第4話 佐野原邸
俺は当たり障りのない質問をしていった。
「佐野原さん――アイさんは当時大学生でしたよね。なぜお姉さんのマネージャーを買って出たのですか」
「大したことはありません。姉は大人しくて人と関わることはあまり好きじゃありませんでした。できるだけ信用できて、ある程度暇がある人物として、私がなっただけです」
「それでも、学業と芸能人のマネージャーを両立するというのはなかなか大変だと思いますが」
「はい。ですが、姉は普段はそれほど手のかかる人間じゃありませんでした。自分で選ぶことはできます」
アイの答えは淡々としたものだった。
他にもデビューのきっかけはなんだったのかとか、映画に抜擢された時の心境などを尋ねる。アイもそれに対して、ときおり考えに詰まりながらも流暢に答えていった。その言動におかしなところは見つからない。
俺のインタビューは、あくまで佐野原アイ個人へのものだ。だが、そもそも芸能人ではないアイが何故インタビューを受けたのかも疑問が残る。
これにも理由があるんだろう。
ひとつめは、世間で勝手に想像されていることに対してノーを突きつけることで、真実を広めたいという願い。
確かに、最近はデマや適当な記事があっという間に広がることも多い。センセーショナルなタイトルや抜粋で注目を集めるのは、マスコミじゃありふれたやり方だ。記事を読めば大したことは書いていなかったり、記者の憶測だったり、一部の切り取りだったりする。ところが最近では、記事を読まないままタイトルだけで判断したり、深く考えないまま判断する人間が多数いる。そこにネットが加われば、どんな醜悪な記事でもあっという間に広まるのだ。そのくせ修正に関しては面白くないため広まらない。
もうひとつは、そもそもこれ自体がプロモーションの一環という可能性だ。
北條小百合の引退、それ自体が――つまり、引退したという事実まで含めて――北條小百合のプロモーションのひとつだった、という可能性。
まあ可能性の話をするなら前者のほうがでかいかもしれないが、北條小百合のことだ。何があってもおかしくない。俺が思いもよらない理由があるのかもしれない。
つまり、デマを払拭したいにしろ、これ自体に意味があるにしろ――広めてくれるなら誰でも良かったのだ。
だが、俺を選んだのは失敗だったな。
ライターなんて誰でも同じと思ったのだろうが、俺はそうはいかない。
しかし、こんなつまらない質問をしてくるだけなんて、向こうも思ってもいないだろう。
――さて、そろそろ家の中でも探ってみるかな。
「そろそろお時間ですね。長々と申し訳ありませんでした」
「いえ」
「おいとまさせていただく前に、お手洗いを貸していただけると……」
話もちょうど良いところだった。つまらない質問ばかりだったが、本題はこれからだ。俺はそう切り出した。
「いいですよ。ご案内しましょうか」
「そこまでしなくとも大丈夫ですよ」
「では、そこの廊下を出て左に行き、突き当たりで右に曲がったところです」
「ありがとうございます」
俺はにこやかに部屋を出た。
示された廊下が通された縁側ではなく、家の内側にあったのは幸いだ。ゆっくりと周辺を舐めるように観察していく。床は焦げ茶色で、年月を感じさせる。両側にはどちらも障子の閉じられた部屋がある。そのせいか日差しが入らず、薄暗い。しかもそれが突き当たりまで続いているせいで、まるでここに閉じ込められたように錯覚してしまう。突き当たりのところで右側からかすかに光が入っているので、おそらく奥に窓があるのだろう。だがそれでもすべて照らし出してはくれなかったらしい。
仮想空間じゃあるまいし、こんなところが現実に存在するほうが驚きだ。しかもこんな時代に。
まさか便所まで和式じゃないだろうなと思いながら、突き当たりを右に曲がる。目的の場所を見つけると、杞憂に終わった。
さすがに便所の中にまで監視システムは無いだろう。だから俺は、アクサスを起動させ、ひとつのアプリを動かしておいた。
その便所からの帰り道に、間違えたふりをしておもむろに少しだけ障子のひとつを開けてみた。意外にも小さな部屋で、人がいないかわりにタンスばかり置かれていた。わずかばかりの壁には二、三着の見事な着物がかけられている。きっとタンスの中身も着物だろう。
そのときだった。
――あおぞらのした わたしとおどろう……――
ぞくりとした。その小さな歌声には聞き覚えがあるような気がした。「あおぞら食堂」の中で、主人公が雨の中歌いながらはしゃぐシーン。CMで使われたことで、内容は知らなくても歌だけ知っている人が多いシーン。俺の耳にさえ残った短いフレーズの更に小さな一部分。
――まさか。北條小百合? いや、それにしては声が……。
着物部屋の障子を閉めて、恐る恐る声のするほうへと手を伸ばす。
ちょうど斜め向かいの障子だった。ぐっと力をこめて、そっと障子を開けた。
「あらまあ――どちらさまですか?」
かけられた声とその姿に、肩透かしをくらった。
和室にはベッドがひとつあり、その上に入院着を着た小さな老婆が座っていた。体に繋がっているコードは医療用機器まで伸びている。すぐに目の前の老婆の容態が良くないことはわかった。ぎょっとしたが、すぐに頭を切り替えた。頭の方はどうだろうか。
「すみません。部屋を間違えたようでして」
「どなただったかしら。すみませんね、もう覚えが悪くて――」
「佐野原さんのお婆さまですよね。お孫さんの取材に来たんです」
「アイのこと?」
ほう。孫の取材と言われて、アイのこと、ときたか。
少し吹っ掛けてみるか。
「ええ。北條小百合さんの映画は素晴らしいものでした」
さて、どんな返答が返ってくるだろう。
「まあ。あなた、映画を見てくれたのね!」
「おばあちゃん」
その声色は、やや慌てたように聞こえた。
なんとか冷静につとめようとしていたのが見てとれた。
「あら、アイちゃん」
「おばあちゃんは寝てないと」
まるで俺から引き剥がすようだった。俺は自分から部屋から離れる。よっぽど俺に知られちゃまずい事でもあるらしい。あの老婆ならうっかり口走ってしまいかねないだろう。
これは、何か引き出すなら祖母のほうかもしれない。
一旦退却と思ったが、計画を少し変更してもいい。
「すみません、部屋を間違えてしまいまして。……お婆さまですよね?」
「ええ、祖母です。三、四年ほどまえに見つかった癌が進行して、いまはあの通り。ここ半年で認知のほうも少々進んでいるので……、何か失礼な事を言ったのなら謝ります」
アイはこちらを向いて言った。なるほど、先に牽制してきたか。
よし、それならこっちにも少し吹っ掛けてみるか。
「そうでしたか。そういえば、佐野原家はむかし、日本舞踊にも携わっていたと小耳に挟みましたが」
「祖母の代までですよ」
「なら、アイさんはまったく?」
「はい」
「それはもったいない。……その代わりに、拡張現実技術研究の最先端を行ったのですか」
アイが歩みを止めた。
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