第13話 アルガン侵攻

 敵が間違いを犯している時は、邪魔するな。


         ナポレオン・ボナパルト



 連邦がアルガンに侵攻した。このニュースは世界には驚きをもって伝えられた。だが一部の人間たちにとっては喜びを持って迎えらられた。喜んだのはだれか、勿論アルガン人ではない。大半の合衆国人でもない。X論文を読み理解した数少ない人間たちである。


 ジョン・ドウは少し興奮していた。これはこの名前を前任者から継いだ時以来だろう。前任者がこの名前を捨てるとき、心からほっとした顔と、なぜか自分に対して同情の顔を浮かべていたのを思い出す。この世界では名誉ある名前だが、表の世界に帰れるというのがそんなに嬉しかったのだろうか。

 ともかく、新任のジョン・ドウは前任者の仕事を引き継ぐ、前任者はまるで連邦のアルガン侵攻を予測していたような、いや寧ろ誘発したようなことをやっていた。正直意味が分からなかったが、これから行くザラマンダーエアサービスの社長が答えてくれるだろう。

 彼女の助言には従え、疑問を挟まず、過不足なく、一字一句たがえることなく言葉通りに。これが前任者から名前を引き継いだ時にに言われた言葉だ。元長官にそこまで言わせる人物とは何者なのか。

 勿論表面的な経歴は知っている。女性でありながら空軍士官学校第1期主席卒業者。異様な速さで昇進し、何事もなく退役、その後、航空会社を立ち上げ、軍およびカンパニーの仕事を請け負っている。だが、それが何かをカバーする経歴であることは気付いていた。と言うかその程度の事も気づけないようではこの名前は引き継げない。ジョンと言う名はマイケルやヘンリー、ウィリアムと並ぶ長官候補の名前なのだから。だが、彼女の経歴を知るには長官候補では駄目なのだ、長官にならなければ。

 

 連邦がアルガンに侵攻した時、政府としては軍を出してでも止めたかった。それはそうだろう。折角中東に親合衆国政権が出来ようと言う時にそれをつぶされたのだから。合衆国がインデンシナ半島で疲弊しておらず、また、カンパニーが動かなかったらそうなっていたに違いない。

 だが、カンパニーがザラマンダーエアサービスの協力を得て動くと決まったとたん、嘘のように派兵の話は止まった。彼女にそれだけの力があるのだろうか。そう思いつつザラマンダーエアサービスの社屋に入り、名前を告げる。受付の女性は少し驚いた様だった。今迄同姓同名の別人が来ていたためだろう。


 社長室に入ると流れるような銀髪とガラス様な碧眼を持つ美女がいた。経歴ではそれなりの年のはずだが、そんな感じはまるでしない。まるで20代で時が止まっている様だった。


「ジョン・ドウ氏でお間違いないですかな。なにぶん私が知っている方とは、だいぶお姿が違いますので」


 女性はその姿にぴったりな美しい声で話しかける。これで愛想が良かったら世の男性の殆どは虜になるだろう。


「お初にお目にかかります、ティクレティウスCEO。ええ、前任者は引退しましたよ。一般的な会社でしたら引き継ぐ前に引退のあいさつにでも伺うのでしょうが、何分我々は特殊な仕事をしているもので、その点ご了承ください」


 ジョン・ドウはなぜここまで下でに出なければならないのか、と思いながらも、前任者の忠告に従う。


「早速ですが、仕事の話をさせて頂ても?」


 ジョン・ドウはそう言いつつ、カバンから計画書を取り出す。ターシャ・ティクレティウスCEOは細く美しい彫刻のような指で、計画書をめくっていく。


「連邦のアルガン侵攻に対して、ゲリラ戦を支援すると言うのは賛成しますが、演算宝珠を渡すと言うのは感心しませんな。ゲリラとは所詮統制できないもの。リターンとリスクが釣り合っていないように見受けられます。敵はそのうち疲弊します。急ぐ必要は無いのでは?」


 ターシャは計画書を見終わってそう男に告げる。見たところ計画はおおむね納得のいくものだった。インデンシナ半島で非正規戦の難しさを流石に合衆国も学んだらしい。だが、演算宝珠を与えると言うのはやりすぎなのではなかろうか。どうせ連邦が手を引くことは分かっているのだ、早期解決より泥沼の消耗戦に引きずり込んでもらう方が、長期的には合衆国の利益になるはずだ。何より、合衆国に学ばず、わざわざ敵が失敗しようとしているのだ、自分たちはそれが確実になるようにするだけで十分なのではなかろうか。


「ゲリラの規模を考えると、演算宝珠の供給は不可欠でしょう」


 ジョン・ドウは直ぐに反論する。相手は国運をかけて侵攻してきているのだ。生半可なことで撤退に追い込めるとは思えない。


「そこは我が社でカバーできると思いますが。それにアルガンゲリラに演算宝珠が使いこなせるとも思えません」


 なるほど、業務拡大が狙いか、とジョン・ドウは考える。


「申し訳ありませんが、これはカンパニーの決定事項です。御社には計画書に沿った輸送業務をお願いしたい」


 ターシャとしては純粋に親切心から助言したのだが、新しいジョン・ドウ氏は何か勘違いをしているらしい。どうも今回の担当者とは馬が合わない気がする。前任者は上手くカンパニーや合衆国との仲を取り持っていた。そのせいか何時も胃を抑えてた気がする。顔色も最近は優れていなかった。年齢も年齢だし、病気による引退だろうが、ターシャとしては、良くなってせめて後任者の指導ぐらいはしてもらえないだろうかと願ってやまない。

 このようにターシャが考えていることを知ったら、前任者は直ぐに合衆国を出て、森林同盟の山奥にこもっていたに違いない。


「カンパニーの決定事項と言うのでしたら、我が社としても異論はありません」


 素直にそう答えるザラマンダーエアサービスの社長に対して、ジョン・ドウは前任者は何を恐れていたのか、と思う。長官ともあろうものが何か弱みでも握られていたのだろうか。


 新任のジョン・ドウ氏がそれを知ることはついになかった。計画書通りにザラマンダーエアサービスは仕事を果たしたが、アルガンのゲリラが思うように動かなかったのだ。

 結局はザラマンダーエアサービスのPMC部門にゲリラの教育、支援を委託することになる。

 ジョン・ドウは計画から外された。初期の有益な助言を有効活用しなかったと言う理由によって。そして跡を継いだのは別のジョン・ドウだった。自分は何人もいるジョン・ドゥの1人に過ぎなかったのだ。

 男は残念に思ったが、気持ちを切り替え働き始める。一つ不思議なのは長官になったジョン・ドゥがベジタリアンになり、日ましに顔色が悪くなっていた事だった。そこまで長官になると言うのは激務なのだろうか。


 ある時すれ違った長官から、男は心底羨ましそうに言われる。


「君はある意味賢かったな。私は彼女の考えに魅了され、提案を受け入れた。あの一見美しい手は天使の手ではなく、悪魔の手だった。数年のうちにアルガンから連邦は撤退するだろう。だがそれは終わりを意味しない・・・」

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