第5話 己惚れ(梨烏ふるりさんからのお題「おかしなケーキ」)
臭うぞ
ぷんぷん臭う
この甘いクリームと砂糖と卵の香りの向こうに見え隠れするものは恐らく
「悪意だな」
で、なければ心臓が激しく跳ね、息すらままならないこの苦しさの理由が見つからない。調べなくてはと思うのに体が動かないのだ。
「なんという、恐ろしい食い物だ」
見た目は普通のケーキだったので油断した。差し入れですと渡した助手の佐々木が俺と視線を合わせなかったのもなんぞ後ろ暗いことがあったからに違いない。
このままではまずい。
もし毒物や怪しい薬物が入っていたとしたら――俺はどうなる?
このまま死ぬのか?
それともそれよりももっと悍ましい結果を迎えてしまうのだとしたら。
「……冗談じゃない」
なんとしても原因を調べねばならない。
まずはできることからとケーキが入っていた箱を手に眺めてみるが、ただの真っ白い紙で作られているということしか分からなかった。
店名もなければ賞味期限のシールさえ貼っていないなどあり得るのか?
「考えられる答えは」
正規の店ではない、裏のケーキ屋で購入したもの。もしくは。
「手作り……?」
もし手作りなのだとしたら、あの不器用で仏頂面の佐々木助手が七転八倒したということになる。それはそれでたいそう見ものであっただろうに惜しいことをした。
いや、違う。
問題はそこではない。
なぜ佐々木は俺を害そうとしたのか――だ。
俺たちの関係は良好であったと記憶している。不器用で愛想も無いながらも無駄口を叩かない真面目さを俺は評価していた。そして研究さえできれば幸せな俺は佐々木の失敗に小言を言わないことであいつも働きやすさを感じていたように思っていたのだが。
そもそも思い違いだったということになるのか。
知らぬうちに佐々木を傷つけていた可能性は無きにしも非ず。
なんたって俺は研究と微生物にしか興味がない。極端に言えば俺の研究が世のため人のためになろうがどうだっていい。ただ愛してやまない微生物の観察と生態を調べ続けていられればそれでいいのだ。
こんな男が人の心の機微など分かろうはずもないのだ。
「己惚れるなよ……」
くそ。
くらくらする。
あいつ一体何を入れたんだ。
隣室にいたはずの佐々木がいつの間にか傍に立っていた。眉を下げてソファにだらしなく座っている俺を見下ろしている。
「……己惚れてくださいよ」
「は?」
「そのために作ったんですから。がんばって」
「はあ?」
佐々木が肩を竦めると柔らかに波打つ髪がふわりと肩から滑るように落ちる。白衣のポケットに突っ込んでいた手を出して細い腕が伸びてきた。節のない指が無精ひげに覆われた俺の顎に触れて。
「上手にできてたでしょう?」
ほめてくださいよといわんばかりの口調に俺は唇を歪める。
「……知らなかったぞ。お前がそんな風に俺を思っていたなんてな」
「あなた鈍いですからね」
「まさか殺したいほど憎まれていたとはな」
「…………は?」
佐々木の眠そうに下がった目尻がピクリと震える。そして驚いたように見開かれた瞳の中で俺が間抜けな顔で笑っているのが映っていた。
「あなたばかですか?」
「なんだと」
「殺したいとか、憎まれているとか」
信じられないと続けた佐々木は何故か楽しそうに笑い声をあげて俺の口を塞いだ。
柔らかく甘い口づけで。
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