第13話 キュロス

「キュロス馬車だ!」


 屋敷の中庭に停まっているのはキュロス馬車。


 二匹のキュロスがお行儀よく待機している。


 モフモフだ。モフモフが目の前にいる。


 街の中で何度も見かけたけど、よそ様のキュロスで忙しそうにしていたので触れることができなかった。だけど、目の前には優雅に佇んでいるキュロスがいる。


 興奮した私は思わずアークに尋ねる。


「この子たち、触ってもいい?」


「ああ、キュロスは穏やかな魔物だからね。触っても大丈夫だよ」


 苦笑を浮かべたアークに許可をもらい、私はキュロスへと近づく。


 私が歩み寄っていくと、キュロスはつぶらな瞳を向けて小首を傾げる。


 特に嫌がる様子も警戒するような様子もない。


 そっと手を差し出して身体に触れると、羽がとても柔らかかった。


「うわっ、すごくモフモフ!」


 フワッとした感触がして、とても気持ちがいい。


 そのまま手を押すとドンドンと沈んでいく。すごいクッション性だ。


 まるで高級な羽毛布団を触っているかのような手触り。


 しばらく手を沈めると、キュロスの肌に触れたのか体温が伝わってくる。


「クエエエ」


 羽毛と体温を堪能するように撫でると、キュロスが気持ちよさそうな声で泣く。


 よかった。嫌がられていないみたいだ。


「クエッ!」


 一匹のキュロスを撫でていると、もう一匹のキュロスが俺も撫でろとばかりに身を寄せてくる。


「君も撫でてほしいの? ほーら、よしよし!」


「クエエエッ!」


 もう片方のキュロスも撫でてあげると満足そうな声を上げる。


「モフモフ! モフモフに囲まれて幸せ! どうしよう、ルーちゃん! 私、王都に行けない!」


「王都に到着するまで時間はたくさんあります。その間にも触れ合うことはできますよ。はい、こちらに座ってください」


 このままではいつまで経っても出発できないと思ったのか、ルーちゃんにあっさりと馬車に乗せられてしまう。


 身体は私よりも大きいし身体強化の魔法だって使えるので、私の身体を運ぶのも楽々だ。


「ああ、キューとロスカ」


「名前をつけるのが早いです……」


 もう決めた。最初に触れた子がキューで、次に触った子がロスカだ。


 キュロスという名前からとったものであるが、ビビッと思いついてしまったのだ。


 あの子たちのことはそう呼ぶことにする。


「これが書状だ。王都に入る時やセルビスと会いたい時に役立つだろう」


「ありがとうございます、アーク様」


「あれ? なんで私じゃなくてルーちゃんに預けるの?」


 これじゃあ、ルーちゃんが保護者のようではないか。私の方が歳――は下だけど、先輩なはずなのに。


 ちょっと釈然としない気持ちを抱いていると、アークがこちらに向き直る。


 お? 今度こそ重要な何かかな?


「ソフィアにはこれを渡しておくよ」


「これって私の魔力でできた結晶?」


 アークが手渡してきたのは教会の地下で目覚めた時にあった結晶。


「ああ、ソフィアの魔力が物質化したものさ。聖の力が宿っているから、ソフィアの装備を整えるのに使えるんじゃないかと思ってね。セルビスに渡すと、何かいいアドバイスを貰えるかもしれない。馬車にいくつか積んであるから渡してみてくれ」


「それはいいアイディアかも! わかった。そうする!」


「それと残りの結晶は、ここで研究に使ってもいいかな? 他に使い道がないか探してみたくて」


「うん、全然使っちゃっていいよ! アークに任せる!」


「ありがとう」


 私がグッドサインをして返事をすると、アークも笑顔で同じように返して離れた。


 すると、ルーちゃんが手綱をしならせて、キューとロスカを歩かせた。


「じゃあ、行ってくるね!」


「ああ、行ってらっしゃい」


 アーク一家に見送ってもらって、中庭を出ていく。


 そのままルーちゃんが巧みな誘導で馬車を進ませてアブレシアの通りを進ませて、あっという間にアブレシアの外へと出た。


 アブレシアの周囲には丈の短い草原が広がっている。


 二十年前までは荒野だったのに、随分と地形も変わったものだ。


 知っているようでちょっと変わってしまった景色にワクワクとする。


「こういう風にのんびりとした旅は久し振りだな」


 最後に出発した旅は魔王討伐だった。その前も土地の浄化や緊急の治癒のための移動といったことが多かった。


 自分の都合だけでこのように旅に出るのは久し振りのことだった。


「これからは、もっとこういう時間が増えますよ」


「うん」


 時間が合えば、アークやセルビス、ランダンとも平和な旅をしたいな。


 綺麗な青空に浮かぶ雲を見上げながら、しみじみとそんなことを思った。



 ◆




 アブレシアを出てキュロス馬車で王都を目指す、私とルーちゃん。


 御者席に並んで座って景色をボーっと眺めていた。


 アブレシアの外は平坦な街道が続いている。青い空に白い雲が悠々と漂っており、実にいい天気だ。まさに旅日和。


「平和だねー。アブレシアを出てから魔物を一匹も見ていないや」


 アブレシアを出て数時間ほど経過しているはずだが、魔物が近寄ってくる様子はない。


 魔物が跋扈するこの異世界では、外に出るだけで危険が付きまとう。


 自然の地は魔物が多く生息しており、よく遭遇するものだ。魔物を物ともしないキューとロスカがいるとはいえ、魔物と遭遇しなさ過ぎる。


「アブレシアの近郊はルーク様や配下の騎士、聖騎士などが率先して魔物を間引いていますからね。魔物もここが人間の区域だとわかっているのか、あまり顔を出さなくなりました」


「なるほど」


 魔物とてバカではない。


 一定の区域に入ると、人間たちが襲い掛かってくるとなると警戒するだろう。何度も仲間が倒され、追い返されれば割に合わないと判断して近付かなくなるのも当然だ。


 とはいえ、二十年という歳月が経っても人間にとって割に合わない区域の方が多いのだろうが。


「にしても、本当にアークは頑張っていたんだね。改善された物事には何かしらアークが関わっている気がするよ」


「アーク様はアブレシアの領主ですから。領地の開拓、発展に力を入れておられたのでこの辺りで名前を聞くのは当然ですよ」


 私の呟きにルーちゃんが苦笑する。


 それもそうだった。アブレシアはアークの領地だから名前を聞くのは当然か。


 まだ自分の中では勇者であったアークのイメージの方が強いので、ピンときていないや。


 でも、それは私個人のイメージであって、ルーちゃんや世間一般のイメージが今のアークそのものなんだよね。私もちゃんと順応していかないと。


「なんというか携帯も知らなかったのに急にスマホを持たされたような気分」


「どういう意味ですか?」


「……ごめん、なんでもない。ただの独り言だよ」


 異世界でジェネレーションギャップのようなものを抱きつつも、私は視線を前に向ける。


 目の前ではキューとロスカがトテトテと走っている。


 首には馬車を引っ張るための縄が付いているが、二匹の足取りはまったく重さを感じさせない。実に軽快なものだ。


 後ろには私たちの荷物がそれなりに積んであるというのに、この力強さというのは実に頼もしい。


 二匹とも馬車を引っ張らされているが不満そうな気配はまったくしない。


 むしろ、街にいる時よりも活き活きしていて楽しそうだ。


 短い尻尾がリズム良く揺れている。


 アークやルーちゃんが言っていた通り、馬車を引っ張って走るのが大好きらしい。


 本当に不思議な魔物がいたものだ。


「「クエエエッ!」」


 などとぼんやり思っていると、急にキューとロスカが大きな鳴き声を上げた。


 警戒するような声音を不審に思って前を見る。


 すると、前方には棍棒を持ったゴブリンが一匹いた。


 ゴブリンは私たちの接近に気付くと、棍棒を手にして跳ねている。


「人間の区域だと知らずに入ってきたのかな?」


 集団戦闘を得意とするゴブリンが、たった一匹で街道に出てくるなんて無謀すぎる。


「恐らく、はぐれのゴブリンでしょうね。キュロスなら問題ないので突っ走ります」


 ルーちゃんがそう言って縄をしならせると、キューとロスカはスピードアップ。


「「クエエエエエッ!」」


「グギャッ!?」


 進路上にいたゴブリンはキューとロスカに跳ね飛ばされ、錐揉みしながら地面に突き刺さった。


「「クエエエッ!」」


 キューとロスカが勝利の雄叫びを上げるかのように羽を広げて叫ぶ。


 まさかゴブリンがあんなに吹っ飛んでいくなんて。


 モフモフで可愛らしい見た目をしているが、身体能力は魔物そのものなんだと私は実感した。


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