気づいた時には大賢者の娘になっていた

高八木レイナ

第一章 大賢者の娘

第1話 父に会いに行きます

 広場に詰めかけている群衆の罵声と熱気が、じりじりと私にまで伝わってくる。夏の暑さよりずっと激しく、現実的に。

 斬首台の階段から引っ張り上げられ、裸足で小石の散乱する台の上に立った。

 グランディア王国の王都リコリスの町の広場だ。私は大観衆を前にして気が遠くなる。

 集まってきていた人々は私の死を前に、ある者は楽しげに、ある者は痛ましげな表情を浮かべていた。

 けれど、どうでも良いという空虚な気持ちになる。どうせ私は死ぬのだ。


「フィオナ。最後に何か言い残すことはあるか?」


 私の隣でそう言ったのは、かつての婚約者──王太子ラインハルトだった。

 私は渇いてひび割れた唇を動かそうとして、無駄だと感じて口を閉じる。

 私の言葉は、もはや彼には届かないだろう。


 私は前の王太子の誕生パーティで、彼に婚約破棄された。彼の傍らには子爵令嬢オリヴィア・ビュッサーがおり、私に冷笑を向けていた。

 本来なら私は王太子にエスコートをされるはずだったのに、彼はいっこうに姿を現さず、仕方なく一人で会場に来てみれば、彼はオリヴィアと仲睦まじくしていたのだ。

 ──私は彼に婚約破棄される時、まったく身に覚えのない行いを読みあげられた。周りの者達は王太子の発言を信じ切っていた。


『──ゆえに私はフィオナとの婚約を解消し、心優しいオリヴィアと婚約することにした!』


 そう王太子が告げた瞬間、目の前が真っ黒になった。

 なんで?

 ……なんで、私が?

 理不尽すぎる展開についていけない。悲しみと憎しみ、そして好きな人に裏切られた苦しさで心がいっぱいになり、私はその場に膝をついた。

 ──息ができない。

 私は大きく咳き込み、フロアの床にしがみつくように手をついた。

 私の影が大きくなる。体から黒い瘴気が立ち昇り、人々を飲み込み始めた。


『魔力の暴走だ! 逃げろっ!!』


 誰かがそう叫ぶと、辺りは騒然となった。人々がぎゅうぎゅうになった扉で、我先にと逃げ出そうと押し合う。


虹眼こうがんの魔法使いの暴走だ!』


 特に魔力のある魔法使いは七色の瞳をしており、虹眼の魔法使いと呼ばれた。

 私の闇はその場にいた人々を飲み込み、大きな爆発音と共に王都を半壊させてしまったのだ。


 ──思い出して自嘲する。

 王太子のせいだと罵りたい気持ちは勿論ある。けれど力を制御できなくて多くの人を殺してしまったのは私の責任だ。

 ふと、見慣れた顔が見物人の中にある気がして、そちらに目をやる。そこには私を早々に切り捨てた義理の両親が忌々しげにこちらを見つめている。

 乱暴に斬首台にうつぶせにされ、頭上にあるギロチンの存在を感じた。苦しい体勢も、もう気にならない。

『殺せ、殺せ、殺せ』と怒号のような民衆の声が耳に響く。

 私はそっと目を閉じた。


 ……ああ、最後に……血の繋がった本当の家族に会いたかったなぁ。


 そう願った瞬間、ガラスが弾けるような音が響いた。



 ◇◆◇



 私はパチリと目を開けて、そこがどこか分からず何度か瞬きした。

 よく見れば私の寝室だ。勢いよく起き上がる。


「生きてる!?」


 寝衣の胸元をつかんで、その手が存外に小さいことに気づいた。そして元々ささやかだった胸元はさらにぺたんこ──垂直に近い絶壁になっており、私は悲鳴をあげた。

 その声を聞いて、侍女マグラが飛び込んでくる。


「お嬢様! どうなさいました!?」


「マグラ……私の胸が……」


 私のコンプレックスのお胸がさらに消滅していることを告げると、マグラは呆れたように笑う。


「何をおっしゃってるんですか。変な夢でも見たのですか? お嬢様は、まだ六歳になったばかりではありませんか。淑女のように豊かなお胸など、あるはずがありません」


「え……」


 そう言われても信じられなかった。

 私はベッド脇の机に置いてあった鏡を手に取り、じっと覗き込む。

 そこにいたのは、六歳くらいの稀有な美貌の幼女だ。

 金髪は緩く背中まで流れている。

 光を反射して七色に輝く虹眼の瞳。大きな目、白い肌。


「わぁ……ちっちゃくなってる!?」


 柔らかいほっぺを手で包んだ。

 何度見ても、十年前の姿に戻っていた。


「えーと……えーと……どういうこと?」


 今まで夢を見ていたのか? とも思ったが、夢にしてはリアルすぎる。それに十年分の記憶がきっちりあるのだ。

 とても現実とは思えないが──私は過去に巻き戻された……らしい。

 虹眼の暴走のせいかと思ったが、時間を巻き戻す魔法なんて聞いたこともない。

 私が何故こうなってしまったのかまったく分からない。

 けれどハッキリしているのは、私が十年後に王太子から婚約破棄され、大罪人として処刑されるということだ。

 ──そんな未来、ぜったいに嫌だ。


「……どうしたら良い……?」


 私は必死になって未来を回避する方法を考えた。

 やはり、魔法を暴走させたのが一番良くなかった。魔法使いとして学んできたけれど、制御の練習が足りなかったのだろう。


 ──王太子の婚約者にもなりたくない。


 政略結婚で婚約させられたとはいえ、当時私は王太子にほのかな憧れを抱いていた。その思いは婚約破棄されたことで、もはや完全に消え失せていたけれど。

 今はもう、あんな未来になるくらいなら王太子と会うのも嫌だ。

 けれど王家の縁戚になりたい義両親は、このままだと私を王太子の婚約者にしようとするだろう。


 ──本当のお父さんに会いに行こうか。


 私は処刑される前、私の出生の秘密について義母から罵り言葉と共に聞かされた。

 私がこれまで両親と思っていた二人とは血の繋がりはなく、私の実の父親は大賢者だと言われるアガルト・リッターだという。

 彼は王都から少し離れた【魔の森】に住む、偏屈で冷酷な男だと言われている。

 けれど町の宿屋の看板娘だったジェーン・ボーランと一夜の恋に落ち、彼女は私を出産。母は一人で育てて行くことにしたらしい。けれど彼女は流行り病で私が三歳になる前に亡くなった。

 母の友人──というより、ほとんど知り合いに近かった義母が私を引き取ったのには理由がある。

 義母はブラウン伯爵と不倫関係にあったが、後妻にはしてもらえず数年前に振られてしまった。

 しかし諦めきれなかった彼女は伯爵夫人を階段から突き飛ばして密かに殺し、私を伯爵と自分の間に生まれた子だと偽って再び彼の前に現れた。

 私が希少な虹眼の瞳を持っていたこともあり、義母は伯爵夫人の後釜になることができたのだ。


 それから私は伯爵家の娘として育てられた。

 だが、私が本当の娘ではないためか、義母からは冷遇された。伯爵も私に冷淡だった。もしかしたら、伯爵は私と血の繋がりがないことに気づいていたのかもしれない。──今になって振り返ってみれば、そう思う。

 虹眼を持つ娘なら、王家だって放っておかない。力のある魔法使いなら一個中隊、賢者と呼ばれる者なら一個師団相当の力を持つと言われている。だから、ただの政略の駒として利用されただけなのだろう。


 私は拳を握りしめ、今晩家を出よう、と決意した。



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