第35話「首魁は調査杭から出ていない?」

 続木つづき律子のりこの捜索は続行しなければならない。


 上からの指示文は、こうだ。


 ――リトルウッドは討ったが、ベクターフィールドは取り逃した。挙げ句、ベクターフィールドが新たな魔王になった可能性は非常に高い。


 それに対して、彩子あやこは、一度、大きく溜息を吐かされる。



 騒動は完全に終息してはいない。



 そして彩子の溜息には、そういった指示を文書で寄越してくる事にも向けられている。


「メールやメッセージでも済みそうなモノなのにネ」


 紙の無駄遣いだという彩子であるが、これが皆生かいきホテルのやり方だ。人の手だけで遣り取りされる紙ベースのセキュリティが最も高くなる、と。


 しかし彩子がこうも愚痴をいいたくなるのは、チームの現状が理由にある。


 ――杉本サンも本調子じゃないんだヨ。


 ベクターフィールドがリトルウッドの後釜あとがまとして、律子と契約したかどうかは分からない。可能性は五分五分というところ。


 ――とはいえ、魔王になったばかりのベクターフィールドダロ? 手駒にできる眷属けんぞくがいるとは思えないヨ。


 しかし何度でも出て来る「可能性」という単語には、彩子でなくとも眉をひそめさせられるはず。


 ベクターフィールドが魔王になった事も可能性の話であり、律子と契約したのも可能性の話である。



 確定していれば急ぎの仕事であるが、可能性があるというだけでは、もう一度の総動員はかけられない。



 そしてベクターフィールドが魔王になっていようとも、眷属が少ない――皆無である可能性は非常に高い――というざまでは、優先順位を低くせざるを得ないというのが現状だ。


 故にリトルウッドを討つ金星を挙げた時男、彩子、あきら孝代たかよの4名が捜査を続行する。


 それでも孝代が動けず、時男も本来の調子ではない今、調査段階では彩子のワンマンオペレーションという事になってしまい、結果――、


「全く」


 彩子は溜息ばかり吐いてしまう。自身の風貌ふうぼうからは宝の持ち腐れとしか言い様のない髪に手を遣りながら、彩子は改めて黄泉の門に施した処置が記された書類に視線を落とす。


 リトルウッドが霊に掘らせた壁は、ただ補修用のコンクリートを流し込むだけでなく、鉄筋をしたブロックを積んだ後、隙間を埋めた。コンクリートは電荷を帯びないが、鉄筋はプラスの電荷を帯びやすい。霊への対策だ。


 その際、中が無人である事は確認した。


 だが無人であるならば当然、問題が出る。彩子の出す名前だ。



 ――続木律子はどこに行ったんだろうネ?



 律子は未だ行方が分からない。


 リトルウッドは討たれたのだから、律子を連れ出せたとすればベクターフィールドだけ。故にベクターフィールドが新たな律子の契約者である、と危惧きぐされるのだが、彩子は首を横に振らされる。


 ――その可能性は低いネ。


 彩子の判断は、ベクターフィールドと律子の間に、新たな契約はないという事。


 ベクターフィールドは去り際に、「自由の身になった」といったのだ。


 ――契約に縛られた男がいうかネ?


 いうはずがない。


 では律子は?


「これは見解書をいただきたいんですけどネ」


 封印を担当した者に、どう判断したのか聞きたいと思った所で、彩子の耳にドンドンとドアをノックする音が入ってきた。彩子が顔を向けると、時男の姿が。


「まだ調査が続いておるのじゃろ?」


 開け放たれたドアに拳を当てているの時男は、


わしの仕事ではないか?」


「……」


 彩子は肩を竦めるジェスチャーに、「さて?」と曖昧な言葉を隠したつもりだった。


「車の修理は、もう済んだって話はないんですよネ?」


「パーツの取り寄せがあるから、休工というヤツじゃな」


 自分の仕事があるはずだといわれると、時男は彩子と同様のジャスチャーをしてみせる。


「板金だけでは直らぬよ」


 時間ならばあるとはいうが、時男も彩子が自分の身体を気遣っていっている事くらいは把握済みだ。


 それでも尚、出番だという時男に対し、彩子は居住まいを正す。


「足取りが全く掴めませン」


 ホテル探偵に調査を依頼しているが、律子の足取りは黄泉の門があった調査坑から途絶えていた。


 時男は腕組みし、「ふむ?」と唸ると、彩子が見ていた書類を手に取る。


 彩子は気を取り直すように深呼吸すると、「説明しますヨ」と始めていく。


「調査班によると、途絶えてるんですヨ。あの調査坑から、続木律子の足取りが」


 人間が一人、跡形もなく消え去る事は、この日本にいては有り得ない事態だ。それは時男も常識だと身につけている。


「最も真っ当な消え方は死亡じゃが、それすら手続きが必要じゃ」


 医師からの死亡診断書、遺族が書く死亡届を揃えて役所の担当窓口へ提出するのは無論の事、火葬するのも埋葬するのも、全て許可が必要なのたから。


 それができないという事は事件・・であり、警察による足取りの調査が行われる。


 ならば生きているのかといえば……、彩子も首を横に振るしかない。


「生存を意味しているならば、これまた難しいデス」


 生きているならば、衣食住は最低限度、必要だ。


じゅうは望めまセン。自宅に戻れば、我々が捉えられる。ホテルとなればお金がない。ドヤ街の木賃宿きちんやどなら、女性の一人は目立ちますからネ」


 そして住ほどではないにしろ、他のものも同様に金がかかる。しばらくは着の身着のままでいいだろうが、食事は何日も我慢できない。


 稼ぐしかないが、それも彩子は怪しいと踏む。


「仕事も……、こんな状況ですから、バイトに顔を出す訳にはいかない。ならば、非合法な仕事……というのも、無理な話ですよネ?」


 時男も「無理じゃな」と頷いて見せた。


 女性が手っ取り早く金を稼げる手段となれば、心と体を切り離した商売――つまりという事になるが、それが簡単と断じられるのは素人だ。


だまそうとする者、利用しようとする者、またナワバリ、シマ……色々な言葉を使うヤクザ者が跋扈ばっこしている中では、しにくい商売じゃ」


 時男はうなる。そういう悪目立ちは、グレーゾーンを積極的に活用しようという反社会的勢力の標的になる。


「ホテル探偵の仕事は、そういった者がホテルに入らないようにする事がメインじゃから、動けば網にかかる」


 かかりやすいのではなく、かかるのだという時男の言葉は、本業としてきただけに説得力を持って彩子の耳に入ったはず。


「でしょうネ」


 彩子も、そこは全幅の信頼を寄せている。


「では杉本サンとしては、何が一番、可能性が高いと考えられますカ?」


 ベテランならではの意見が欲しいという彩子に対し、時男は眉間に皺を寄せた。


「ベテランでなくとも分かるじゃろ」


 一つ想像がついている事態があるはずだ、と時男が言葉を投げ返すと、彩子は小さく何度か頷き……、



出て来ていない・・・・・・・、ですかネ」



 まだ調査坑から出て来ていない可能性だ。


 調査坑の中が無人であった事は、封印し直したスタッフが確認している。


 つまり「出て来ていない」が意味する事は――、



くぐったんですヨ」



 彩子の意見は時男と一致する。


「……非常にまずい事態じゃな」


 これが意味する事を知らない時男ではない。


「ハイ。本当に潜ったのなら、非常に拙いですネ。緊急事態デスヨ」


 緊張感のない彩子の口調であるが、これは場合によってはリトルウッドよりも、新たな魔王となったベクターフィールドよりも危険を呼ぶ事態である。


「裏を取ってこよう」


 時男が立ち上がった。調査して憶測の域から抜け、もう一度、リトルウッドに繰り出した人員を動員するためだ。

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