第17話:信仰の街9

 泥だらけのシューと泥一つ無いオイラは、キエのところに戻った。


「あの仕事は何なんだ?」


 風呂上がりのシューはベッドに飛び込んだ。そして、オイラを睨んだ。その睨みは八つ当たりなのか、返事を待っているのか、それとも。部屋には他に人がいたので、オイラは聞けなかった。


「おい、なんか言えよ」


 シューは不機嫌に言った。いやオイラは喋るわけが行かないんだ、と言いたいが言えないから身振り手振りで示そうとした。しかし、ベッドに顔を埋めるシューには見えていなかった。


「おい、どうしたんだ!」


 声が荒くなった。いつもの大人しいシューと違う。オイラはあたふた汗をかきながら小さく声を出そうと決めた。


「お疲れ様です」


 影のようにトカが現れた。オイラは口から心臓が飛び出そうになった。シューは顔を見せた。


「トカさんですか」

「ええ」


 トカは寝転がるシューの横に座り込んだ。すこし香水の嫌な匂いがした。人間にはいい匂いなのだろう。


「狭いですよ」

「すみません。でも、この方が話しやすいと思って」


 いたづらな笑顔だった。それはシスターというよりも1人の女性だった。


「どうしたんですか?」

「今日はありがとうございました」

「いえ、とんでもないです」

「かっこよかったですよ」

「どこがですか? 僕は呼ばれるがままに行っただけですよ」

「それでもです。普通なら戸惑ったりするものですよ」

「そうですか」

「答える前に何かあったのですか?」


 トカは前のめりになっていた。シューははずかしそうにたじろいでいた。


「いえ、なんにも」

「そんなわけ無いでしょ。目が違うかったもの」

「ほんとに何もなかったのですよ」

「ほんとに?」

「ほんとです」

「昨日の2人と話していたのに?」


 シューは目を大きくした。どうしてそれを?


「見てたのですか?」

「あら。ほんとに話していたの?」

「……カマをかけたのですか?」

「ふふ。ごめんなさい」

「ええ。話しましたよ」

「それで、何の話を」

「詳しいことは忘れました。ただ」

「ただ?」


 トカは優しく微笑んだ。会話を聞くのが楽しそうだ。


「ただ、可愛そうだなと思いました。それで、僕ができることがあればと思いました」

「ふふ。優しいんですね」

「やさしいですか?」

「ええ。人って、自分のことしか考えない人間なんですよ」

「それは言い過ぎでは」

「そんなことはないわ。真実よ」

「でも、宗教者は?」

「宗教者だってそうよ。お金のため、名誉のため、自分のため。人を救うことなんか二の次よ」

「でも、あなたは」

「私もよ。人を救いたいという自分の欲望のために活動しているの」


 トカはまっすぐ目を見ていた。嘘偽りのない目だった。


「でも、それが人のためになればいいではないですか」

「そうよ。そうなの。私もそう思いながら生きているわ。優しくないでしょ」


 その無邪気な顔が怖かった。

 ……

 少し会話が途切れた。


「お仕事どうでした?」

「めちゃくちゃだね」

「といいますと?」

「なんの生産性もない仕事でした。いや、仕事と言えるようなものではありえませんでした」

「具体的に何をしました?」

「穴を掘って埋めるだけです。頭がおかしくなりそうでしたよ」


 シューは両手で頭を抱えた。確かにあれは精神的にきついものに見えた。


「それは大変でしたね」

「僕なんか一日だけだからマシですよ。あの女性はあんな仕事をずーとやらされていたんでしょ。大変ですよ」

「そうかもしれませんね」

「そうかもって、そうに決まっているでしょ」


 シューは頭から手を下ろした。トカの発言に異議を唱える。


「ところが、そうでもないんです」

「どういうことですか?」


 シューが見つめるトカは明後日の方向を見て一息をつき、シューの目を見た。至って冷静に言う。


「それによって救われる人もいるのです」


 雷が鳴った。まだ天気が悪かったようだ。


「どういうことですか?」


 シューがもう一度尋ねると、再び雷が鳴り、トコは再び一息ついた。たしかにどういうことだ?


「ここの街はね、信仰の街って言われていたの」

「いわれてい『た』?」

「そうよ、昔は今ほど働かない代わりに、みんなは熱心に祈っていたの」

「そうなんですか」

「だから、今みたいに工場地や商業地があったわけではないの。どこもそこそこの働き場所と祈る場所があったの」

「信じられないな」

「もうひとつ言うと、街の人々も今みたいにガツガツしていなかったの」

「はは」

「そんな街だったけど、あるときに不幸が続いたの」

「不幸」

「流行病、不景気、殺人、色々と起きたわ。あの時は色々と大変だったらしいわ」

「たいへんですね」

「その時の人々はそれは一生懸命にお祈りをしたらしいわ。でも、全く効果はなかったらしいの。人びとの生活は悪化するばかりだって」

「……」

「どんなに祈っても神様に救われない。そんなことが続いたの」

「それで、どうなりました」


 シューは純粋に疑問に思ったらしい。オイラも疑問だが頭が痛くなってきた。


「それであるときにある人が言ったの。『祈っていても意味がない』と」

「信仰を捨てたのですか」

「いいえ、そうじゃないの」

「え?」

「祈りの形を変えたのよ」

「形を変えたとは」

「自分に出来ることをすることを祈りとしたの」

「それは」

「つまり、働くことを祈りとしたのよ」


 オイラは耳を反応させた。話についていけていなかったが、なんとなく変なことだとは理解した。


「働くことを?」

「そう。祈りの場に来て祈ることではなく、自分の仕事を頑張ることを祈ると定義したの」

「そんな」

「まあ、長年祈っても上手くいかなかったら考え方も変わるでしょ。しかも、それ以降に不幸が止んだから尚更ね」

「それで、みなさん働いていたのですね」

「そうなの。街の人からすれば、仕事とは神様への祈りの場で有り、労働は神様への祈りになるの。だから、人々は神様の救済を得たいがために一生懸命に働くの」

「だから、信仰の街から労働の街に変わったのですね」

「一見したらそうね。でも、根底は変わっていないわ。みんな、自分のためにお祈りをしているだけなの。祈りの方法が変わっただけなの。今も昔も、人々は不安で仕方ないので、不安を取り除くために働いているの」


 オイラはひと息をついた。もう理解は無理そうだ。


「うちの犬も驚いています」

「ふふ、賢い犬ね」


 シューの冗談をトコは微笑んだ。冗談じゃないよ!


「でも、働けない人は」

「仕事のない方は、とても仕事とは言えないような無駄なことさせます。今日のあなたのように」

「あっ!」


 シューは不意に口を開けた。理解したようだ。


「ふふ。納得したようですね。もちろんお金は発生しましたよね、仕事ですもの」

「お金はいただきました」

「そして、根本的に働けないものは、ここにきます」

「逃げ込み寺みたいな役割ですね」

「そうよ。そのことは昨日説明したかしら?まあ、この場所も必要だと私は思っています」

「その根本的に働けない人とは、どういう人でしょうか?怪我をするとか」

「怪我もあるけど、一番は心の問題ね。特に、労働を祈りと結び付けない人は働けないわ。そう、昨日の女性のように」


 オイラは昨日の親子の姿を思い浮かべた。恐らくシューも……


「あの女性はどうなるのでしょうか? もっというと、ここに来た人々は今後どうなるのですか?」

「人によります。労働に戻る人もいれば、ここに居続ける人もいます」

「でも……」


 シューは何かを言おうとして一息ついた。丁寧に言葉を選んでいた。


「……でも、昨日から見ている限り、労働復帰が無理そうな方はいませんでしたよ。ここにい続けているような人は、一人として」

「あら、そう? 気のせいと思うけど」

「気のせいですかね」

「そうだと思います。そうだ、明日はいい天気になるらしいですよ」


 そう言うと手を叩きながら立ち上がったトカは、他の人々に話に行った。話はこれで終わりらしい。

 外では雨は終わりそうになかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る