第6話 犬神 完

 俺はピクリとも反応するまい、と堪えていたが、

 目の前の男にはしっかりと伝わっていたらしい。ニヤリと笑われてしまった。


「その反応、知っているよね?」

 男が自信満々に言ってきた。


「何者ですか、あんた」

 俺は冷静に聞く。

 ここで取り乱せば終わりだ。


 冷静を心に刻め、冷静を表情に出せ、冷静を飲み込め。

 怒りや戸惑いなどは、心の内の砦に潜めておけ。


「俺はなんでもないよ。人間だね。妖怪ハンターとでも言えばいいのかな。

 もう分かっているのかもしれないが、俺はあの犬神を退治しに来た妖怪ハンターだ。

 名前などは教えられないから、そうだな、人間にんげんとでも呼んでくれればいいよ」


 人間――と名乗る男が、ゆっくりと立ち上がって俺に向かってくる。

 殺意も敵意も、なにもなく、そうするのが当たり前と思ってしまうほどに、人間の行動に俺は危機感を抱けなかった。


 とん、と肩と肩が触れ合った瞬間――ゾワぁっと、全身から変な汗が噴き出る。

 俺がなにをされたのか、理解できないほど綺麗に。

 流れるように、人間の足が、俺の足を払って、俺を地面へ倒す。


「嘘を吐けば、少しずつ痛めつけていく。

 最終的には死ぬ可能性もあるが、どうかな。俺としては君の自主性を重んじたいのだよ」


「……なにを話せばいいんですかね」


「犬神の居場所だ」


 予想通りか。妖怪ハンター、そして犬神である四隅を探している――、

 ということは、人間がなにをしたいのかなど、予想が簡単にできてしまう。

 俺は現実逃避をしていたのだろう。そんなこと、あるはずがないと言い聞かせていたのだが、無理だろう。ここまで現実を突きつけられれば、嫌でも現実を見つめてしまう。


「じゃあ第一の質問」


 次の言葉がくる寸前、内容を言われる前に、俺は言っておくことにした。


「言っておきますけど、知らないですよ? どこにいるのかなんて。

 俺に目をつけたということは、ある程度、犬神との関係を調べたとは思いますけど、今ははぐれちゃったんです。あいつはスマホを持っていないし、さらに言えば、このショッピングモールにいるとは思えないですけどね――」


 最後のは嘘だが、ここまで言えば、人間も俺に固執することもないだろう。


「そうかい?」

 しかし人間は俺から目を離さない。

「君の言葉には嘘が混じっていたようだが?」

 と、俺の返答を待たずに、人間が俺の鼻をつまむ。


「蛇口みたいに捻る、と言っても、お前は本当のことを言わないつもりか?」


「言いますよ。そりゃあ、痛いのはもちろん嫌ですから。

 確かに一か所、嘘を吐きました。そこを訂正すればいいですか? 

 なら、あいつはたぶん、このショッピングモールにいるということですけどね」


 俺の言葉に満足だったのか、「ふむ」と頷く人間。


「他には? 他には、君しか知らないような犬神のプロフィールというものはあるか?」


「犬が好きですね。ああ、ふざけてるわけじゃないです。

 あとは、肉付き、骨も肉なし骨も好きですね。ようは骨が好きなんでしょうけど」


 嘘は言っていない。


「そうか、貴重な情報だ。犬が好きだ、というのはいいかもしれないな、使えそうだ」


「使う?」

 俺は思わず疑問を口に出してしまった。


「ああ、使う。例えばだが、犬を天井に吊るしておき、少し時間が経ったところで落とす。

 犬好きならば、間違いなく助けるだろう。もし失敗しても、犬はたくさんいるんだからな。

 チャンスは何度でもあるものだ」


 さすがにカチンときた。こいつは人の、いや、犬の命を何だと思っているのだろうか。

 俺は人間――、種ではなく、個に対して、初めて敵意というものを向けたかもしれない。


 キッと睨みつける。


「恐いな、君は結構、温厚な方だと思っていたが、意外にも沸点は低いようだ」


「そうですね、そうかもしれないです」

 目を逸らすことはしない。


「君は犬神と仲が良いのかい?」

 と、人間がいきなり聞いてきた。


 こいつは俺と四隅の関係を知って、ここに来たんじゃないのか? 

 それとも、確認のためなのか――さて、どう答えたものか。


「……良いですよ、そりゃあ、知り合いですから」


「知り合いというだけで、仲が良いとは、とてもじゃないが言わないな。

 仲が良いということは、友達ということなのだからな」


 人間が不気味に笑う。

 まさかさっきの犬吊るしの案を実行しようとしているのではないか。

 だから、あんな笑いができるのではないか――。


「君だったらさ」

 人間が俺の目を見てくる。

「犬と友達、どっちが重いと思う?」


「そんなの、友達に決まっているじゃないですか」


「そうだよねえ」


 この時、俺はなんて不用意に答えてしまったのだろうと後悔した。

 既に言ってしまったのだから後悔しても遅いのだが、しかし、これは俺でも後悔してしまうほどには、ショッキングな映像だった――体験だった。


 ゴキン、と、俺の右足から嫌な音が鳴り、激痛を越える激痛が、足から、腹から、胸から、顔から、頭に走り抜けた。驚きが痛みを越えて、声も上げられない。


「片足もだ」


 もう一度、ゴキンッと。


 これで俺は、両足を折られている状況になる。

 動くとしたら這うしかない。ナメクジのように汚く。人として情けなく、恥じを晒して逃げに徹するしかない。


「おいおい、まさかこれで終わりだとか思っているんじゃないだろうな?」


 人間が俺の腕を取る。

 もう分かる。なにをするかなんてのは明白だ。


「君を痛みつければ出てくると思ったが、君が中々、叫び声を上げないものだから犬神が出て来れないじゃないか。がまんするなよ、はじけろよ」


 痛みがあり過ぎて、逆にはじけられないんだよ。


「……これ以上は無駄ですよ。

 ここから先、なにをやっても、俺は叫び声を上げるわけ、ないですから……」


 正確には上げられない、だが。


「無駄かどうか、決めるのはこちら側だ」

 人間は、やめる気配など微塵も感じさせなかった。


 まあ、そうだろう、人質に安心を与えるわけがない。

 しかも、俺を使い捨てにする気満々じゃないか――これ、俺、死ぬよな?


 腕を取られ、今まさに折られる寸前、


「苦しめよ、叫び声を上げろよ。それが犬神を呼ぶ合図となるんだからよ」


 人間の宣言が飛んでくる。

 だから俺は目を瞑り、折られることを覚悟して――、


 だが、その先がなかった。


「出たか」


 俺の耳に届いたのは、人間が呟いた声、ただ一つ。

 いや、もう一つ――、


「ふしゅー、ふしゅー」


 という、息遣いが聞こえる。誰だ? 誰なんだ? 

 俺はゆっくりと目を開けて、現実を確認する。

 しかし見て、現実を確認して、しかし信じられなかった。


 幻覚じゃないのかと、何度も疑問に思った。


「うっくん、無事……?」


「四隅か……?」


 しかし、四隅と呼んでいいのか。

 彼女は人間の姿ではなく、子犬のような姿でも、大型犬のような姿でもなく――、

 まるで、巨大な狼のような姿だった。


「あ、う……」

 

 俺は声を出せず、四隅らしき狼に、なにも言えなかった。

 折られる寸前だったために、両手は動くが、しかし両足は動かず、這うことしかできない。


「四隅……」

「ありがとう、うっくん。あたしのために」


 いや、俺はなにもしていない。

 ただ両足を折られただけだ。


 だから俺は、お前を助けたわけじゃない。俺がそんなことをするわけがないなんて、お前が一番、知っているはずなのに。なんで、なんでお前は……っ、


「……出てきたんだよ」


「当たり前だよ」

 四隅が言う。


「うっくんが大好きだから。大好きで大好きで大好き過ぎるほどに、大好きだから」


 やめろ恥ずかしい。


「だからあたしが、うっくんが犠牲になるくらいなら、あたしが犠牲になる。

 その人は元々、あたしが目的だったはずだから。だから、あたしが出て行けば、うっくんにはこれ以上、なにもしないと思うよ。でしょう? 妖怪ハンターさん」


「そうだな、それは約束するよ、犬神」


 そう言って、人間は鞄から長い棒――いや、剣のようなものを取り出した。


 刃もきちんとついている。

 拭き取り忘れたのか、それとも元々なのかは知らないが、剣には血が付着していた。


「犬神に有効なのはこの剣だな。今からお前のお友達が死ぬわけだが……見るか、小僧。

 見届けたいならこのままにするが、俺は親切心で言うが、見ない方がいいと思うぜ。

 見ないを選ぶなら、お前を今ここで気絶させるが、どうする? どれがいい?」


「なにを……」

 いつの間にか、四隅を殺す話になってやがる。

 ふざけんな、そんなことを見届けられるわけ――できるはずがないだろう!


「足掻くなよ、小僧。殺さなくちゃいけなくなる」


「そうだよ、うっくん。これでいいんだよ。これ以外の結果なんてないんだから」


 なにを言っているのかさっぱりだった。

 なんなんだ、俺が理解できていないだけなのか。

 俺が馬鹿だとでも言うのか……なんなんだ、なんなんだよ、これ!


「四隅、俺を連れて逃げろ! 淡やみんなのところに逃げれば――」


「ううん、ダメだよ」

 なんで、と、俺は声が出なかった。


「ここで止めておく必要があるんだよ。逃げたら終わらない。

 終わらないということは続く。

 うっくんも、治ったのにまた怪我なんてしたくないでしょ?」


 そりゃそうだ、だけど、違うだろう。

 それとこれとは話も規模も違うだろう。


「やめろよ、帰って来いよ、お前はまだまだ、やりたいことがあったんじゃないのか!?」

「あるよ。でも、うっくんがいなかったら、あたしが生きていても意味がないから」


「じゃあ俺は死なない、だからお前も死ぬな。それでいいじゃないか。

 それで解決じゃないかっ、なにが不都合なんだ、言ってみろ!」


 俺の怒りを含んだ言葉に、四隅は退かずに、言い返してきた。


「不都合にしかならないんだよ。今、目に見えてることが全てとは限らない。

 こうも考えられるよね、うっくんが知らなくて、あたしが知っているようなこと。

 今、それが起こっているとしたら、理解してくれる?」


 してくれるもなにも、


「そんなの、信じられ……」


「ないよね。分かってるから。堪えてよ、うっくん。

 同じようなことがあっても、次こそは救ってね――」


 ちょっと、待て。


「じゃあ、来なさいよ、妖怪ハンターっ!」


 ちょっと、待て、よ。


「うっくんに、手出しはさせない」


 俺の前に立ち、全ての攻撃を防ぐように。



「攻撃は、全部あたしに、来いやぁあああああああああっっ!」



 四隅が吠えた。


「待、て」

 俺は震える声で。


「待、て……」

 俺は弱々しい声で。


「……待、て……」

 俺は繰り返して、言う。


 目の前にあった四隅の体は、俺が目を向けた瞬間に、木端微塵に砕け散った。


 明らかな失敗。

 どうにもできない後悔が、俺の心を押し潰していく。


 ―――

 ――

 ―


 ―

 ――

 ―――


【……try again?】

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