応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 第二十二集への応援コメント

    こんばんは。

     第二十集「髦俊」ですが司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」で沖田総司が、ひっくり返して「俊髦」(しゅんぼう)という熟語で、使ってましたね。

     司馬先生は、「光暈」も何故か「梟の城」で逆転させて、「暈光」(うんこう)と書いてました。

     第二十一集からは、「防遏」、第二十二集からは、「肯綮に中る」の形で、愚稿で一応、使っていますが、「尫弱」という言葉は一応は、知っていましたが、「かよわいこと」しか知らず、「すくないこと・貧乏なこと」と言う、意味が有ったとは知りませんでした。

     一旦この稿はこれで、最終回ですよね。

     大変に勉強になりました。

     どうも、有難うございました。

    作者からの返信

    こんばんは。九頭龍一鬼です。
    田渡芳実様。コメントありがとうございます。

    『第二十集「髦俊」ですが司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」で沖田総司が、ひっくり返して「俊髦」(しゅんぼう)という熟語で、使ってましたね。』とのことですが、たしかに、愚生も実際の文章では、俊髦のほうをつかうことがおおいです。

    『髦』は『長い髪』の意味で、転じて、なぜか『すぐれた人物』というつかわれかたをするようですね。

    結局、日本語の熟語のおおくは(幾許かは元来の漢語から意味が転じていますが)漢文からの移植であるはずなので、俊髦と髦俊も『俊にして髦』か『髦にして俊』かの相違にすぎないかとおもわれます(適当な読み下しですが)。

    ちなみに、現代中国語で俊髦や髦俊というと、『ハンサム』という意味のようです。

    『司馬先生は、「光暈」も何故か「梟の城」で逆転させて、「暈光」(うんこう)と書いてました。』とのことでして、おそらくこれも俊髦と髦俊の相違とおなじことでしょうが、『光暈』は広辞苑に掲載されていながら、『暈光』は未掲載です。

    ネットで検索すると、『暈光』も日本国語大辞典に掲載されているようなので、立派な日本語のはずです。

    司馬氏のことですから、漢文や故事からこの言葉をひろった可能性があります。

    また、愚生は悪弊かとおもっているのですが、時代小説では『地の文でも、当時につかわれていた熟語しかつかわない』という暗黙の諒解があるようですので、(『梟の城』は未読ですが、たしか安土桃山時代が舞台ですので)爾時の表現では『暈光』がただしかったのかもしれません。

    また、『尫弱』は基本的に『かよわいこと』の意味で問題ないとおもいます。

    こちらは、『羸弱』『孱弱』『脆弱』などとセットでおぼえておくと、つかいやすいかもしれません。

    『一旦この稿はこれで、最終回ですよね。』とのことですが、元来、本稿はもっと内容を増やしてゆく予定でした。

    が、予想よりもアクセスがすくないことと、『自分だけの単語帳をあまり安易に公開したくない』という愚考から、ここで一旦、終焉とすることといたしました。

    ですので、『これくらいの語彙じゃ足りない』とおっしゃる読者諸賢には、『申し訳ございませんが、ここからはどうか、御自身で語彙を蒐集する楽しみを実体験してください』としか申し上げられません。

    実際に、語彙が増えてゆき、その一部だけでも実作につながってゆくと、大変、楽しいものです。

    本稿が、そのためのよい契機となれば僥倖である、と存じます。

    田渡芳実様、本統に、最後まで劉覧してくださってありがとうございました。

    今後ともよろしくおねがいいたします。

  • 第十六集への応援コメント

    こんにちは。

     第十四集から「殂落・徂落」(そらく)のように、貴人の死は「崩御」「薨去」「卒す」など沢山ありますね。確か宮城谷昌光先生が、身分によって変わるみたいなことをエッセイに書いていた記憶が有ります。
     第十五集から「秉彝」(へいい)は○彝(い)を秉(と)る、ともいうみたいですね。勉強になります。

     第十六集から冒疾・媢嫉(ぼうしつ)は「嫉妬」の語彙が豊富になりました。今まではせいぜい「妬心」や「悋気」くらいしか知らず、「羨望」っていうと似てるんですが、どうしてもニュアンスに違和感が有りましたし・・・。

     これからも、九頭竜様の様に豊穣な語彙を自由自在に使えようになりたいです。

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    田渡芳実様。コメントありがとうございます。

    『確か宮城谷昌光先生が、身分によって変わるみたいなことをエッセイに書いていた記憶が有ります。』とのことで、たいへん勉強になります。

    ためしに、Wikipediaで『崩御』を検索したところ、語源は中華文明のようで、『『礼記』曲礼下篇に「天子の死は崩(ほう)と曰(い)ひ、諸侯は薨(こう)と曰ひ、大夫(たいふ)は卒(そつ)と曰ひ、士は不禄(ふろく)と曰ひ、庶人は死と曰ふ」とある。』とありました。

    現代日本では、天皇陛下のお隠れにたいして、『『崩』御』も『『薨』去』もつかわれるみたいですね。

    また、『律令制下においては、貴人の死を指し、「崩御」の他、皇太子や大臣などの死を意味する「薨御(こうぎょ)」、親王や三位以上の死を意味する「薨去(こうきょ)」、王や女王、四位・五位以上の死を意味する「卒去(しゅっきょ、そっきょ)」などの尊敬語が用いられた。』とのことです。

    おなじく、Wikipediaからですが、『殂落』の『殂』は、伝統的に、海外の貴人が亡くなられた場合につかうことが基本とされており、現代日本語で、天皇陛下などにたいして、『殂落』をつかうのは間違いとされるかもしれませんので、田渡様にもご注意いただきたく存じます。

    ちなみに、明鏡国語辞典では、類義語に『崩殂』(ほうそ)があるのですが、こちらはなぜか、広辞苑には記載されておりません。

    おそらく、各社編集部に方針があるのでしょうが、謎です。

    『これからも、九頭竜様の様に豊穣な語彙を自由自在に使えようになりたいです。』とのことで、うれしいです。

    正直なところ、愚生とおなじような文体の作家様が増加すれば、愚生の存在意義がなくなるのではないか、という心配とともに、作家様諸賢には、もっと日本語を大切にしてほしい、という希望もありまして、本作を公開いたしました。

    いずれにせよ、SF界隈を中心に、AIが小説を書き始めた輓近、われわれ人間は、文章を書く、文字を綴るということについて、もっと真摯に考覈しなければならないような焦燥感があります。

    最後は愚痴のようになってもうしわけございません。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。

  • 第十集への応援コメント

    こんばんは。

     第八集「螽斯」は「キリギリス」って読むんじゃなかったっけ?と思って、ググりました結果
    「1 キリギリスの漢名。

    2 イナゴの別名。

    3 《イナゴは群集し、数多く産卵するところから》子孫が繁栄すること。」
    だそうです。一つまた勉強になりました。

     第九集「慊焉」は何故か、打ち消しが殆どの使用例ですよね。そこが印象に残ってる熟語です。

     第十集「翹楚」も才能が他と比べて優れる意味らしいですが、似たような熟語は多くて助かりますね。(前回の両眼の真逆のパターンですね。)


     

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    田渡芳実様。コメントありがとうございます。

    『螽斯』は『螽斯之化』でもほぼ同義で、広辞苑によると、『太平記』に『螽斯の化行はれて…宮々次第に御誕生あつて』の例文があり、皇室の繁栄を表現するのにつかわれているらしいのがわかります。

    というか、『こんな言葉、『太平記』以外でつかわれることがあるのか』とおもってしまいます。

    ですが、たしか、谷崎潤一郎が、『寺子屋時代に『太平記』を精読させられた』というように随筆に書いていたので、明治維新前後の知識人にとっては常識だったのかもしれません。

    いずれにせよ、愚生としては、いかなる日本語も大切にしたいと存じます。

    また、本稿は、愚生の解釈によって語義を定めておりますので、本稿の記述に間違いがあったら、まことに申し訳ございません。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。

  • 第七集への応援コメント

    こんばんは。

     ふむふむ。瞳の事を「睛眸」って言うんですか。

     両目の表現って、結構少なくて「双眸」とか「双瞳」とか「黒瞳」ぐらいしか思い当たらなかったんですが、勉強になります。

     やはり、探せば有るんもんなんですねー!

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    田渡芳実様。コメントありがとうございます。

    『両目の表現って、結構少なくて「双眸」とか「双瞳」とか「黒瞳」ぐらいしか思い当たらなかったんですが、勉強になります。』とのことですが、愚生もよくわかります。

    一段落や、一作品のなかで、おなじ単語を使いたくない場合、日本語における語彙の多寡になやまされます。

    たとえば、海の様子を表現するのに、『瀲灔』『淼漫』『潺湲』『滉瀁』などがありますが、これらを使い果たすと、こまってしまいます。

    本統に、書けば書くほど、文章を書く難儀さを感じざるをえなくなります。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。

  • 第三集への応援コメント

    こんばんは。

     私が小説で使ったことが有るのは、第1集から「澌尽」第2集から「飄風」第3集から「吶喊」くらいですね。

     しかし、九頭竜さんの語彙は凄いですね!!

     私も頑張って勉強していきます!!

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    田渡芳実様。コメントありがとうございます。

    『私が小説で使ったことが有るのは、第1集から「澌尽」第2集から「飄風」第3集から「吶喊」くらいですね。』とのことですが、田渡様も、相当に語彙が豊富なようで、喫驚いたしました。

    これらの言葉のおおくは、IMEのみならず、ATOKでも変換がむずかしいはずなので、田渡様も充分に語彙に蠱惑されていることと存じ上げます。

    愚生と価値観をわかちあえる読者様と出会えて非常にうれしいです。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。


  • 編集済

    第一集への応援コメント

    九頭龍様の絢爛たる語彙の数々に、少しでも肖りたく存じます。
    不肖、坂本忠恒。これまでの生涯において、正当で体系的な日本語学習を等閑にしてきた怠け者であります故、恐らくは拙作の中で夥しい数の誤り、もとい恥を晒しているものと存じます。近頃漸く奮起して、日本語をしっかり勉強し直そうと決意したのですが、最初の取っ掛かりがなかなか掴めず歯がゆい思いでおりました。
    このような折に、九頭龍様の御作と出会えたことはまさしく僥倖でございます。この巡り合わせに感謝しつつ、勉強させていただきたく存じます。

    追伸
    また、先日無礼にも送らさせて頂いた私の拙いコメント対して、心を尽くしたお返事を下さり、本当に感動しております。特に、私の拙作について御高覧賜ったとのことで、畏れ多くも『堅韌なる文軆』との御評価もいただき(これは気を遣わせてしまったかもしれないと申し訳なく思いつつも)、私の方こそ欣喜雀躍しております。誠にありがとう存じます。

    作者からの返信

    坂本忠恒様。
    こんばんは。九頭龍一鬼です。

    愚作全般を隈無く瀏覧いただき、さらに、応援、星マークのかずかずをいただいて、まことにありがたく存じあげます。本統に、此処まで熱心に愚作を御高覧くださる読者様は稀なので、喫驚と感動をしております。

    『これまでの生涯において、正当で体系的な日本語学習を等閑にしてきた怠け者であります故』とのことですが、勿論、愚生も(中卒で高等教育を享受していないことはともかく)ただしくうつくしい日本語をつむぐむずかしさは、つねづね、実感しております。

    愚生が自慢できるとすれば、曩時の三島由紀夫のように、『国語辞書を最初から最後まで読んだ経験』があるために、多少は、ほかのアマチュア作家同志よりは語彙が豊富ではないか、という点くらいです。

    (これは、いっそのこと、本作のあとがきがわりに執筆しようかともおもいましたが、『日本語の語彙をふやす』こと自体は大変に容易でございます。できれば、紙の辞書よりも、電子辞書を用意して、『ア行』から『ワ行』まで検索し、自分の文章に挿入したら面白そうな字面の熟語をさがし、多少面倒ですが、手書き入力で、その熟語と熟語の意味を、パソコンのメモ帖に引用しておくのです。文章を書くときには、メモ帖で意味の内容から熟語を検索し、それぞれのパソコンのIMEやATOKに読み仮名とともに記憶させ、キーボードで入力すれば、充分に自分の語彙として活かすことができます。おそらく、現在ならば、ネット上の辞書も豊富なので、ネット辞書でおなじことができるかとおもわれます)

    然様な自負心すら、工藤行人様や、尾川喜三太様の傑作群と邂逅することにより、刹那に破砕されまして、一時期は工藤様に『愚生は工藤様には到底およばないので、簡易な文軆に転向します』というように宣言し、『きみをつれて』を執筆する次第となりました。

    が、然様な『きみをつれて』も、某新人賞で一次選考落選となり、愚生は『もう、好きなように書こう、自分の好きな日本語で、好きな物語を書こう』と、また、もとどおりの作風にもどってきたのであります。

    『恐らくは拙作の中で夥しい数の誤り、もとい恥を晒しているものと存じます』とのことですが、生来、懶惰な性格の愚生は、『100%ただしい日本語を書くことは不可能にちかい』と諦念しております。というのも、ロラン・バルトでしたか、どなたか失念いたしましたが、世界的な評論家の著書に、『語彙の誤用もふくめて、作者の文軆は出来上がる』というように書かれていたためであります。これは、饒談半分にうけとっていただいでも結構です。

    『また、先日無礼にも送らさせて頂いた私の拙いコメント対して、心を尽くしたお返事を下さり、本当に感動しております』とのことですが、此方こそ、意想外に、坂本様という熱心な読者様と邂逅できて、感動しております。今回のような吉事のきっかけとなられた工藤行人様にも感謝いたしたく存じあげます。

    『特に、私の拙作について御高覧賜ったとのことで』とのことですが、『堅韌なる文軆』という表現は、坂本様の文軆をうまくあらわす語彙が咄嗟に髣髴できずにもちいたもので、いまおもえば、『高雅な文軆』と訂正いたしたく存じあげます。なかんずく、梶井基次郎の作品についての評論が印象ぶかかったです。梶井文學は、日本文學のなかでも、世界文學のなかでも、特異な性質をおびているようで、唯一、肉薄する作家といえば、『マルテの手記』のリルケくらいではないかと存じあげます。然様な、謎のおおい梶井文學について、理解がふかまり、また、梶井の短篇集を再読したくなりました。ありがたく存じあげます。

    坂本様の御活躍を、今後も期待しております。
    今後とも、よろしくおねがいいたします。

  • 第二十二集への応援コメント

    ありがとうございます。
    大変参考になります。
    ほとんどが知らない言葉ばかりで、たまに知っているものを見つけると、うれしくなりました。

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    すらかき飄乎様は非常に語彙の豊富なかたとお見受けしておりましたので『ほとんどが知らない言葉ばかりで、』というのは意想外でした。斯様に無機的に語彙を羅列しただけで、読者諸賢の御役にたてるのかわかりませんが、御劉覧くださってまことにありがとうございました。