第26話 理論の死角
ズシリと重い空気が漂うアハスエルスの病室、その中で来栖龍人は少し青褪めた顔をしてその口を開いた。
「アハスエルスさん、重ねてお伺いしますが……イエス・キリストいやヤフシャ・ハマシアハの高弟十二使徒、彼らが
彼らが不屍者であることの利点、そして何故に彼らが
アハスエルスは重々しく頷いて、龍人の問いに回答する。
「そうですね、それではヤフシャ・ハマシアハの直属の弟子……奴の眷属たる十二使徒の本質について、来栖先生にもお聞き戴きたいと思います。
そもそも十二使徒と呼ばれた者どもは、何故にヤフシャ・ハマシアハに付き従い……奴の弟子としてその生涯を捧げたのでしょう。
彼らもまた古代
彼らもまた、古代羅馬帝国の圧政に苦しみ……猶太人による猶太国家の設立に向けて期する思いがあったのでしょう。
そうであればこそ、エッセネ派の武闘派組織……その急先鋒であるヤフシャ・ハマシアハを擁立し、古代羅馬帝国からの分離独立を狙ったのではないでしょうか。
先日も申し上げましたが、ヤフシャ・ハマシアハの1900年前における真の目論見が不屍者の軍勢を率いて猶太人国家を成立させることだとすると……その軍事組織にとって必要なモノは、統率するための軍団長であった筈です。
そこに配置された十二使徒が、不屍者の軍団長として機能していたと考えることは想像に難くないことであると思われます。
そして彼らもまた、ヤフシャ・ハマシアハ程ではなかったものの……危険人物として古代羅馬帝国猶太属州の総督府より追われ、その身を狙われる犯罪者でもあったのです。
ヤフシャ・ハマシアハが
ペトロは古代羅馬帝国のお膝元、羅馬にて潜伏した後に皇帝ネロの代で逆さ十字架の刑に処され殉教。
アンデレは西方亜細亜や
大ヤコブは
フィリポは希臘やフリギアへと逃げ仰せましたが、結局のところ捕らえられて処刑。
バルトロマイは
疑心のトマスは南印度にて、追撃の手から逃れられず処刑。
マタイは
ヤフシャ・ハマシアハの従兄弟たるタダイは、バルトロマイと同様に
熱心党のシモンは
マティアは石打ちの刑の後、斧による斬首刑にて死亡。
小ヤコブは猶太教神殿における民衆の蜂起の首謀者として、その場で治安維持兵により殺害されてしまったとのことです。
十二使徒で唯一処刑を免れたヨハネも捕らえられ、流刑の地パルトモス島にて獄死したので……十二使徒の全ては囚われの身となり死亡したと云うことになっています。
おそらく
そして死亡した十二使徒については、その遺骸は基督教会の手の者によって回収され……基督教における聖人として手厚く葬られたとの伝承が残っています。
その墳墓が暴かれた、もしくは荒らされたと云うようなこともなかったようですから……聖人となった十二使徒の遺骸についてもその後の取り扱いは誰も知らないこととして、不自然にも隠蔽されているとは思いませんか?
本来であれば基督教における殉教者として、その遺骸は
しかしながら十二使徒については、口伝や新訳聖書における紙面の伝承としてしか……現在には伝わっていないのです。
その現状から鑑みるに、十二使徒の遺骸はそれぞれの墳墓に埋葬されてはいないのだと私は推測します。
ヤフシャ・ハマシアハが処刑後三日で再臨の奇跡を見せた後で、再び昇天と銘打って行方をくらませたように……十二使徒もまた密かに歴史の闇の中へと潜伏しているのだと、私自身は想定しています。
来るべきヤフシャ・ハマシアハの真の再臨……
アハスエルスの言葉に声を失ったかのように黙りこくる龍人は、その
むっつりと黙り込む龍人を尻目に、紫合鴉蘭が引き続きアハスエルスに問いかける。
「アハスエルスさん、貴方の仰る言葉に来栖龍人君は……声も出せぬ程の恐怖を感じているようだ。
それでは今度は、私の方から問いたいことがあるのです。
ヤフシャ・ハマシアハが揃えたと云う不屍者の軍勢、その軍団長たる十二使徒の存在は貴方の先程の説明で、凡そ蓋然性を以てその存在が未だ実在する
しかしながら、まだ謎は謎として存在しているのではないでしょうか?
それは軍団長である十二使徒を除いた、兵卒であるところの不屍者の軍勢です。
先日の貴方と来栖龍人君の面談では、古代羅馬帝国から猶太属州を分離独立させるための軍勢はほぼ揃いかけていたと仰っていた筈だ。
それならば何故……その軍勢は、不屍者の兵卒達は消えてしまったのでしょうか、対峙する相手からは恐怖の具現化とも云うべき死なない兵士が、何処に行ってしまったのか……それともヤフシャ・ハマシアハや十二使徒と同様に陽の当たらぬ地下に潜ってしまったのでしょうか?
今後の対策にも深く関わりがあると思われるこの不可思議な現象を、アハスエルスさん……貴方はどのように分析し想定されているのですか?
宜しければ貴方の見解を、不屍者として生きている貴方の見解をお聞かせ願いたいのです」
鴉蘭の問いに少しだけ間を置いて考えたアハスエルスは、重々しく口を開いて予測に基づいた回答を述べる。
「そうですね、その点については私も追求し切れてはおりませんが……私自身の過去を振り返ることで、紫合先生の問いに応えられる可能性は少しばかりあるのかも知れません。
実は
いえ……強化と云う言葉は、この場合において適切ではないのかも知れません。
どちらかと云えば……病状が深化すればする程、肉体は人間からかけ離れて行くような病態を指し示しているようなのです。
つい先日も私は自らの意思で、頸動脈をメスで掻き切りました。
もしあのような行為を1900年前にしていたとするならば……即死こそは免れたのかも知れませんが、傷口も塞がり完全に恢復するまでの時間は……あの日のように即時と云う訳には行かなかったでしょう。
そう……感染したての感染者であったならば、致命傷となる怪我を負っても死なないかも知れませんが……いざ治癒に向けてウィルスが自己防衛本能的な対応をするのにも、非感染者である常態の人間程度の時間が必要とされることが……私の経験則から予想はほぼ間違いないと推測可能なのです。
ヤフシャ・ハマシアハと眷属の十二使徒は、付け焼き刃で集められた不屍者の軍勢における兵卒と比すると、感染してからの
だからこそ彼らは、死から遠ざけられたとも言い換えられます。
そして不屍者となって歴の浅かった兵士たちは、ヤフシャ・ハマシアハや十二使徒と同様の……古代羅馬帝国世界の野蛮な刑罰に対して恢復が間に合わず、その軍勢の構成員は全滅してしまった可能性があると私は考えています。
そしてもう一つの可能性としては、感染源たる不屍者の罹患後の期間に係るものです。
もしかすると
フルディを……この子を感染させた当初の、怪我からの恢復については私も目を見張ってしまいましたので。
もしかすると、種族における寿命の違いによる成長速度の差異も……不屍者としての病状の深化に関連性があるのかも知れませんが、検証例がこの子だけなので、不確定要素は強いのですが。
紫合先生、私の考察といたしましてはこのような結果となりますが……如何でしょう」
アハスエルスの言葉にフムと一言だけ唸った鴉蘭は、しばし瞑目し……そして徐ろにその眼を見開いて独り呟く。
「それでは……新しい不屍者の軍勢に対しても、それ相応の対策が練られるか……やはり喫緊の課題は対抗措置を講ずる速度か……いやしかし……十二使徒が健在であれば、不屍者の軍勢もネズミ算的に増加するか……うん、やはり病根の根本原因は絶たなければ……フムフム……そうだね」
パッとその顔を上げた鴉蘭には、今や何の迷いもなく……晴れやかとでも形容可能な表情すら浮かんでいた。
「よしっ!
僕の脳髄が高速回転して弾き出した結果、やはり
さて……来栖龍人君、いつまでも呆けていないで……麗しのフルディ嬢から検体を採血する準備を整え給えよ。
全く君は本当に困った指示待ち人間だねぇ、僕の思考の先回りをして……すでに採血ぐらいは終わらして然るべき状況だと僕は思うよ」
アハスエルスと鴉蘭、二人の会話を傍観者が如き姿勢で聞いていた龍人は……鴉蘭の言葉で正気に返り、慌てて採血の準備を行いながらブツブツとボヤく。
「やっぱり俺はこないな目に遭う宿命なんやな、うぅ……頼むでフルディ、暴走して俺を噛まんといてくれよ」
龍人の言葉を聞いているのかいないのか、当のフルディは定位置であるアハスエルスの膝の上で小さく欠伸を漏らした。
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