12話 ナンパ男から二人を守った
「いや〜、買った買った」
「いや、お前ゴーグルしか買ってないだろ」
同じ「いや」の二文字でも、ここまで意味合いが異なるものなのか。他にも「嫌」もあるのだから日本語は奥が深い。
などとどうでもいいことを考えながら二人の元へ戻る。
果たして泉のお目に叶う浮き輪は見つかっただろうか。
海に来てから既に一時間近く経過している。これからお昼も食べる時間を考慮するとそろそろ泳ぎ始めたい。さもなくば思い出は炎天下で歩いた記憶が大半を占めることになるだろう。
「この後は泉の浮き輪を探すの手伝うか」
「そうだね。でも張り切ってるところ悪いんだけど、実はさっき泉が持っていたのと同じやつを見つけたんだ。昔から使っているお気に入りみたいだったし多分あれで即決だね」
「それならそうと早く言えよ」
すると三木はキザったらしくチッチッチと指を振った。
「せっかくここまで来たんだ。少しくらい道草くってもバチは当たらないと思うよ。それに、もしかしたら他にもいい浮き輪があるかもしれない」
でもなかなか無いみたいだしそろそろタイムリミットだ、と奴が続けて言い俺たちは店を出た。
その直後だった。
如月たちが話しかけられているのを見てしまったのは。
Tシャツの前をこれでもかと開け放ち、日に焼けた腹筋が覗く。金髪を軽く逆立て貼り付けたような笑みを浮かべる。
そんないかにも、といった格好の二人組の男。
「へぇ。本当にあるんだな……」
気づけば自然と口から言葉が漏れていた。
「奇遇だね。僕もそう思っていたところだよ」
三木はいつものごとく気軽そうな口調だ。だがその言葉の節々にはいつもと違うニュアンスを漂わせている。
三木の言う通り、おそらく俺たちの抱く感情は同じなのだろう。
まず、物珍しいものを見た、という感想。
次に、馬鹿馬鹿しく呆れた、という気分。
そして——
「どうしたんだ、三木。そんなに急いで」
「ヤナギこそ。早歩きして一体どうしたんだい?」
俺たちは競歩一歩手前のスピードで二人の元へと歩を進める。
「あっ、柳沢さん」
如月がこちらに気づいた。
すると男たちが「待ち合わせ中だったたんですねー失礼しましたー」と頭を掻きながらそそくさと離れていく。
正直物わかりが良くて助かる。俺はあの軽薄そうな奴らに何か一言言ってやらねば気が済まなかった。だが、いざ冷静になってみるとなんて言うべきなのか皆目検討もつかない。
「手を出すな」は何様だとなるし、そうなると「困っているだろ」くらいが無難なのかも——と考えながら俺たちは矢継ぎ早に尋ねる。
「大丈夫だったか」
「何もされなかったよね?」
ところが二人から返ってきたのは意外なセリフだった。
「何のことですか?」
「私たち道を聞かれていただけだよ。あっ——もしかして二人とも、私たちがナンパされたと思った?」
ニヤつく泉に対し、俺と三木は沈黙という対抗手段しか持ち合わせていなかった。
早とちりだったなんて。
とりあえずこの気まずい空気を脱しなければならない。俺は謝罪しようと如月に目を向ける。
しかし、どういうわけか如月の顔もほんのり朱に染まっている——ように見えた。
俺がその意味を考えあぐねていると、三木が先に口を開く。
「……いや? 僕とヤナギは早く海に入りたかっただけだよ。でも泉が買わないと始まらないからね。急いで戻ってきたってわけさ。さっき良い浮き輪を見つけたから行こう」
先ほどの顔つきは何処へやら、俺が先生だったら花丸をあげたいくらいの演技をして見せる。
「『何もされなかったよね』って言ってたけど——」
「いいからいいから。さ、行くよ。浮き輪なんだけどあっちの方にあるんだ」
しかも三木はそのまま流れるように泉を浮き輪の店へと誘導してくれたおかげで、この場がリセットされた。俺と如月も慌てて二人の後を追った。
だが、浮き輪を買ったその帰り道。俺はあの時の判断が間違っていなかったことを知る。
ふと顔を向けた主道から少し外れた細い道であの二人組の男が他の女性に声をかけているのを目にしたのだ。
三木と泉は話していたし、如月はビーチサンダルで足元が不安だったのか下を見つめていたからおそらく俺以外気づいていなかっただろう。
女性は分かりやすく困ったような顔を浮かべ何やら言うと、そのまま急ぎ足で人の多い方へ逃げ出した。そして男たちは再び標的を探して彷徨い始めた。
だが、もうここで奴らが他人に絡むことは不可能だろう。何故なら今の執拗な勧誘を見ていたカップルが近くにいた警官に声をかけたからである。これで海辺の安全は保たれたことになる。
まあ、とどのつまりだ。
俺が恥ずかしい思いをした甲斐はあったのかもしれない。
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