恋の蕾が花開く

紅音

前編

 午前6時。朝の訪れを知らせる時計のアラームが鳴る。2度3度と繰り返されたそれは、4度目鳴ろうとしたところで、布団から伸びてきた手によって止められた。約5秒間時計の秒針の音が静かな部屋に大きく聞こえ、やがてゆっくりと白木麻衣(しらきまい)が起き上がった。

 眠そうな目で、カレンダーを見る。さらに横目で、目覚まし時計のそばに置かれた小さな紙袋に視線移すと、深く息を吐きだした。


 2月13日金曜日。白木にとっての勝負の日が幕を開けた。


*   *   *   *   *   *


「あ。先生おはよ!聞いて聞いて!」


 午前7時40分。保健医を務める白木が保健室に着くと、1人の女子生徒が興奮した様子で、保健室の前に待機していた。白木を見つけるや否や、瞳を輝かせていた。


「無事に就職が決まりました~!」

「あら!よかったじゃん!おめでとう~。」

 鍵を開け、仕事の準備をする白木。女子生徒は箒を片手に嬉しそうに話し始めた。彼女は3年生で、付き合っている彼氏に対する愚痴やのろけ話を主にしに、朝一で保健室にやってくる。

 くるくると巻いた髪に短いスカートと見た目は派手な感じの彼女。しかし、報告に来る朝は白木の朝の準備を邪魔しないように気を使いつつ、さらに掃除を手伝ってくれる。備品の扱いも丁寧なので、白木は好感を持っていた。

 掃除が終われば、職員朝礼までの間、お茶とお菓子で女子トークに花を咲かせる。


「でね、就職も決まったし、康太が親に紹介するって聞かなくて~。」

「あら、いいじゃない。」

「でも、仕事って大変でしょ?両立できるかなぁ…。就職だって、全然決まらなくて、門脇先生に迷惑かけちゃったしさぁ…。」

「先生に迷惑を掛けたって自覚があるならそれで充分よ。生徒のために頑張るのも先生の仕事だから。そしてその迷惑かけたっていう反省を社会人になったら生かしていけばいい。何事もプラスで考えていきましょ。」

 白木の言葉に彼女は笑顔を見せた。“子供”から“大人”に変わる大きな分岐点。その不安が少しでもぬぐえたことに白木もほっとした。


「あ!そうだ先生!これあげるね。」

 そう言ってカバンから小さなピンクの紙袋を出し、机の上に置いた。

「ありがとう~。」

 更に笑顔を深める白木。

「ってか、先生は渡す相手、いないの?」

「…さぁね~」

「え、なになに、今の間!!超気になるんだけど!!」

 意味ありげに答えると、10代女子の好奇心に火をつけたようで、きらきらと目を光らせる。体育教師か、はたまた生徒か、自販機の補充に来る業者か、と次々に名前を挙げていく。

「あ。もうこんな時間!朝礼始まっちゃうから、またね~。」

 一向に止まない話を一刀両断し、彼女の背を押す白木。ドアのそばまで、教えてと言い続けていた彼女だったが、入り口まで来ると諦めたようで最後に一言、


「頑張ってね、白木センセ。」

 と残して、スキップしながら去っていった。


「…ありがとう。」

 彼女の姿が見えなくなってから、白木はこっそりつぶやくのだった。

 

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