王太子殿下は恐怖を感じる


「もう無理!本当に無理!」


だばだばと涙を流しながら訴えてくるユリアを見ながら、だろうなと思う。


ここは王城内の私の執務室だ。

ユリアは今、王城に用意された部屋に泊まり、毎日王妃教育を施されている。

そして毎日逃げ出しては私に不満をぶつけるのだ。


婚約解消の話しがあってから一ヶ月経ったが、今だにローゼリアと話せていない。

学園も休んだままで一度も来ていない。


面会の許可を取ろうとしても、手紙は開封もされずに返され、宰相に言っても何の為に?と冷たくあしらわれる。

直接謝罪をしたいと言っても、伝えておきますの一点張りで埒があかない。


「早くローゼリア様と仲直りしてよ〜!」


縋り付いて泣きながら言ってくるユリアに、私だってそうしたいと心の中で呟く。


何も知らず出来ないユリアを、何くれとなく世話を焼き守ってやるのは楽しかった。

でも今になってユリアを良く見ていると、何も知らず出来ないのではなく、何も知ろうとせずやろうとしないだけだと気付いた。


ローゼリアがユリアに礼儀作法や貴族のルールを事細かく教えていた時、やり過ぎだと注意していたが、あの頃に戻れるならもっと厳しく教えてくれと言いたい。


「こうなったら、非常識ではありますがユリアの言っていた通り、公爵邸に直接訪問するしか方法が見つかりません」


側近の一人が諦めたような声で言った。

彼等も今回の件でかなり叱責を受けたようだ。

私を止めるどころか一緒に道を踏み外したとして、側近を辞退した者もいる。


親しんだ側近を失い、この上ローゼリアまで失ってなるものかと、婚約解消の書類へのサインはしていない。


ふと、艶やかな赤い髪を耳にかける、ローゼリアのちょっとした仕草を思い出す。

キラキラ光る紫の瞳で私を見つめるローゼリア…。


「殿下…あの…」


側近が何か言いづらそうに私に声をかけて来た。


「どうした?」


「バレット公爵令嬢に、新しい婚約者候補がいるとの噂を聞きました。その…」


「何だと!!!」

「きゃあ!」


あまりの衝撃に思わず縋り付いていたユリアを振り払ってしまった。

尻餅をつくユリア。


「っ、すまない。怪我はないか?」


手を差し出すと大丈夫と言いながら立ち上がった。


「まあ、ユリアさん。こんな所にいたのね」


私の執務室に、何の先触れもなく突然母上が入って来た。

私の隣りでユリアが震え上がる。


「貴女はアランの妃となり、この国を支える王妃となるのですよ。自国の歴史くらい覚えていなくてどうするのです」


今日は歴史の授業だったようだ。


「ユリア…」


「イヤ!」


私が声をかけると、ユリアが身を固くして強く拒否した。


「あたしに王妃なんて無理だよ!だってなりたくないんだもん!なりたい人が、やりたい人がやればいいじゃない!あたしはイヤだ!!!」


「残念ながら、なりたい人もやりたい人もいないのよ」


母上が優雅に扇子で口元を隠す。


「あたしだってなりたくないんだってば!何であたしなの?あたしじゃ無くてもいいでしょう?!」


ユリアが叫びながら泣きじゃくる。

誰も何も言わず、ユリアの泣く声だけが執務室に響く。


「困った子」


母上が小さく呟いた。


「貴女じゃなければいけないのよ。貴女は自分が何をしたか分かっているの?」


ユリアが顔を上げた。


「あたしが何したって言うの?!」


挑戦的なその態度に、母上が溜息を吐いた。


「貴女は嘘をついたわ」


「何の事?」


「貴女は嘘をついて人を陥れたと言ったのです」



その言葉に言い知れない恐怖を感じて、私は母上を見たまま動けなくなった。

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