第5話 ドロス・ゴズン

 問いを胸にリアがレガートを見つめていると広間が騒がしくなった。


「?」「?」


 二人は同時に声のする方へと視線を移した。


 騒ぎの元は広間に通じる奥の廊下を進んできているようだった。複数の短い悲鳴に混じって蛮声が聞こえた。廊下を踏み鳴らす重い足音と一緒に近づいてくる。少年の入ってきた入口のちょうど反対側、左右の宿泊棟と連絡する廊下の扉が大音響とともに押し開かれ、巨大な人影が現れた。


「今頃来やがったヤツってのはどいつだっ!!」


 人影は野太い声で呼ばわりながら広間に侵入した。巨躯を運ぶ荒い足取りは人さえも踏み潰しそうだった。扉の付近にいた数名の胞奇子や調制士が狼狽を示して後退する。


 人影は見るからに機嫌が悪そうだった。伸ばし放題の暴れているような赤茶けた髪は背中まであり、もみあげとつながった顎髭を胸元まで伸ばした風貌は粗暴でいかつい。荒い眉毛の下の目が眼光鋭く前を睨んでいた。突き出たように見える額と骨ばった鼻筋は褐色の肌のせいもあって岩を削り出したような印象だった。


 男は上体に黄土色のシャツを羽織っていた。ボタンを留めていないので胸毛の茂る上半身が剥き出しだった。鍛えられた胸の筋肉は分厚く、丸みのある腹部にも張りがあった。破れてほとんど無くなった両の袖から筋肉の盛り上がった腕がのぞいている。肌の露出を厭わないのはよほど能力に自信があるか、物事に頓着しないほど粗野なのかどちらかだろう。


 下は生成りのズボンに裸足だ。膝下から破れたズボンは太い脚にもかかわらずダブついている。山刀を挟んだ革のベルトが肩から脇にかけて斜めにかかっていた。重ねてかけているのは緋色の帯だ。本来ならどちらも腰に帯同するものなので、慌てて仕度をした様子がうかがえた。


 到達者の証である緋色の帯は、視認の役目を果たすのと同時に求法院に張り巡らされた相転儀のフィールドの中で異物と判断されないよう信号を発する機能を持つ。胞奇子と調制士の着用する制服も同じだ。自室以外で着用を怠ると侵入者として排除される仕組みだった。帯は制服が出来上がるまでの仮の装備だ。


 ―ドロス・ゴズン!


 思いがけない登場者に驚きつつ、リアは名を思い浮かべた。


 ドロスは三十人目の到達者だった。求法院に着いたのは昨日の昼過ぎだ。昼食を終えて今のようにレガートと休んでいると外が騒がしくなり、続いて聞こえてきたのが名を告げる大音声だった。到着を高らかに知らせ、遅い理由を足のせいだと叫んでいた。重量のある体躯や身体に比して短く感じられる脚を見るに事実だったのだろう。求法院全体に響きそうな音量は威嚇を兼ねていたからに違いない。とてつもない矜持だった。


 リアがドロスを見るのはこれで二度目だ。求法院の玄関とそれに続く迎賓の間の上はテラスになっており、広間を見下ろす回廊と扉を経てつながっている。好奇心に駆られたリアは無関心なレガートを置いてテラスに出た。広場を渡って中に入るドロスを見たのが最初だった。一目で体格は抜きん出ていると分かった。単純な筋力と体力なら胞奇子の中でもトップクラスに違いない。


「てめえかっ!?」 


 リアが昨日の出来事を思い出している間にドロスは少年に目をつけたようだった。広間にいる人間で制服を着ていないのは少年とドロスだけだ。その上、帯を締めているのでは到着したばかりだと触れ回っているようなものだった。


 怒声を浴びせられた少年は怯えた風だった。立ちすくむ少年に向かってドロスは荒々しく歩を進めた。


「おいっ! 何で今頃来やがった!?」


 少年の前で立ち止まったドロスが乱暴に訊いた。見下ろす目も低い声も怒気をはらんでいる。これから何をするかは返答次第だと全身が言っていた。


 ドロスを見上げる少年から返答はなかった。


「何で今頃来たかって言ってんだよっ!!」


 ドロスが床を踏み鳴らした。重い音が響き、振動が回廊にいるリアのところまで伝わってきた。


 …すごい癇癪。だけど、思った通りパワーはある。


 冷静にリアは観察していた。二人の到達者の力を測るいい機会だった。偶然であっても訪れた機は利用するに限る。


 闘争の予感も気にはならなかった。求法院での私闘は禁じられているが、表向きだ。気の荒い魔族が一つ所に集まって何も起こらないわけがない。隣接する迎賓の間や奥にいる係員もよほどの事態にならなければ出てはくまい。リアはテーブルの上に片肘をつき、口元に指を当てながら広間を眺めた。下での成り行きに感興が湧きつつあった。

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