第4話 計り知れない才能

 ――勇者の誕生を祝福する神の奇跡が起こる少し前、厚く暗い雲に覆われた雲海の上を、巨大な影が背中に生えた大きな翼を羽ばたかせて飛んでいた。


 三メートル近いを体長を持ち、頭に長くて鋭い二本の角、紫色の肌に豚のような鼻をした醜悪といって過言ではない明らかに人外といった風体の魔物は、近くの村で攫ってきた幼い少女を脇に抱えながら、とある場所を目指していた。


「いやあああ、お父さあああぁん! お母さああああああぁぁん!」

「ゲッヘッヘ、無駄無駄。いくら叫んでももう助けなんか来やしないさ」


 脇に抱えられた少女は必死に泣き叫びながら拘束から逃れようと暴れるが、丸太の様に太い魔物の腕はビクともしない。


「やだやだ、助けてえええええええぇぇ!」

「諦めな。この上級魔族であるベリアル七十二柱の一人である俺様に捕まったことを光栄に思い、俺様の糧になるがいいさ」


 そう言って、ベリアルと名乗った魔物は少女の襟首を掴んで掲げると、大きな口を開ける。

 口内にずらりと並んだ鋭い歯を見て、少女の顔からサーッ、と血の気が引く。


「い、いや……お願い。助けて……」

「嫌だね。それじゃあ、いただきます」

「いやああああああああああああああああああああああぁぁぁ!!」


 少女の悲鳴を癒しの音楽のように堪能したベリアルは、そのまま少女を口の中へと放り、バリボリと豪快な音を立てて咀嚼し、一気に飲み込む。


「プハァァ! やっぱ悲鳴を肴に食べる処女の血肉は最高だな。こりゃ、仕事終わりにもう一人か二人、攫って帰るか」


 最後に少女が履いていた靴をペッ、とベリアルが吐き出すと同時に、神の奇跡の力が働き、周囲の雲が一瞬にして消え失せる。


「ゲヘッ、ゲヘッ、ゲヘッ、予想通り神の祝福が始まったみたいだな」


 次々と架かる虹の橋を見ながら、ベリアルが肩を揺らしながら笑う。


「全く、神の奴もどうしようもない馬鹿だな。こうして勇者の誕生を盛大にお知らせしてくれるんだからよ」


 そう言いながらベリアルは右手を掲げると、激しい稲光が迸る黒い塊を生み出す。

 それは、上級の魔物が操る強大な破壊力を持ったエネルギーの塊だった。


「いずれ我々の脅威となる勇者を生まれた瞬間に殺す指令が魔物たちに出ているとは、まさかの神も気付かなかったようだな」


 下卑た笑みを浮かべるベリアルが作ったエネルギーの塊は、既にベリアルよりも一回り大きくなっていた。


「ゲヘッ、ここら一帯は一瞬で焦土と化してしまうだろうが……恨むなら、この地に勇者を誕生させた神を恨みな!」


 エネルギーの塊が十分に成長したのを確認したリアルは大きく振りかぶると、ボールを投げるように黒い塊を勇者が生まれたと思われる集落に向かって投げ付けた。




 黒い強大なエネルギーの塊が発射されたことを見たライルは、風を切り裂く勢いで空を飛びながら冷や汗を浮かべていた。


「……間に合うか!?」


 あの黒い塊が地面に激突すれば、間違いなくここら辺りは全てが吹き飛び、レイラとお腹の子供は即死するだろう。

 だから何が何でも、あの黒い塊はここで止めなければならない。


「マジックウォール……マジックウォール…………マジックウオオォォル!」


 黒い塊に向かって飛びながら、ライルは魔法防御魔法であるマジックウォールを連続で唱え続ける。


 対魔法防御効果魔法であるマジックウォールは、基礎魔法の一つだけあって一回のバフ効果は決して高くないが、その分消費する魔力が少ないので、連続で唱え続けても空を飛ぶ基礎魔法、エアブーストの勢いが衰えることはない。

 それに、バフの上限は基礎魔法も上位魔法も同じなので、燃費のいいマジックウォールを連続で重ねる方が、結果として短時間で防御力が上げられることをライルは経験で知っていた。


(これだけの力がありながらも、攻撃魔法が使えないというだけで、どうして自分の命を粗末にするような真似をしたのだ)


 既に数十回、マジックウォールを連続で唱え、さらにエアブーストを同時に行使しても一向に魔力が尽きることのない器の大きさにライルは舌を撒く。


 攻撃魔法だけが魔法使いの全てではない。

 補助魔法、回復魔法を専門とすることでも、十分にパーティーの柱になれるはずだ。


 この若さで、これだけの多くの魔法を操れるようになるには、ライルは相当な努力を重ねたに違いない。

 それがおとぎ話に出てくるような英雄譚に憧れたのか、それとも冒険者である父親を助けたいと思ったのかはわからない。


 だが、誰もが望む結果を手に入れられるわけではないのだから、自分の身の丈に合った道を選ぶのも、時には必要なのではないだろうか。

 既にこの体には一切の痕跡がない本当の持ち主にいくら呼びかけても無駄かもしれないが、ライルはこれだけは伝えておきたかった。


「ライル、お前の努力が……研鑽が母を、子を……ついでにババァを救うのだ。マジック、ウオオオオオオオオオオオオォール!!」


 そうしてライルは、最後のマジックウォールを唱えながら黒い塊へと突撃する。

 次の瞬間、巨大なエネルギーが激流となってライルを襲うが、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 それでも重ねに重ねたマジックウォールの力場を破ることはなく、押し合いに敗北した黒い塊は一瞬にして霧散する。


 そうして残るのは、驚愕の表情でこちらを見ている異形の魔物だった。



「あいつか……」


 エアブーストを維持しながら、ライルは紫色の肌を持つでっぷりと太った魔物を睨むと、怯むことなく果敢に怒鳴る。


「おい、そこのお前、今がどういう時かわかっているのか!?」

「な、何だ?」


 狼狽えたように後ろに一歩下がるベリアルに、ライルは自分の家の方を指差しながら怒鳴る。


「今、そこの家で、勇者が誕生しようとしているところだろうが! その証たる神の祝福がお前には見えないのか!?」

「……えっ?」

「えっ? じゃない! 神の祝福が発生したら、何者も手を出すなというお約束が、お前にはわからないのか!?」

「はぁ!? 何を言っているんだ!」


 ライルの迫力に当初は面食らっていたがベリアルは、戯言を跳ね返すように右手を払いのける仕草をする。


「そんなの人間たちの都合だろう! どうして魔物である俺様が、人間のお約束とやらに付き合わなければならないのだ!」

「何を言う。お約束を守るのに人間も魔物もないだろうが! そんなことすらわからないとはどこの莫迦者だ……そこのお前、名を名乗れ!」

「クッ……生意気なクソガキだ。だが、いいだろう。名乗れと問われれば、名乗ってやろう」


 ベリアルは大きな腹をたぷん、と揺らすと、右手を顔の横に掲げ、左手を腰の横で抱えるような決めポーズを取りながら首を捻りながら名乗る。


「俺様は上級魔族ベリアル七十二柱の一人、六十八男末っ子ベリアル様だ!」

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