第24話

二十六、

 シナハは、つい今しがた傭主やといぬしの喉元に刃を突きつけていた相手がどうしても受け入れがたいらしく、三人を房室へやに通すとさっさと出て行ったが、茶はしっかり給仕していった。

可兌カタイから国許くにもとに呼びよせられたもののーーあの奉納仕合以来、特にすることもなく、無聊ぶりょうをかこっておりましてね」

 そんな周りの様子など目に入らぬようで、少年はのんびりと語りだした。

「てっきり父上の警護か刺客あんさつしゃでもらされるのかと踏んでいたのですがーーお呼びがかからなくて」

 いうことがいちいち物騒だ、とラムルは心ひそかに呟く。アガムの美しい口もとに、苦笑が浮かぶ。

「かといって可兌カタイに戻ることも禁止されて、日がなぶらぶらと過ごしておりました」

 あけすけな話ぶりには、こちらのほうが苦笑したくなる。思った通り、国を揺るがすような秘事も、少年にとっては暇つぶしとかわらないようだ。

 そんなアガムが、父親の黒獅子候ウルス・ライゴオルに呼びつけられたのは、王弟アデル候が新太守の座に就いてから十日余り経った頃だった。


「おぬしに、やってもらいたいことがある」

 居室で、ながいすに大儀そうに横たわったウルスは、そう口火を切った。病を得て体こそ小さくなった気がするものの、炯炯けいけいたる眼光はいまだ衰えていない。

「父上が、ただ顔を見るために戻って来いと仰るわけはない、と思っておりました」

 己の若いころによく似た末子の言いように、にやり、と不適な笑みを浮かべると、ウルス・ライゴオルは次のような話をはじめた。

 目下、宮城内の一部では、前太守に毒がすすめられていたという噂が囁かれている。毒飼いの首謀者としては、太守が身罷みまかられたのち、もっとも得をした人物、すなわち王位に就いた王弟アデルと、実権を握った黒獅子候が真っ先に上げられているのだという。

「だが、わしは身に覚えのないはなしでの」

 ウルスは感情のない眼で息子のかおを覗き込んだ。アガムもまた、父の眼を見つめ返した。

 老いた獅子の瞳には、なんの色も浮かんではいなかった。アガムはひとまず父の話を信じることにした。

宮城きゅうじょう内では赤獅子めを中心にして、事件を洗い直そうとしておる。御史台ぎょしだいを動かしてな」

「ではいずれ事の真偽が明らかになるのではございませんか」

 ウルスは皮肉っぽい笑いを見せた。

「真偽か。なにが真実まことなのか、天神エフリアのみぞ知る、だ」

「ふむーーで、わたしのお役目とは」

 む、とウルスは重々しくうなずいた。

「陛下弑逆の真相をつかむのだ。彼奴らに先んじてな」

「わたしに探索の真似事をせよと?」

「初めてではあるまい? 可兌カタイでひと働きしたと聞いておるぞ」

「……」

「急を要するが出きる限り独りでやるのだ。銀子かねはいくら使ってもかまわん。ただし派手にやり過ぎて目立つなよ」

「ーー御意」

 こうしてアガムは、黒獅子候の命により、事件の探索に任ぜられることとなった。少年はひとまずの取っかかりを、太守の殺害方法に置くことにした。

 毒殺には様々な手段があるが、死亡時の様子から推して、速効性の毒物を一度に投与したというより、遅効性のものを一定期間少量ずつすすめていた可能性が高い。そう仮定するなら、やはりじかに口に入るものがもっとも疑わしい事になる。一番確実だからだ。

 アガムは手はじめに鬼役どくみやく、配膳係、厨師りょうりにんたちの身元を洗った。

 結果は、監察御史の調べを追認するだけだった。つまり疑わしい点は見出せなかった。アガムは言う。

「彼らは機会という点においては充分すぎるほど持っておりました。ただ、犯行をするには、実際に毒物を手に入れなければなりません。ですがそれを手に入れた形跡が一切見当たらなかったのです。彼らに接触して毒を手渡した者も発見できない。何より彼らには動機が無い」

 第一弾を空ぶったアガムは、特に気落ちはしなかったが方向転換を迫られた。毒は別の方法で投与されたのだろうか。あるいは気づかずに見逃していることがあるのか。

 そんな矢先、ハーリムが失踪しガイウスが殺害された。

 御史台の監察御史たちは、一気にハーリムとガイウスの共謀説に傾いていった。が、アガムの考えは少し違った。

 仮に監察御史の言うとおり、薬に毒が混入されていたとしよう。

 王の侍医団十人のうち、町医者のハーリムをのぞけば、残りは全てアシド家の医師である。陛下の薬を直接調合する役目を任せられているのが侍医団長のカリムということを考え併せれば、薬に毒を入れる機会が多いのはむしろアシド家の医師の方ではないか。ハーリムの失踪という都合のよい出来事にさえ目をつむれば。

 そこでアガムは、アシド家の医師たちについて、その身分や出身、財政状態まで徹底的に調べ上げた。するとひとつの事実が浮かび上がってきた。

「巧妙に隠蔽されてはいましたがーーその中の一人が、賭場とばで大きな借金を抱えていることがわかったのです」

「それは誰です」

 サラが訊いた。

「実は……アシド家の当主、侍医団長カリムその人です」

 なんと、と思わずラムルは声を洩らした。

 カリムは半年ほど前から、ご禁制の隠し賭場とばに出入りするようになったのだという。はじめは面白いように勝ったのがのめり込むきっかけだったようだ。やがて負けがこむようになり、次第に泥沼に嵌っていった。素人をカモにする典型的な遣口やりくちだが、アガムによればこれは、おそらく仕組まれたものだという。

「隠し賭場は、神人じにんの絶えた古い廟宇びょううのなかで夜な夜な開かれているということでしたが……」

 その賭場のある里坊を聞いて、ラムルは慄然りつぜんとした。それは〈乳鉢小路〉のある里坊ーーつまり、かつてのアクバの管轄区域なのだった。

 隣でサラが、眩暈をもよおしたようにわずかによろめいた。無理もない。夢の中で、見知らぬ道を歩いていたつもりが気がついたら通い馴れた道になっていたときのような感覚に、ラムルも襲われていたからだ。

 ーーすべてがつながっていく。

 アガムの話は続く。

 カリムが借金の帳消しを餌に毒飼いの陰謀に誘い込まれたのでは、と睨んだアガムは、侍医団長の動きを見張ることにした。そうすれば、カリムを操っている者にたどり着けるのではないか。

 そうそう、とアガムは思い出したようにつけ足した。

「一度、カリムのところにこそこそと出入りする男を見ましたよ。調べたら、ハーリムの弟子のザビネという男でした」

 おそらく何かの拍子に毒飼いの事実をつかんだザビネはーーガイウス様とハーリムの会話を盗み聞いたのだろうーーカリムの名を耳にしたのだ、とラムルは睨んだ。ザビネがアシド家を恐喝したのは、シクマの言うように〈欲に目がくらんで相手を間違えた〉のではない。むしろ、脅すべき相手を脅したためあのような末路が待っていたのだ。

 張り込みを続けること数日、ザビネがカリムに接触した次の日、ようやく動きがあった。その日、カリムは人目を忍ぶように邸第やしきを抜けだすと、城内のとある旗亭りょうりやに足をはこんだ。同席した人物の身元を確かめると、驚くべきことにその男は右府の捕吏とりかたであった。

「アクバ……」

 サラがうめいた。

 カリムは、ザビネの件をアクバに泣きついたに違いない。それでザビネは口封じのために殺されたのだ。そしてその一方、カリムは自分への疑いをそらすため、自ら御史台に訴え出たのだ。

「わたしは次の標的を、アクバというあの捕吏にすえることにしました」

 というのも、借金という弱みを握られているとはいえ、カリムほどの地位にある者が、いち捕吏のいうことに諾々と従ったりするものだろうか、と疑問に感じたからだった。いいかえれば、アクバの背後にさらに、カリムが従わざるを得ないほどの人物がいるのではないか。

 アクバは、ガイウス事件の専従せんじゅうとしてその任に当たっていた。そこに上つ方にいる〈何者か〉の作意を嗅ぎとることは容易だった。

 アクバを張るうちアガムは、御史台の様子を窺うラムルに気づいて、監視下に置いたのだった。

「で、後はお話したとおりですよ。逃げ出したお二人のあとをつけて蔵身地かくれがを突き止めたのです」

 ふう、と思わず息をついた。

 すでに知っていることもあり、初めて聞くこともあった。いずれにしても、アガムの話を掛け合わせることで、事件の輪郭が徐々に姿を現してきた気がする。

「少し整理しよう」

 ラムルは考え考え言った。

「事件はこんな風に描けるのではないか……。ある人物ーー仮に『彼』と呼ぼうかーー『彼』はどのような理由でか、太守陛下の行刺あんさつを目論んでいた。『彼』は非常に慎重で、恐らく身分の高い人物だ。それは表に出ているのがアクバだけだということからも分かる。『彼』はまずカリムを博打に嵌める。カリムが賭博にのめりこんで借金で首が回らなくなったところに、アクバが餌と脅しの二つをちらつかせて毒飼いを持ちかけた」

「そこにーーハーリム医師が登場するのですね」

 アガムが言った。ラムルはうなずいた。

「おそらくハーリム医師は、カリムが毒を投与していることに気がついたのでしょう。だが相手は自分の上役で、しかも相応の地位にある男です。おいそれとは告発できない。そこで朋友ゆうじんのガイウス様に相談した」

 サラが言う。

「ガスコン小父さんが言っていた、父がひとりで調べていた事件とは多分このことね。父上は、どこまで突きとめていたんだろう……」

「分からん。だが、確実なあかしをつかむまえに太守陛下が亡くなってしまったのだと推測できる」

「どうして?」

 サラが訪ねる。

「ハーリム医師を、バソラ邨に逃がしているからだ」

「成る程ーー。確たる証拠がない状況であればこそ、ハーリム医師は重要な証人となる。だからガイウス殿は普段は近寄らないバソラ邨に寄せてまで医師を匿ってもらった?」

 アガムも首をひねった。

「でもその父上が、どうしてこの邨で……」

 サラが疑問を述べる。

「そこだよ難点は。おれには、ガイウス様が、相手と剣を交えることを覚悟の上でここにいらっしゃったようにみえるのだ。まるで決闘にでも臨んだかのようだよ」

「……実は、わたしも似たことを思ってたーー」

 サラは殺害現場を訪れたとき、自分がまったく同じ想像をしたのだと言った。

 いうまでもなく、ゆえなき私闘は公儀の定法じょうほうに反する。ガイウス様がその禁をあえて破ったことには、重大な意味がある、とラムルは感じていた。だがそれが何なのかがわからない。

 それぞれがそれぞれの思いに沈んで、三人の間に沈黙がおりた。

 控えめに声がかかったのは、そのときだった。廊下にシナハが神妙な顔つきで立っていた。

「いかがいたしましたか」

 ええ、とシナハは口籠りうつむくばかりだった。どのように切りだそうか、迷っている風だった。ちらとサラの方を上目遣いに見ると、シナハは居心地悪そうにもじもじと口を開いた。

「ハーリム様のこと、黙っていて申し訳ないことです」

 ぎこちなく頭を下げた。

 サラが首をふった。

 ラムルも同じく気持ちだった。この邨の人を責める気はなかった。すべてはガイウス様の指示通りにやったことなのだ。

「気にしておりません」

 安心させるように、サラが優しく微笑む。シナハはほっとしたように小さく息をついた。話をする決心がついたようだった。

「そのう、ガイウス様のことで、もうひとつお話ししなきゃならんことがあります。それでお耳に入れておこうと思いまして……。お役に立つか分かりませんが……」

「聞かせてください」

 ラムルがシナハを促した。

 はい、とシナハは語りだした。

あたしが邨はずれで、ガイウス様をお見かけしたときのことでございますが……」

 実はそのときシナハは、思いがけず見かけた父に挨拶をしようと、いったん、父のあとを追いかけたのだという。

「何ですと!」

 ラムルは思わず声をあげていた。新しい証言であった。

草堂いおりまで着いて行ったのですか?」

 へえ、とシナハの声が小さくなった。

「あんたそれを今まで黙っていたのか」

 つい勢い込んでシナハの顔をのぞきこむと、シナハはいっそう申し訳なさそうに低頭するのだった。

「ほんに申し訳ないことですーー。ですが、あとでガイウス様があんなことになってしまって、あたしはもう怖くて怖くて生きた心地もせんようになって……」

 シナハはしどろもどろになって、ますます項垂うなだれた。だが今は借口いいわけを聞いている場合ではない。それよりも、シナハは死の直前のガイウス様を見たことになるわけで、下手人につながる何かを見ている可能性も高くなる。期待で胸が膨らんだ。

 だが聞かされたのは予想外な話だった。

「うしろから近づきますと、草堂いおりの真ん前に立っているガイウス様の後姿が見えました。ガイウス様は、ぴくりとも動かないで、じっとそこにおりました……」

 それは物思いにふけっているようにも、眼前の何かを凝視しているかのようにもシナハの眼には映ったのだという。あるいはガイウス様は自分の内側を見つめていたのかもしれない。

「それはとてもとても近寄りがてえ雰囲気でございまして……。とてもお声なんかかけられる感じじゃなくて……。そのままどうすることもできないでいますと、ガイウス様が、ぽつりと呟いたのが聞こえたんでございます」


〈ーー翼か。〉


 まるで天から降ってきた何かが、ガイウス様にそう言わせたようでもあったのだという。

「『翼』……? 確かにそう言ったのですね」

 サラが念を押した。

「へえ。なにぶん小さなお声でございましたが、あたしにはそう聞こえました……」

 結局、シナハは声をかける時宜じぎを逸して邨に戻ったのだという。この純朴な傭僕やといにんは、下手人を見たわけではなかった。ラムルは心中の落胆を隠せなかった。しかしーー。

(『翼』とは一体なんのことだろう?)

「翼、翼ーー。その『翼』という言葉に何か心当たりはあるかい?」

 ラムルはシナハに訊いた。

「それが、そうお訊ねになるだろうと、あたしも色々と頭をひねって考えたんでございますが、とんと分かりかねまして……」

 シナハは、すまなげに首をふった。

「リオ老ならば、ご存じないか」

「へえ、じつは邨に戻ってきてすぐに、旦那様にそれとなくうかがったのでございますが……」

「なんとおっしゃられたの」

 と、これはサラ。

「それが、まったくお心当たりがないようでげした」

 あたしの話はこれだけでございます、そう言って頭を下げるとシナハは、逃げるように、奥に引っこんでいった。

「翼、翼……」

 サラはぶつぶつと口の中で唱えている。見るとアガムは、眉をひそめ、難しそうな顔で黙り込んでいる。勘が働いたラムルはそこで、ズバリと訊いた。

「アガム様……何か知っておられるのですか?」

 サラは目をみひらいてアガムに視線を送った。アガムは口を開いた。

「……二、三、噂を耳にしたことがないわけではありません」

「どんな噂ですか」

 勢いこんで訪ねると、それは……とアガムが珍しく逡巡した。

「どうなされました?」

「いや……わたしが聞いたのは、『翼』という誰も目にしたことのない幻の剣があるという中身なのです。かなり曖昧な風言風語うわさばなしなのですが……」

「幻の剣?」

「ええ。いわゆる秘太刀ひだちという奴です」

 なるほど、それならばアガムの困惑のわけも分からないではない。剣士でないラムルにもそれで得心とくしんがいった。

 幻の絶招おくのてといったものは、武芸ーーことに名流、名人のあるところには必ずといっていいほどついて回る風言風語うわさばなしのひとつだ。しかし事実としてそのようなものが存在しているかどうかはいささか疑わしい。ガイウス様のようなかけ値なしの強さをみていると有り得ない話ではないと思う一方、巷間せけんに流れているほとんどは、ちょっとした出来事に尾ひれがついて話がひとり歩きしたような場合が多いのでは、という気がする。そもそも剣者けんじゃが、秘奥の技が〈ある〉ことを表にさらすだろうか?

 が、アガムの次の言葉はラムルを驚かすに充分だった。

「しかも、それをつかったといわれているのは、カルロッツアーーラウド・アルサム殿なのですよ」

「何ですって!」

 サラが驚きの声を上げた。

「もしも……もしもそれが本当ならば……。父を葬ったのは祖父の剣ということに……」

「サラ、滅多なことを言うもんじゃない」

 サラをたしなめつつもラムルは、暗闇の中で朧気おぼろげに見え隠れしていた下手人の姿がにわかに立ち現れてきたように感じたのだった。顔の見えなかったその影は、いまや剣聖ラウド・アルサムの姿になっていたーー。

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