、仕事」
「仕事って?」
「お前には関係ない、やれ」
「じゃぁ、行きますよ」
バーン。
「はぁ~、そんなに俺が憎いか…、痛てぇ~」
「すいません」
「いや、いいんだ。これでいい物でも食べろ」
五十嵐は健太に二万円を渡して、事前に調べて於いた一人住まいの貴子の部屋に向かった。その途中に公園を見つけると転げ回ったり、地面に服を強く擦り付けて、メイクのリアル感を出した。
深夜、貴子の玄関ドアに何かが倒れ掛かる音がした。
「何?」
恐る恐る玄関に近づいた。ドアスコープで見ても何も見えなかった。しかし、人の気配はする。
「誰?誰なの?」
「お、俺だ」
貴子は、尋常でない大樹の声に動転し、慌てて鍵を開けた。そこには、殴られたのだろう大樹が座り込んでいた。なぜ、私の自宅を知っているの?そんな疑惑は、目の前の壮絶な光景に、あっさりと打ち消された。
「大丈夫?」
「い、痛てぇ」
「とにかく、入って」
「すまない」
冷静であれば、直ぐに分かったはずだが、事務職の貴子には見慣れない光景に動転し、真偽の判断など出来ないでいた。五十嵐は、メイクがばれないように、近寄る貴子を遠ざけながら言った。
「すまない、シャワーを借りていいか」
「ええ」
許しを得た五十嵐は、逃げるようにバスルームに駆け込んだ。傷口が剥がれないように気を使いながら、血糊や汚れを丁寧に洗い流し、少し時間を潰した。そして、バスルームから貴子に声を掛けた。
「貴子、すまない、何か着る物はないか?」
「着る物って言ったってぇ」
「何でもいいさ」
生真面目な女の独り暮らし。男に着せるようなものはなかった。辛うじてあったのがバスローブだった。
「これしかないけど」
「ああ、ありがとう。あっ、そうだ、電気を消してくれないか」
「どうして?」
「男に恥を掻かせるもんじゃないぜ」
貴子は言われた通り、常夜灯に切り替えた。部屋が暗くなるのを確認して、五十嵐はバスルームから出てきた。薄明りの中でもピチピチのバスローブに包まれた大樹が伺えた。
「ふふふふ」
「何が可笑しいんだ」
「ああ、ごめんなさい。でも、その恰好をみると…」
「ひどいなぁ」
貴子は、缶ビールをグラスに注ぎ、大樹に渡した。五十嵐はビールを一気飲みした。
「大丈夫?」
五十嵐は、慌てて口内の傷に沁みた様に痛がって見せた。暫く、悲壮感を目一杯演じて見せてから、五十嵐は、ことの経緯を貴子に耽々と語って見せた。貴子は、黙ってそれを聞いていた。
「…と言う訳で、おやじは組を抜けることを許してくれたよ」
「そう、良かったわね」
「ああ、おやじは許してくれたが兄貴がキレやがって、このざまさ」
「何て、酷いことを」
「仕方ないさ、俺が悪いんだから」
「ううん、あなたは悪くないわ、真面目になろうとしているんだから」
五十嵐は、俯くと悔し泣きを見せた。
「どうしたのよ?」
「俺、優しくされるのって、ないから」
「大樹」
そう言うと貴子は、俯く大樹を抱き寄せた。ここまでくれば、流れに任せてひとつになるだけだった。五十嵐は、貴子を一旦引き離すと激しく抱きしめた。男と女、非日常の興奮が貴子の理性を払拭した。
五十嵐の企ては見事に実を結んだ。後は翌朝、怪我のない姿を見られない様に貴子を熟練の技と体力で甚振り、疲れさせるだけだった。
翌朝、貴子が目を覚ますと五十嵐はいなかった。テーブルの上に一輪挿しがあり、そのコップの下にメモがあった。そこには、ありがとう、昨夜は嬉しかったよ。仕事を探しに行くわ。待っててくれ。後ろ指さされない男として戻ってくるまで。と書き残されていた。
貴子にとって、魅惑的でスリリングな一夜を過ごした気分に酔いしれていた。いまでも、大樹の舌が蝸牛が這うように全身を舐めまわす感触が素肌にへばり付き、股間の口が塞がらずヒクヒクと疼く残り香を堪能しながら、ベッドの側の窓のカーテンを開けた。清々しはずの陽の光が黄色く見えた。その日からというもの、大樹からの電話が待ち遠して堪らなり、体が疼く快感に陥っていった。
二、三日して大樹から電話があった。
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