第38話 穢れなき想いの結晶

 図書館のガラスドームを破壊したのはボルトだ。だから私はカウントしなかった。森のどこかでマローネ3が咲いたのかもしれないとも考えたけれど、もしそうならば、感覚を狂わす程度では済まされないだろう。それよりは大量発生した蛾たちの出す高周波の方がしっくりくる。

 それに生態系調査チームからの報告で、湖のほとりに出るカートにもMO波装置がつけられていたことを知ったこともある。ジョンソン博士が言うように、蛾以上の域に達するバランスの悪い高周波は厄介な代物だ。自然界に存在しない異質な周波数はきっと不快極まりないものだっただろう。蛾が鳥が、それに巻き込まれたと仮定すれば大いに納得がいく。

 博士も同じ意見だった。「あの忌々しい装置を回収できてよかった、特に森から!」と鼻息荒く言い切った時には、人よりも動植物の方に重きを置く博士らしさに思わず笑ってしまった。どうやら私は、公園管理事務所チーフ補佐の自分を思いの外気に入っているようだ。任務のために接触した人々に任務を超えて好意を持ち影響を受けている。この仕事が楽しくて仕方がなかった。


「でもね、オーウェンさん。MO波も使い方次第なんですよ。どうアプローチするかだ。私たちは生き物ですから。データだけじゃどうしようもないこともある。頭でっかちの坊ちゃんたちにちょっと喝を入れに行きますかな。どうせ彼らは森の中なんて駆け回ったこともないでしょうからね。じいさんの意見もたまには役にたつと思ってもらえたらありがたい。せっかくの優れた頭脳たちだ。気を吐いてもらいましょう。人も自然の一部だということを念頭に置いた上で、力でねじ伏せるのではなく、より生活に溶け込む何かを基準にやり直すことができれば、きっと素晴らしいものになる。励まして焚き付けて、このスロランスフォードにふさわしいものを作ってみせますよ」


 この街にいる人たちはみな前を向いている。失敗など当然だと受け止めているのだ。それゆえに、そんなことで足止めを食うことはない。嘆いたり憤ったりする暇があるなら、それを覆すものを、超えていくものを作り上げるまでなのだと、そう信じている。その強さ、たくましさやしなやかさが、今の私にはなんとも心地よかった。

 それはまた、マローネ3を運び込んだ地下倉庫でも同じだった。まずは私が入り害がないことを確かめた後、ナーサリーのスタッフや農場関係者、菜園管理者たちがこ続々と参加する。新しい種に向けた情熱に圧倒されるばかりだ。


「チーフ、これってオペラハウスものですよね?」


  設置場所に何か問題があったのかと怪訝げな顔のスタッフたちに、少佐はにこやかに笑いかけた。一点の曇りもない笑顔。すごい、さすがに超一流の狸親父。これは見習わねばと、私は密かに心の中で舌を巻く。


「ちょっと気温をいじることになってね、せっかく育てたものをダメにしたくなくて引き取ったんだよ。ここなら育種のためのデータも取りやすいし、オペラハウス落成記念に、我がスロランスフォード産の夏花が揺れるなんて、最高じゃないかい?」

「はい! 素敵です、チーフ! ナーサリースタッフ一同、気合を入れて頑張ります!」

「ああ、期待しているよ。楽しみだねえ、オーウェンチーフ補佐」


 少佐の横に立って、実際に公園管理事務所の仕事をすることになろうとは想像もしなかった。悪くない、悪くないじゃない! 私はいつになく興奮していた。もちろん、周りがそんな私に気づくことはなかったけれど、どうやら百戦錬磨の少佐の目だけはごまかせなかったようだ。にっこりと微笑みながら私に話を振ってくる少佐、いやチーフの目は面白いものを見つけたと言わんばかりに輝いていて、居心地が悪いことこの上ない。


「それでだ、近々緑化促進課の総会を開こうと思っている。緊急案件だ、全員出席で力を出し合おう。いいかい、冬を彩る準備だ! なんたって私たちはスロランスフォードの顔を作る者たちなんだからね。実力を遺憾なく発揮しようじゃないか!」


 落葉とか冬枯れとか、寒い時期は物寂しくなりがちだけれど、それに甘んじる気はないらしい。それどころか目を引く何かを考えて、景観面からのさらなるアピールを考えている。冬のスロランスフォードはこんなにも美しかったのかと観光客を驚かす気満々だ。

 転んでもタダじゃ起きないのがスロランスフォードなのだとボスが笑っていたけれど、まさに! このバイタリティ、なんという力強さ。もちろん、うちの部署だけではない。スロランスフォードのありとあらゆるところで冬に向けての動きが活発化していく。そう、寝ていていいのは蛾だけ。私たちは目まぐるしく働かされることになった。


「ティナ、どうだ、あの設備すごいだろう。作った当初はやりすぎだという声もあったが、今回の件には御誂え向きだったな。なあ、お前知ってたか? あの金属のこと」

「ええ、それなりには。でも、あそこまですごいとは思いませんでした。まあ、ありえないほどふんだんに使ったからこその効果でしょうけれど、それだけの価値はありますね」


 私はそう言うと、胸の青い花をそっと握った。地下倉庫を覆っている壁、外部からの波動振動を一切遮断するその素材は、私の胸に輝いているものと同じなのだ。


 それは偶然だった。知られていないけれどすごい素材があると聞きつけたデザイナーが、面白いものができるのでは社内会議で提案したらしい。とてつもなく高価なものではあるけれど、微量なら都合できないこともない。資金力がある老舗ならではの挑戦だった。

 あえてカジュアル路線に使ったのは、この素材の知名度を高めることが目的だ。ジュエリー界における指南的役割を果たそうと彼らは考えた。ただのおしゃれに止まらず、最先端の科学を組み合わせた価値あるものとなるはず。老若男女問わず、多くの人の知的好奇心を満たすだろうし、お土産として売り出すにも非常に話題性がある。まさに新しいジュエリーのあり方だ。スロランスフォードを代表するものの一つになることは間違いない。総督府とも古くから付き合いのある盟友ならではの鮮やかな手腕だったのだ。 

 そんなこととはつゆ知らず、新しいシェリルベルの思い出に! と飛びついてしまった私。総督府勤務が聞いて呆れる。恥ずかしすぎる。今回の体験をもとに、今後はいろいろなところで宣伝せねばと思った。プライベートで宣伝! ……この私がだ。すっかり事務所職員の自分に苦笑を禁じ得ない。


「ネックレスが守ってくれたのよね」


 あの時、左手に力が集まったのは本当だ。けれどこの青いシェリルベルがさらに力を貸してくれたのだと思わずにはいられなかった。


 それから数週間、私は常に青い花を胸に抱いて任務に励んだ。地下倉庫に赴き、咲き始めた花を感知しながら広大な通路を行く。予想通り、最初のうちは力の加減が難しくて少々痛い思いをした。小さな生傷かすり傷が絶えず、ウィルは顔をしかめたけれど、胸の花があるからこれだけで済んでいるのだと言えば、笑ってくれた。

 

 そうして最初の一週間で見つけたものは100を上回った。花100個! 一つでもオペラハウスを吹き飛ばせるものが100個……。ぞっとしつつもその花たちを見たとき、私にはわかった。そこから発せられるのは怒りではない。悲しみだ、寂しさだった。中尉は今もなおボスを求め、ボスを必要としている。

 ああ、あの花もこの花も。通常白にはならない花たちが、ボスの氷河色の瞳と同じ色。それはどれほどの想いなのか……言葉にできないものが入り混じり、あふれ出てそこにあった……。

 私は穢れを知らぬその色の前で全神経を集中し、向かってくるものを抑え込む。その瞬間、それは弾け飛んで粉々になる、光に戻っていく。その光景はあまりにも美しくて残酷で、ボスたちの遠い日に重なって揺れて揺れて……胸に迫った。

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