第18話 青い花咲く時間

 翌週、シェリルベルが満開になったと資料を届けに来たスッタフが教えてくれた。仕事の前に後にコースを訪れていた私にはもうわかっていたけれど、笑顔でお礼を言う。

 今のところ異常はない。ミツバチはたくさん飛んでいたけれど、蛾の姿はなかったし、上空を舞う鳥の姿も見なかった。満開の花は息をのむほどの迫力で、私の知っている母星カスターグナーのものと違うもののような気がした。

 と言ってもそれは一般的な情報であって私個人のものではない。けれど、だからこそ嬉しく思えた。なけなしの思い出にすがる必要がなくなったからだ。

 私のシェリルベルの思い出はウィルと一緒に見るこの青。飛び交うミツバチと美味しいそ蜜。それで十分だ。あと何回、この風景を見ることができるかはわからないけれど、見るたびそれはきっと鮮やかさを増し、私を支えてくれるだろう。


『いよいよ満開です。人も多くなるでしょうから、六時半の待ち合わせを六時に変更しましょうか?』


 送信した後ではっと我に返る。


(ああ、やってしまった……これじゃあ、二人きりの時間がもっと欲しいと言っているように聞こえてしまうかも? 恥ずかしい、恥ずかしすぎる……)


 頭を抱え、何か言い訳しなければと思っているうちにウィルからの返信が届いた。


『いいですね。花もロティも一人占めできる時間が長くなるなんて最高です』


 今度こそ私はデスクに突っ伏した。すぐに返事を書ける気がしなかった。世の男性というのはみんな、こういうことをさらりと言うものなのか、それともウィルが特別なのか、どちらにせよ、私には縁遠くて理解不可能だった。

 これまでの任務を通して、人との関わり方はそこそこ鍛えられたと思っていたけれど、どうやら甘かったらしい。今後のために、たとえ甘く囁かれようが下ネタを振られようが、笑顔でかわせる話術と度胸を身につけるべきだと思った。


 そして週末、花を堪能する日だから地味目の装いにした。さすがに三週連続同じパンツはと思い、仕事帰りに買ったアイボリーの薄いリネンのカーゴパンツを履いている。

 カーゴパンツ、実は部隊でも支給されていて履き慣れているけれど、持ってこなかった。ちょっといかつくて、チーフ補佐には似合わないような気がしたからだ。けれど、初日にウィルがモスグリーンのものを履いていて、その格好よさにぐらりときてしまい、買い足すならやはりこれだと思った。

 

 こういう時、スロランスフォードの品揃えは秀逸だ。急なアウトドアイベントも気軽に楽しんでもらいたいと街には手頃な値段の良品が並ぶ。広い銀河からくる様々な人たちに対応できるよう、色や形はバラエティーに富んでいて選んだものがかぶることが少ない。もちろん似合うものも見つかりやすいから写真写りもすこぶる良い。これはもう「スロランスフォード」と言うブランドネームを作っていいのではないだろうかと唸らされる程だ。

 私もありがたく便乗する。続くかもしれない週末の外出に備えて、カーゴパンツやアウターを買い揃えた。


 しかしここではたと気づく。このカーゴパンツに何を合わせるべきか。タンクトップとかTシャツとか、そんなものしか思い浮かばない。なぜなら着るのはいつだって部隊のトレーニング時で、カーゴパンツをオシャレに女の子らしく履きこなすとか、そんなこと考えたこともなかったからだ。迷いに迷ってノースリーブシャツを手に取った。これ以上考えても無理、シンプルに徹するしかない。


「ロティ、おはようございます。おや、珍しいですね、カーゴパンツですか。ドレッシーなあなたもいいけれど、ワイルドな姿も新鮮です。シャツがいい……そそられますね」


 その言葉に心の中で舌打ちをした。もう一つボタンを開けるべきだった。トラムの中でボタンを開けたり閉めたりしていたのだ。どこまで開くかで雰囲気が変わる。恥じらいも欲しいがいい年だ。なんだか大人な自分を演出したかった。けれど二つ目まで開けると大胆すぎるような気がしてやめたのだ。でもそうするべきだった。

 そこまで考えてはっと気づく。私何を……。ウィルにアピールしてどうしようというのだ。慌てて自分に言い訳する。違う違う、これはファッション理論。服をよりよく見せるための話。だからと言って、まさか今目の前でボタンを開けるわけにもいかず、この件については強制的に忘れることにした。

 

 朝六時、コースにまだ人影はない。私たちは群生地へと急いだ。満開の花を見て全身が総毛立つ。私は密かに構えた。しかし問題はなさそうだ。ほっと胸をなでおろす。


「ああ、これは予想以上だ。青の大洪水ですね。そして甘い香り。シェリルベルはシェリルベルでも、これはスロランスフォードのシェリルベル。新しい思い出ができて嬉しいです」

「……ええ、私もです」


 二人でしばらくその色と香りに浸っていると、賑やかな声が聞こえ始めた。みな考えることは同じなのだ。思ったよりも短い時間だったかとウィルを見上げれば、彼は目を細め、笑顔で首を横に振った。


「大丈夫、十分堪能しました。行きましょうか。水辺も混むかもしれませんからその前に」


 川に戻れば家族が大岩に登って楽しげにしていた。そんな様子を見ながら近くの岩に並んで腰掛ける。


「やっぱり水はいいなあ」

「泳ぐのも好きですか?」

「いや、それが……。僕、スポーツはなんでも好きで、割となんでもこなせる方なんです。だけど泳ぐのだけはダメだった。なんだろう、水に入ると体が動くことを放棄してしまうんです。ただ漂っているだけと言うか……。溺れているわけではないですが、下手したら溺れますよね。だから水には入らない主義なんです。見る専門です」

「まあ……。もしかして、水が好きすぎて、見つめたくなってしまうのでは。ほら、泳いでいるとそれに夢中で水の様子を見ていられないでしょう」

「ああ、そうですね、うん、それは一理あるかも」


 意外なウィルの一面を知れて嬉しくなる。それからまたしばらくたわいもない会話を楽しんでいたけれど、だんだんと人が増えてきたこともあって、私たちは湖へ出た。対岸ではオペラハウス予定地の整備が始まっている。

 ふと、その脇に広がる空間に気づく。なんだろう? 特に何も聞いていない、設計デザイン部署の案件だろうか。そう思いつつウィルを振り返れば、彼はまたお土産屋のカートを覗いていた。

 

 シェリルベル満開に合わせて、さらに色々なグッズがやってきているようだ。先々週よりも多くのカートが並んでいた。可愛らしいブーケや素朴なお菓子、ちょっと手の込んだ食材に花で染色したものまである。

 そんな中にスロランスフォードでは有名な貴金属店のカートがあって驚かされる。総督府前に洒落た大型ビルを持っていて、観光客たちの目を楽しませている高級店だ。そんな店がこんな森の中に出店とは。

 近寄ってみると、それはシェリルベルの花が象られた小さなアクセサリーだった。お値段も手頃で、けれど憧れのブランドマークはしっかり刻印されていて、お土産にぴったり。さすがは老舗、分かっている。これは間違いなく心くすぐられるだろう。


「ロティ、ちょっとこっちを向いて。う〜ん、さっきの方がいいかなあ」

「ウィル?」

「今日の思い出ですよ、ロティ。新しいシェリルベルの思い出を作りたいんです」


 楽しげにネックレスを選ぶウィルを見て、ダメとは言えなくなってしまう。いや本当は、嬉しくてたまらない自分がいた。甘く苦しい葛藤に苛まされる。

 

(こんなことダメなのに。チーフ補佐オーウェンは一夏の幻だって決めたじゃない……。ううん、だからよ。今を楽しむべきだわ。思い出くらい綺麗なものを欲しがってもいいよね……)


 ポーカーフェースの下で揉めに揉め、珍しく私情が優った。もう二度と戻ってはこない時間を、繰り返されることのない時間を、今だけは自分の意思でウィルの笑顔に捧げたいと思ったのだ。私はウィルが選んでくれた青い花をその場で胸に飾った。


「今日のシャツに似合いますね。そうだ、ボタンをもう一つ外したらもっと素敵だ」


 そう言ってウィルがさりげなくシャツのボタンに指をかけた。わずかな隙間にすっと風が通り抜ける。心もとなくなって、いたたまれなくなって、石化しかけた私の耳に売り子さんの感嘆の声が響いた。


「わあ、いいですね。可愛いデザインが一気に大人っぽくなりました。このバランス、おすすめですね。シックなものがお好きな方にも喜ばれそう」


 ね、とウィンクしてみせるウィルに私はコクコクと頷いた。そんな私に笑いかけたウィルが、つっと胸の上の花を指でなぞった。今度こそ完全に石化する。


「ロティ、今日はクロワッサンにしますか?」


 その上耳元で囁かれて気が遠くなり、さっき見た湖の光景などすっかり忘れてしまった。

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