虚構と花束

東雲 水

蝉の声を聞いた。

まだ雪のちらつく最中、こんな事を言い出すのだから頭のおかしな奴だと思われても仕方がないだろう。

でも僕はこんなにつまらない嘘をつくほど暇ではないし、虚言癖を持ち合わせているわけでもない。

確かに聞いたのだった。

蝉の喧騒を。命を燃やして激しく叫ぶ彼らの肉声を。


夏を思い出すとき、決まって浮かぶ情景は小学生の頃の夏休みだった。

それなりに悩みもあっただろうが、今よりずっと自由に生きるのが上手だったあの頃。

祖父母の家に遊びに行った時、僕は網を持ち出して弟と蝉取りに出かけた。

虫かごに詰め込んだ蝉が日を増す事に静かになり、動かなくなっていく。

夏休み終盤、僕は虫かごを逆さにして蝉の死骸を土の上に投げ出した。


僕もすっかり大人になったよ、少なくともあの頃よりは。

もう自分一人で何処だって行けるし、なんでも一人で決められるようになったんだ。

でも何故だか、子供ながらの無邪気さを武器に残酷なことを平気でやってのけたあの夏が恋しい。

配慮も忖度もそこそこに、ただ一つの「生物」として貪欲に生きられたらどれほど楽だろう。


「ごめんな。」


祖父母が死んだ後、家は取り壊され、土地は売りに出された。

僕が蝉を葬った傍にそびえ立っていた木は春になると桜を咲かせるはずだ。

蝉はその木の根元で自らの生涯を振り返りはしただろうか。

僕のことを恨んでいただろうか。


もうすぐ春が来る。

僕だけがあの夏に捕らわれたまま。

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