第9話 極上の選択

 快諾されるものとばかり思っていた。が、少年の返事は鈍かった。


「え? でも、ぼく、君のことよく知らないし…」


 弱々しい返事はリアの心をイラつかせた。予期に反した答えが余計に怒りを倍増させた。


 この男は―!


 喚き出したい衝動はかろうじて堪えた。


 普通は胞奇子から声をかけるものでしょ? そこをまげてあたしの方から申し込んだのに。その態度は何? …確かに言い方はぞんざいだったけど。興奮しちゃったんだから、しょうがないじゃない。


 限界を迎えそうな気持ちに蓋をしてリアは言った。


「…あたしの名はリーゼリア・バザム。アンタ…あなたの名前は?」


「ア、アルカシャ・クルグ」


「いい? アルカシャ・クルグ。あたしは気が短いの。あなたがうんと言わないなら、あたしはあなたと何の関係もない。当然、助ける理由もない」


 リアは振り向かずに右手の親指で後ろを指し示した。


「あなたが頷かないなら、あの檻を即刻解除して中のケダモノを開放するわよ?」


「オレ様をケダモノ呼ばわりすんじゃねえっ!!」


 聞きとがめたドロスの怒声が響いた。リアは無視した。


「どうする? どのみちあなた一人じゃ魔王にはなれない。調制士が必要なのは分かってるんだから、どうせならあたしを選びなさい」


「…でも」


 こいつ、まだ言うか。


 煮え切らない態度にリアは機嫌を損ねた。不興げな表情を浮かべて指を鳴らした。背後で金属音が響いた。檻の前面上部で格子が一部消滅していた。


 ドロスとアルが同時に反応して空隙へと視線を向けた。人ひとりがちょうど通れそうな隙間に向かってドロスが檻をよじ登ろうとした。


 アルが屈服した。


「分かったよっ! ぼくとペアになって!」


 素早い動作でリアに取りすがった。布袋がはずみで取り落された。リアは満足げに笑った。


「アルカシャ・クルグ、ううん、アルでいいわね。あなたは今、極上の選択をしたわ。あたしが保証してあげる」


 リアの微笑みと同時に消えた格子が復活した。今度は音はしなかった。


 視線を交わす二人の背後でドロスが吼えた。


「オレ様をここから出しやがれっ!!」


「静かになさい、ドロス・ゴズン」


 リアは檻の方向を向いて振り仰いだ。


「オレ様に命令すんじゃねえっ! 早くここから出しやがれ! まず、てめえからひねり潰してやる!」


「ひねり潰す? あたしを?」


 ドロスの脅しにリアは不敵な笑みで応じた。


「できないことは言うべきじゃないわ、ドロス・ゴズン。それに、あなたが心配していた調制士は今、目の前で一人減った。できもしないことを言う暇があったら、早く調制士を探すべきだと思うけど? それとも二人一緒に相手をしてみる? あたしは構わないわよ?」


 リアの指摘にドロスは言葉を詰まらせた。手順はどうあれ、アルとリアの約定は成立していた。胞奇子の危機には調制士が、調制士の危機には胞奇子が共に立ち向かう。ドロスの言葉の実行は一対二の対決を意味した。


 表情を不規則に歪めながらドロスはしばらく視線を泳がせ、不服そうに言った。


「…何もしねえから、…ここから出して…くれ」


 搾り出すような声だった。元々の野太さに怨念が加わり、さらに低く聞こえた。眉間の深い皺と引きつった口元に抑えきれない葛藤が見て取れた。凶暴な気配は消えていた。


 リアはドロスの表情を伺い、真顔になると指を鳴らした。檻は瞬時に消失した。床に格子の開けた穴だけが残った。


「―」


「―」


 ドロスとリアの視線が交錯した。


 リアはドロスの暴走を想定して警戒を解いていなかった。ただ立った状態でいながらも、いつでも戦闘に入れるようにしていた。


 だが、用心は必要なかったようだった。ドロスは重々しい動作で体を返すと出てきた方角へと歩き出した。途中で一度足を止めて振り返った他は格別変わった様子もなかった。巨大な体躯は、扉を押し開くと強烈な印象を残して広間から消えた。


 広間にざわめきが戻った。

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