第4話 見えざる敵

 一見、華やかな生活ばかりを送っているように見えるかもしれないマウンリッシー街のお坊ちゃまお譲さまだが、その分苦労していることも勿論ある。例えば今週はいよいよ、待ちに待った勝負に出る時で、パーティーやスパ、ウィンドウショッピングをしてカフェに寄って、ふらり立ち寄ったショップで買い物なんてことばかりしてはいられない。


 学校で教わったことの復習はもちろん、予習にも手を抜かず、すこしの暇さえあれば勉強ばかり。人によってはそこに研究はもちろん、読書感想なんかもついてくるし、どの生徒も共通してがんばる事には慈善活動やボランティアだとかも必要になる。大学受験において人間性の評価もとても重要視されているため、勉強ばかりが出来ても合格は出来ない。


 プラダに取り置きしていたハンドバッグを受け取った後、直帰したカーラはポロベアの刺繍が可愛らしいラルフ・ローレンのスウェットシャツにピュアホワイトのショートパンツというカジュアルスタイルにさっそく着替えた。


「ベアトリス! 時間よ。紅茶を淹れたらラベンダーのアロマオイルを炊いて。ロミオも今頃がんばってるだろうし、レジーナたちだってがんばってるんだもの。わたしも負けてられない」

「ええ、その意気ですよカーラさま。お父さまやお母さまもお喜びになられるに決まっています!」

「ずっと夢だった大学に通えるんだって思ったら、今からすっごく楽しみ。きっと大学でもロミオとわたしは一緒にいられるわ。さすがにずっとはいられないかもしれないけれど、ランチは絶対一緒に過ごすの。ごめん、まだテストも受けてないのに気が早すぎた?」

「いいえ、そんなことはありません。カーラさまは絶対にご入学されると思いますから」


 すっかり上機嫌のカーラだが、のんびりとくつろぎながら映画などを楽しむといったことではなく、メイドのベアトリスに問題集を読み上げさせたり、単語帳をめくらせて勉強に力を入れる。といっても、学校で教えてもらう勉強ではなく、学校に訪れる先生たちの好感を得るためのお手製の勉強。


 話題に出すと喜ばれる人物の名前や書籍、最近ハマっているアーティストなど、一見すると何の関係も内容に思われるそれらが、割と重要なことだったりする。


 もちろん、それがわかっているのはカーラだけではない。

 ニクラウスは志望校について特に考えていないわけではないが、希望校がなかったものの、成績は学内上位を誇るほど大変優秀で入学先に不安はあまりない。ただ少しでも選択肢を広げるために、大学関係者を招いた簡単なパーティを開く準備を進めながら勉強にも熱を入れる。


「ニクラウス・ジンデルです。ええ、いつも父がお世話になっております。実は父が日ごろの感謝を込め、財団の皆様にディナー会に招待させていただきたく存じまして。はい、日程でございますが・・・・・・」


 ニクラウスは将来に向けて両親の仕事にも携わっているため、母メレディスが経営しているワインセラーを見学したり、父ヒューゴが主流にしているITや最近取り入れ始めたホテル産業の勉強も始めているということもあり、他の生徒に比べあまり多くの時間を学校の勉強に注ぐ事が出来ない。そのため、人脈作りと交流を深めるパーティーはもちろん、そこでの自己アピールが肝になってくる。


 一方ロミオの成績は冗談でもとてもいいとは言えず、非常に絶望的ではあるが当の本人であるロミオ自身焦っている様子は全くなく、寧ろ開き直っているところがある。


 みんなが必死になっている中、オフホワイトのパーカーとスウェットパンツで自室にあるネイビーの布製ソファーに横になり、木製のサラダボウルに入れたポップコーンをつまみながらアメリカンフットボールの中継を思う存分楽しんだり、インスタグラムをなんとなく眺めて暇を潰してみたり、ポッドキャストを聞きながらうたた寝をする有様だ。


 本格的に深い睡眠へ堕ちようとしていたロミオの意識を覚醒させたのは、仕事の隙間時間に帰宅してきたヘクターの罵声、鍛え上げた筋肉を通り越し骨が僅かに痛むのを感じるほどに力強く鷲掴みにされた肩と、ぐわんと激しく揺さぶられたことによって生じた三半規管が訴える気持ち悪さだった。


「おい、ロミオ! 何を暢気のんきに寝ているんだ、お前は?! ちゃんと勉強をするんだ。そんなんじゃハーバードに入れないぞ! いいか、父さんは若いうちにちゃんとしていなくて、すごく後悔したんだ。もっと早く勉強をしていればよかったってな。だから、お前にはそんな思いはして欲しくないんだ。わかったら、今すぐ勉強をするんだ。いいな?」


 グラグラ揺れる視界と寝起き早々に浴びせられた怒鳴り声に一瞬何事かと思ったものの、いつものことであるロミオにとっては大して恐れるものでもなく、どちらかといえば苛立ちが募るだけでソファーに寝転んだままヘクターを見上げる。


「わかってるよ、父さん。だけど僕は地元の私立校も視野に入れてて、マウンリッシーの私立校のレベルの高さは父さんも知ってるだろ? 母さんは西海岸もいいんじゃないかって言ってくれてて、そこも悪くないなと思ってるんだけどやっぱりまだちゃんとは決められてないんだ。でもどの学校もすごく魅力的だよ」

「だめだ。まだ時間はある。今すぐに勉強をしろ!」


 ヘクターはダンダンッと激しい足音を響かせ、壊れそうなほど乱暴にロミオの部屋の扉を閉めて職場に戻っていくが、ロミオは溜息だけを吐いてまた目を閉じた。


 もしも、カーラがこのことを知れば顔を真っ赤にしてカンカンに怒るのがわかっている彼は、カーラには秘密にしており学内発表で掲示される学内ランキングの表に関しても、毎回言い訳や嘘ばかりを吐いているし、両親も息子の成績の悪さを他の人には言いたくないことであるため、周りに言うことは一切ない。


 そのため、真実を知らないカーラにとってロミオは“勉強しているものの、ちゃんと実力が発揮できていない”程度の認識になっている。


 実家に帰って来たばかりのエイプリルは段ボール箱や山済みになった服など、未だ散々な状態の部屋で買ってきたばかりの参考書や大量に印刷したレポート、使い込まれた様子のない綺麗な教科書とステッカーの張られたノートパソコン、イエローのカバーがついたタブレットをサーモンピンクのベッドボードとドットのプリントの施されたレモンイエローが可愛らしいベッドの上に投げる。


 レポートをしようと早速開いたノートパソコンのディスプレイに表示されるのは昨夜調べていたタトゥーの画像。エイプリルの意識は勉強から一気に外れそうになるが「だめだめ!」と頭を左右に振って気を持ち直す。


 教科書を開いていざ、勉強を開始しようとしたところにタブレットからインスタグラムの通知が届き、またも妨害されるがなんとか気を取り直して参考書を進め始めた時に、今度はスマートフォンから着信が入る。ディスプレイに表示されている相手は母であるオリヴィア。もちろん、エイプリルは出る気などさらさらなくそのまま電源を躊躇うことなく落とし、勉強を再開させた。


 ロサンゼルスでは演劇の勉強ばかりをメインにしていたエイプリルは周りよりすっかり遅れをとっているため、成績優秀者になるためには数十倍努力するしかない。


 ルドルフはエイプリルの事が脳裏に残ってはいるが、それよりも今集中すべき事が何かはわかっているため、教科書と参考書、母のルーシー・アンダーウッドお手製のフレッシュな野菜とジューシーなラムが包まれたブリート三本とコーヒーだけを部屋に持ち込んで勉強に勤しむ。


 ルドルフの家庭は父ブライアンと母ルーシーの三人家族で特別裕福ではないものの生活困窮者というわけでもない。ただ、警察官であるブライアンにとってルドルフが希望している記者、コラムニスト、ライター、脚本家など何かしらの文字を書く仕事というものは応援できるものではなく、今通っているルヴォア・ラトウィッジ学院も奨学金で通っているため、学校の成績が落ちれば奨学金を受ける事が出来なくなるばかりか、志望大学にも通わせてもらうことも許されない状況にあるため油断など一切することは出来ない。


 *


 真っ白なテーブルクロスに並べられたキラキラと輝くブラックキャビアと香ばしい小麦胚芽のクラッカー、香り豊かなブルーチーズのトリュフオイルがけ、赤みとサシのバランスが取れた美しいサーロインステーキ、ねっとりと脂がのったマグロや、ぷりっとしたエビ、ジューシーなとろけるサーモンのスシ。豪華な四ツ星ホテルでのディナー会。


 今夜のパーティーのために気に入っているピアジェの時計とコム・デ・ギャルソンのタキシードに身を包んだニコラウスだが、気分は全くアガらないどころが迫る時間に気分が下がる一方だ。


 将来のために必要なことで自分のためになることだと自覚しており、父であるヒューゴのコネを使って人脈を広げる機会があることにも感謝はしているが、一流大学に入り、無事に(欲を言えば主席で)卒業し、父の後を継ぐという事がとてもプレッシャーなのと同時に、やり遂げて父に認めてもらいたい、褒めてもらいたいと子どもらしい願いもある。


 それが複雑に絡み合って、言いようのない嫌悪感と苛立ちだけをヒューゴに抱いてしまうのだ。そして、それを理解しているニクラウスだからこそさらに悩む。


 そしてその不安なんかを反抗することでしか表す事が出来ない幼さの残るニクラウスは、ヒューゴにやめろと言われ続けている行動などをやめるつもりはさらさらなく、やめるタイミングも見失ってしまっているのだ。


「ニコラウス、やめろとは言わない。だが、今は酔っ払ってはダメな場だ。そろそろスコッチを控えなさい」

「これは俺が準備した俺のパーティだ! 会場だって俺がセッティングした。どう振舞おうが俺の勝手だろ」

「だめだ。あくまでこれは、俺が主催する財団への感謝を伝えるためのパーティだ。お前の好きにはさせん」


 ニクラウスの手からグラスを奪ったヒューゴにニクラウスは水滴の残った右手で顎に触れ、軽く舌打ちをして会場を後にした。


 同ホテルの一室に戻り、教科書を開いてタブレットとスマートフォン、ノートパソコンを操作する。ノートパソコンにはまだ手をつけていない課題や予習のファイル、タブレットには提出予定のレポートのチェック、スマートフォンにはインスタグラムの画面を開いておき、進学を考えている大学のことやそこに通う生徒たちを検索したり、クラスメートたちが何をしているのかチェックをしながら、今夜の悔しさをすべて勉強に費やした。


 パーティーが終わりを迎えたのか、別の部屋を借りているはずのヒューゴがニクラウスの部屋にやってきた。まるで失望したよ、とても言っているかのような表情にニクラウスは後悔をしながらもどれだけ成果を上げようが、どれだけのことを成し遂げようか、どれだけ悪さをしようが興味など示さないヒューゴに胃が燃え上がるような怒りがどこまでも広がって行き、考えれば考えるほど飲み込まれ、脳や心、自分自身さえも支配されるような深い孤独を感じた。


「お前には期待してたんだがな」

「今更、俺に何を期待するんだ。興味なんてぇくせに」


 どこまでも突き放すニクラウスにヒューゴはどうすることも出来ず、ただ黙って勉強を続けるニクラウスを見ていたが心底邪魔そうにヒューゴを睨みつけたニクラウスのエメラルドグリーンの瞳に部屋を後にする決意をした。

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