キャンディは砕かれていた⑬

 地面の冷たさに激しい足の痛み。

 泣いても叫んでも痛みは良くはならない。痛みをこらえて地面に倒れる僕に声をかける者がいた。


「きょーちゃん、これでもう少し遊べるよね」


 その声は僕と一緒にいられることを喜ぶ素直なものだった。髪を両サイドで結んだ小学生くらいの修善寺なずなは身長の半分ほどの長さの木の棒を地面に投げ捨てると、苦しんでいる僕の隣に座って微笑んだ。彼女の屈託のない笑顔は沈みゆく太陽に照らされて赤い何か別のものようにみえた。


「なっちゃん。どうしてこんなことを?」

「だってきょーちゃんが帰るっていうから。でもケガをしたんだからちょっとくらい遅くなっても大丈夫だよね」


 彼女の言葉には同級生の足を砕いたという罪悪感など一つも感じられなかった。あるのは僕と一緒にいられることがとことん嬉しいという好意だけだ。きっと彼女は考えたのだ。三木京平ともう少し一緒にいたいならどうするべきか。


 家に帰るのが遅くなるときょーちゃんは怒られるから帰ろうとしている。


「ケガをしたら帰るのが遅れても心配はされるけど怒られはしない」


 小さなケガだときょーちゃんは歩いて帰ってしまうかもしれない。


「なら、歩けなくすればいい」


 どうやればきょーちゃんは歩けなくなるのか。


「骨が折れればいい」


 骨を折るにはどうするのか。


「硬いもので足を撲ればいい」


 彼女はそう考えて近くに落ちていた木の棒を思いっきり僕の足へ向けて振り下ろしたのだ。

 痛いほどの好意は暴力と変わらない。僕は思ったのだ。どうすればこの状態から救うことができるだろうか、と。そして、その答えは彼女と同じ暴力だった。僕は幸せそうに微笑む彼女の隙をついた。地面に落ちていたこぶしほどの石で彼女の後頭部を殴った。


 噴き出した血で僕の手が夕焼けに似た赤に染まる。それは先ほど見た明け色の修善寺と同じ色だった。


 



 目を開けると三ツ矢君が女生徒の涙をぬぐっているところだった。赤く目をはらしているのは熊谷だろう。泣いている女性を男性がなぐさめる姿は絵的には美しいものだろうが、彼女の手に血のついた花瓶が握られているというのはあまりにもミスマッチだった。


 僕はあたりにあった机を支えに黙って立ち上がると、三ツ矢と熊谷はハッと驚いた顔をしてから一方はすまなさそうに、もう一人は敵意を向けてきた。


「アナタが悪いのよ」


 後頭部あたりからの出血はまだ続いているのだろう。頭の後ろのほうが濡れていて気持ち悪い。立ち上がると追いかけてきたような鈍痛が僕をもう一度、地面に誘うが倒れることはできない。


「チョコレートを捨てさせたこと? それとも三ツ矢君を犯人扱いしたこと?」

「わざわざそんなことも聞かないとわからないの!」


 ヒステリックに叫ぶ熊谷に三ツ矢は寄り添って抑えてはくれているが、その力はほとほと弱々しくすぐにも振りほどかれそうであった。高校生として割りと頑丈な身体に成長したとは思っているが、あの花瓶で何度も頭を殴られるというのは遠慮したい。


 できることならすぐにでもこの教室から逃げ出したいが、僕が倒れていた教卓側から出入口の向かうためには彼らのすぐそばを通り抜けねばならない。机に片手をついて立っているのが精一杯の僕に強行突破はできそうにない。助けを呼ぼうにも出入口の向こうからは人の話し声も気配も感じることはできない。


「……三ツ矢君を犯人扱いしたことについてなら謝るよ。犯人が一人だと考えていて共犯がいることに思い至らなかった僕が悪いし、なにより主犯の手伝いをしただけの彼を責めたのは間違いだった」


 最初に気付くべきだったのだ。砕かれた飴はカバンの中に入れられていた。三ツ矢が犯人だとして僕や鈴木、柳といった男子のカバンに飴を入れることは簡単だ。僕らのカバンは教室においてあるだけで特に施錠されているわけでもなく無造作に机に吊り下がっている。


 だが、修善寺のカバンとなると話は違う。女子のカバンは更衣室にあるのだ。いくら球技大会中とはいえ男子が女子の更衣室に入ることは難しい。監視はないだろうが、誰かが更衣室にいることもあるだろう。三ツ矢がいくら人気者とは言え更衣室にはいることを許してくれるほど女子は優しくない。


 つまり、三ツ矢だけで犯行を行うことはできない。

 だとすれば、他にも犯人がいることになる。


「ま、待ってくれ。俺がやったんだ。熊谷さんは関係ない」


 三ツ矢が熊谷をかばうが、それは誰の目から見てもとってつけた様なセリフだった。


「飴を袋に一粒いれてそれを砕く。簡単そうに見えるけど数をこなすとなると大変だよね。いくつ作ったかは知らないけど、僕の知る限りじゃ五袋以上はあったんじゃないかな。大量に作るなら最初に飴を砕いておいて袋にざらざらと流し込めばいい。でも、君はしなかった。とても几帳面に一粒づつ入れて砕いていった」

「慌てていてそうなったんだ」

「慌てていたならいちいち一粒づつ飴を入れないよ。むしろ、作業として確立されていたからこうなったんじゃないのかな。例えば、熊谷さんが飴を袋に入れる。次に三ツ矢君が飴を砕く。そうやって作ったのならこんなに几帳面になったか分かるよね。工程として作業内容が決まっているから、それを繰り返した」

「違う! 俺がやったことだ」


 三ツ矢は強く否定したが、隣にいる熊谷は何か言いたげに彼のほうを見つめている。


「なら、修善寺さんのカバンには何色の飴玉をいれたか覚えてる?」

「えっ?」


 虚を突かれたように三ツ矢は驚いた。ひどく苦しい思い出を再生しているような表情で彼は「赤色」とポツンと答えた。


「ありがとう。三ツ矢くん」


 僕がお礼を言うと三ツ矢は何を言われたか分からないという顔をして僕を見つめたあと熊谷を見た。彼女は声こそ発していなかったが明らかな怒りを煮えたぎらせていた。


「修善寺さんのカバンに入っていた袋にはたくさんの飴が入っていたよ。それこそ、悪意を感じるには十分なほどに。熊谷さんは考えたのかな。ホワイトデーである今日に砕いた飴がカバンに入っていたら、それは拒絶の意味だって」


 バレンタインのお返しの話は有名だ。クッキーならお友達でいましょう。マシュマロはあなたが嫌いです。そして、キャンディーはあなたが好きです。しかし、そのキャンディーが砕かれていたらどういう意味になるのか。あなたのことを好きになることなどありません、という強い拒絶になる。彼女はそう考えてあの飴を用意したのだ。


 願わくば、修善寺が失恋したと感じるように。


「だから? 私のチョコレートを捨てさせておいて自分は嫌なんてひどい話じゃない」

「それを言うなら熊谷さんは僕の靴箱に入っていたチョコレートをおとりにしてるよね」

「あの訳わからないチョコなんてどうでもいいじゃない」


 確かにジョークグッズのような激辛チョコレートと本命チョコレートを比べればそうかもしれないが、それは結果論で修善寺がさきに僕の靴箱にチョコレートを入れるようなことがあれば、無残になったのは修善寺のものだったに違いない。


「良くはないよ。チョコはチョコだからね」

「それに……。それにあなたたちはいいじゃない。校内でもどこでも親しげにできて。私と三ツ矢君はほかの女子の目を気にしていつも陰でこっそり付き合わなければいけない。それもあんなチョコレートをあそこに入れておくから」


 バレンタインのあと熊谷がどういう目にあったかは僕は知らない。つらいこともあっただろう。それには同情しないでもない。だけど、彼女は決定的に間違っている。


「修善寺さんのカバンにだけ飴が入っていると誰が犯人かすぐにバレる、と思ったのは三ツ矢くんか」

「……ああ、そうだよ。メールで彼女から飴を入れたと聞いてすぐにバレると思った。なんせ、修善寺さんは君に訊ねればいいんだ。飴入れた? ってね。そこで君が違うと言えばすぐに犯人は分かるに違いない。なら、飴自体がもっと多くの人のもとにいけば、特定の人物に対してのいたずらじゃなくて大きないたずらにになる」


 三ツ矢は本当に熊谷が好きなのだろう。なんともまぶしい話だ。僕と修善寺の関係はそうじゃない。僕たちはもっと終わっているのだ。被害者と加害者は恋などしない。


「そう。ならいいんじゃないかな」


 僕が言うと二人は顔を見合わせた。どういう意味なのか。僕が何かを企んでいるのかという疑り深い目をする彼らに僕は続ける。「大きなイタズラがあった。これでこの話は終わりってこと」僕は机に着いた手だけは離さずに残った手だけを空にあげた。


「君はそれでいいのかい?」

「三ツ矢くんたちは勘違いしてるけど僕と修善寺さんはそういう関係じゃないんだよ」


 熊谷はなにかをさらに問いたそうにしていたが、三ツ矢にうながされて教室から出て行った。彼らの姿が完璧に消えてから僕はふぅーと大きな息を吐いてその場に倒れこんだ。正直に言えばもう限界だった。頭の痛みもなにもかも。教室の天井が見える。見慣れたようにも見えるが、自分たちの教室でないとどこか違うらしく違和感を感じた。


 それでも床からの冷たさが気持ちいい。もうしばらくはこのまま倒れていたい。

 そんな淡い期待に反するように、教室の出入口が開く音がした。少しだけ顔を動かすと修善寺が見えた。さきほどの熊谷が感情をあらわにする太陽だとすれば、彼女のそれは反対に全くの冷え切った表情だった。真冬に登った月の寒々しい淡い青のような冷たさがそこにはあった。

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