第5話 アイドル、エレンの受難――


「ちょ、ちょっと、アンタ大丈夫ッ!?」


 倒れている相手を揺すってはいけないと頭ではわかっていても、突然の出来事でそんな常識すら頭から吹っ飛んでいる時点で私の焦りは相当なものだったに違いない。


 慌てて獣人の子供を抱き起せば、その軽すぎる身体に思わず悲鳴を上げかける私がいた。


 白く長い兎のようなふさふさの耳に、土ぼこりで力なく垂れさがった薄汚れた尻尾。

 汚れさえ洗い流せば美しくSNS映えするその姿も、枯れ木のようにやせ細っていては見るに堪えない状態だった。


「呼吸はしてる。脈もある。けどこれじゃもうどうしようもないんじゃ――」


 おそらくここまで何も食べずに歩いてきたのだろう。

 その小さな体は抱き起してようやく【彼女】が少女であるとわかるほどボロボロで、ボロ服の隙間から覗くアバラが彼女の栄養失調具合を物語っている。


 このまま放置したら、間違いなく本気で命に係わるのがわかるくらいの衰弱具合。


 かといっていまの私にできることなど何もなく、周りに保護者らしき人はいないか探してみるも、誰かいるような気配もいない。


 つまりこの子はこんな道端で一人、行き倒れてるわけで――


「ああもう! あのヲタ神、異世界転生させるにしろもうちょっと親切設定にできなかったわけ!?」


 【運命神の導き】というスキルに誘導されたとはいえ、いきなり人死案件とか、ほんと勘弁してほしい。


 急いでスキル欄をめちゃくちゃ見るも案の定まっしろけ。

 回復魔法や創作魔法と言ったチートじみたスキルは一切なし。

 リスポーン地点もそうだけど、ここは普通チートスキルの一つや二つ持たせるところでしょうが!?


 しかも――

 ガサガサッと奇妙な物音が草むらかな鳴り、私の首筋に嫌な寒気が襲ってくる。


 この疼き。一度だけ覚えがある。

 これはまさに命が失われようとしている瞬間に身体が発するシグナルで――


「ちょっと、まさか……ここで魔物とご対面とかって聞いてないんですけど!?」


 慌てて振り返れば、そこにはのっそりと草藪から現れる黒い犬のような化け物が。

 名前なんて知らない。

 でもその口には赤黒いなにかがべっとりとついており、ギラギラと深紅に輝く瞳はまっすぐ私の胸元にある『餌』に集中している。


(あいつの狙いは私じゃなくこの子ってこと!? 背中に酷いひっかき傷もあるし、この子を見捨てれば私は助かるかもしれないけど……)


 ふと脳裏によぎるトラウマ《幼馴染の死》が、私の身体を飲み込まんと大口を開ける。

 ダメだ。この子を見捨てて私が助かれば、今度こそ私の魂が死ぬ。

 こんな、こんなところで絶対に死なせない!!


「この、あっちいけ!!」


 適当に転がった石を引っ掴み、投擲すればまっすぐ投げられた石が化物の鼻先にクリーンヒットする。

 その僅かに訪れたチャンス。

 漫画であるような異世界転生人なら勇猛果敢に立ち向かうけど……


!!)


 咄嗟に抱きかかえるように少女の身体を持ち上げ、少しでもあの犬の化物と距離を取るため踵を返し、その場から走り去る。


「お願い。生きてたら返事して! 苦しいだろうけどそ――私が絶対何とかするから! それまでは絶対に耐えて!」


「う……、あ――?」


 かろうじて反応はあるも、かなり危ない状態なのには変わりない。


 解決策を探ろうにもこれが病気なのか、それとも空腹で倒れているだけなのか転生したての私には判断できない。

 もし、これがただの空腹だったのなら今すぐ適当な果実でももぎ取って口に運んでやりたいのだが、


「なんでっ、草木は腐るほど生えてんのにっ、木の実の一つ、落ちてないのよッッ!!」


 極力、身体を揺らさないように注意しながら少女を背負い、森の中を散策するが食べられそうなものは何も見つからない。

 しかも間が悪いことに今は逃走中だ。


(ああもう、非常事態だってのにどうして私はいっつもこんな目に合わなくちゃいけないのよっ!! ストーカー被害これで何件目!? なにが快適な異世界生活を約束するよ!! これで死んだら絶対恨んでやるんだからね!!)


 私の存在が魅力的って言っても限度があるでしょうが!!


 はっはっ、と息を切らして足を動かせば、背後から迫りくる犬のような化け物の姿が。

 つかず離れずの一定の距離を保ち続けては唸り声をあげて追いかけてくる。

 おそらくこの子を狙って追ってきてるんだろうけど、今更、犬の餌になんてして堪るか。

 でも――


「ここまで来て行き止まりってウソでしょ!?」


 現実というのはいつも無慈悲なもので、小走りに森の中を突き進んでいけば目の前には幅の広い崖と川が待ち構えていた。

 向こう岸に渡ればこの馬鹿犬から逃げられそうだけど――


(現実的に飛び越えられる幅じゃない!!)


 でもさっきから私を導いてる赤い矢印は川の向こう側を指している訳で――


「ああもう、信じるからねッッ!!」


 私を無責任にこんな窮地にさらしたアイドルオタの神を恨みながら思いっきり大地を踏みしめれば、日ごろレッスンで鍛えた脚力がうなりを上げた。


「うそ……」


 身体が軽いのはこの独善的な趣味趣向を凝らされた衣装のせいかもしれないが、それにしたってやり過ぎだった。


 優に10メートルは超える大ジャンプ。


 まるで空を歩いているような身軽さに思わずバランスを崩しかけ、反射的に背中に抱いていた獣人の少女を抱き寄せた。


(ちょ、こんなの――いきなり制御できるわけないでしょバカァ)


 できるだけ着地の勢いを殺すように頑張ったけど、それでも殺しきれなかった衝撃が、胸の中から私のものじゃない小さな吐息が漏れさせる。


「ごめん――!! 大丈夫!?」 


 ガバッと体を起こし、慌てて獣人の少女の上からを身体を移動させる。


 衰弱しきった身体にあの衝撃だ。大丈夫なわけない。

 なんとかあの犬の化け物の追跡を振り切ったけど、今も呻くように彼女を苦しませている原因を取り除けなければ意味がない。


 ううっ、こんなことならもっとしっかり医療について勉強しておくんだった。


「こんなの踊って歌うくらいしか能のない私にどうしろっていうのよ……」


 病気。衰弱。拒絶反応。脈が弱い。呼吸は? 反応が鈍い。食べられるもの。知識なんてない。どうすれば――


 グルグルと回る思考のなか、様々な知識が頭の中に駆け巡り、記憶の中から導かれるようにスマホに指を滑らせた。


「スキル欄、展開ッッ!! スキル鑑定眼、発動!!」


 視界に補正が掛かる感覚。咄嗟とはいえスキルが発動できたのは上々だ。

 あとはこの子がどんな状態か分かればまだ解決の糸口はあるんだけど――


 そうして彼女の身体を凝視するれば、うすぼんやりと掠れる形で少女のステータス情報が徐々に開示されていった。


【名前】:シロナ

【種族】:混成獣人

【職業】:なし


【力強さ】:1

【体力】:1

【器用】:1

【すばやさ】:1

【幸運】:1

【精神力】:1000


【状態異常】:カナンの神罰


 なん、だ。このステータス。

 ほとんど最低値ってどういうこと。死にかけもいいところじゃない!?

 しかもこの【状態異常】カナンの神罰ってのはなに!? これが彼女を苦しめてるの!?


「これじゃなにもわからないのと同じじゃない!! なにか。なにか使えるスキルは――」


 いちいち全部のスキルを精査している時間もない。

 少女の身体が徐々に冷たくなっていくのがわかる。

 すると私の指先がある項目でピタリと止まった。


【固有スキル】:神-TuBE


 このスキルがどんなものか私にはわからない。


 でも唯一の救いと言えば画面の右下にメールらしきマークが①と書かれており、そこをタップすれば、ずらっと現れるメニュー欄のなか。『投げ銭システム』と書かれた項目が一つだけピコピコと何かを主張するように光っていて――


(こういう時はとりあえずポチるべしとプロデューサーも言っていた気がする)


 とあるイベント会場のコメディじみた催しを思い出し、覚悟を決める。


 ええいままよ!! と意を決してようわからないボタンをポチれば、軽快な音と共にウィンドウに『転生特典――三つのお願い』というものが表示され、


「なに、これ……」


 どこか既視感の有る、けれどもまるで落書きじみたお手製のライブチケットのような紙が三枚、なにもないところから現れた。


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