第19話 本番と、拍手。

「準備はどう」

 一〇月三〇日。私の机の前で、拓也が訊いてきた。

 

 秋も深まってきた。木々が色づいている。風が涼しい。私はカーディガンを羽織っていた。銀朱色の。「銀朱色」という色を教わったのはさく姉からだ。洋名は「バーミリオン」というらしい。朱肉の色と同じ赤だ。


「大丈夫。しっかりやったから」

 私は強い目線を拓也に返す。彼は鉄紺色……多分、だけど。緑がかった紺色のこと……のベストを着ていた。何というか、文学青年って感じ。銀縁眼鏡との相性がいい。賢そうな雰囲気だ。つまり、かっこいい。意味もなくときめく。

「拓也はどうなの」

 小さな声で訊く。


「僕もばっちりだよ」

 拓也はにっこり笑う。

「じゃ、お互い、頑張ろう」


 拓也は去る。すると、私の斜め前に座っていた女子……高屋弓子が、私に訊いてくる。


「ねぇさ。もしかして二人、付き合ってるの」

 私は唇に指を当てる。

「ナイショ」

 はぐらかす。でも多分、バレていると思う。


 午後一番の授業。

 総合の授業が始まった。事前に決められていた番号順……出席番号を無作為に並べ替えたもの……に発表が始まる。


 公正取引……フェアトレードについての本を読んで発表した人がいた。

 男女の脳機能の差について発表した人がいた。

 奇妙な死に方をする生き物について発表した人がいた。


 色々な人がいた。それぞれ、注目したポイントが違う。個性が出て、面白かった。そして、拓也の番が来た。


「高木彬光の文学史と、その評価について」


 発表が始まる。


 面白かった。彼氏だから、と贔屓目が入っていたことは否定できない。でも、面白かった。高木彬光の作品群の紹介。簡単なあらすじ、拓也が面白いと思った作品のピックアップ。それぞれの作品の制作秘話や裏話。

 まるでうんちく披露会のようになっていたことは否めないけど、でも拓也の発表の後には大きな拍手があった。よくここまで調べた。そういう意味だと思う。


 休憩を挟む。この日の総合の授業は二コマ。うちは一コマ七〇分授業なので合計一四〇分。クラスは四〇人いるので、一人当たり三分ちょっと。


 私は自分の番が近づくにつれ少し緊張してきた。そっと、拓也の方を見る。彼も私を見ていた。目線で、通じる。大丈夫。そう言われた気がした。


 私の発表の番。


 みんなの前に立つ。

 視線が集まる。目を閉じた。深呼吸。私は、発表を始めた。



「ただいま」

 帰宅。その日は真っ直ぐ家に帰ったので、五時くらい。さく姉もすみ姉もいなかった。


 しかし、リビングに明かりがついていた。いる。父が、いる。


「ただいま」リビングに入る。父はソファに座っていた。転寝をしていたのか、目をしばたかせてこちらを見てくる。


「ああ、おかえり」

 ふう、と深い息を一つ、吐く。疲れているのだろう。くたびれている。その様子が、痛々しかった。


 スクールバッグをリビングの片隅に置き、手を洗ってくる。それから部屋着には着替えず、制服のまま、キッチンへ向かった。


「コーヒー淹れるよ。飲む」

 父に訊く。「ああ」と掠れた声で頷いた。


 コーヒーの淹れ方は、さく姉に習った。

 多分、だけど、さく姉は父に習った。観察していたことがあるけど、さく姉の淹れ方と父の淹れ方はよく似ている。すみ姉はそもそもインスタントコーヒーしか飲まない。ペーパーフィルター用に挽いた豆に九〇度のお湯をゆっくりと注ぐのは父の流儀だろう。


「はい」

 マグカップを持っていく。父はゆっくりとそれを手に取った。

「ありがとう」

 小さな声。私は何だか、辛い気持ちになる。


「お父さん」

 少しの間の後、口を開く。

「仕事、辛いの」

「辛くはない」即答だった。「自分の好きな分野だからな。ただ、このところ少し、疲れていてな」


 父はコーヒーを飲む。がぶり。二口くらいで飲みきった。

「ありがとうな」

 父はそっと、マグカップをテーブルの上に置く。

「書斎に行く。少し仕事をする」


「無理しないでよ」

 思わず、そんな声が出る。すると父は小さく笑った。

「大丈夫だよ」


「お父さん」ハッキリ、呼ぶ。

「この間の件。今度でいい。話、しよ」

 父はまた笑った。

「そうだな。次の休みの日はどうだ」

「うん」私は頷く。「進路のこととかじゃないからね。先にそれだけは言っておく」


 父はリビングのドアに手を掛けた。

「お前がどんな道を選ぼうと、お父さんは応援する。ニートでもフリーターでもミュージシャンでも落語家でも、何でもなるといい。お父さんは、応援する」

 だから進路の話じゃなくてもいい。父はさらに続けた。

「お前が話したいことを話してくれ。俺は、聞く」

「ありがと」


 私の声を聞いて、父は安心したような顔になった。

「またな」

 そう残して、去っていった。



「次の休みの日だけどさ」

 すみ姉。夜一〇時。さく姉もいた。父は書斎から出てこなかった。まだ、仕事をしているのだろうか。そんな心配をする。

 三姉妹で、するめをつまみながら、話す。

「カラオケ、行かない」すみ姉。

 カラオケ。唐突のカラオケ。さく姉が口を開いた。

「いいねぇ」乗り気のようだ。「歌いたい」

「え、ちょっと」私は異を唱える。「私、お父さんと話がある」


「カラオケですれば」あっけらかんと、すみ姉。「何。個人的な話なの」

 私は少し、考える。

「……いや、さく姉とすみ姉も聞いてくれたら助かる」


「じゃ、決まりだね」すみ姉がするめをちぎる。

「今度の休み、みんなでカラオケに行こう」

「やったぁ」さく姉。「何歌おうかなぁ」

 お父さんに伝えておくね。さく姉が浮き浮きしている。


「あのさ」

 思いきって、口を開く。

「今日、学校で、発表があったんだ」


「ああ、この間の」すみ姉がするめを齧る。

「どうだった」さく姉が興味津々、といった様子で訊いてくる。

「上手くいった。拍手も、もらった」


「彼氏くんは」すみ姉。

「彼も上手かった。私、拍手した」

「彼はどんな内容だったの」さく姉。

「高木彬光の文学史」


「あれあれ」すみ姉。「どこかの誰かさんと似た内容ですね」

「あらぁ」さく姉。「お揃いの内容にしたの」

「うん」私は俯く。多分、赤くなってる。

「お熱いこと」すみ姉。「クラス公認なの」

「公認じゃないけど、多分、バレてる」

「みんなが知ってる秘密ってやつね」すみ姉が笑う。「いいじゃん。見せつけてやれ」


「さく姉とすみ姉にお願いがある。後、お父さんにも」

 私が思いきって話すと、二人の姉は、すっと真面目な表情をした。

「今日の発表、今度聞いてほしい。私の成果、見てほしい」

「いいよ」すみ姉。「カラオケの時でいいんじゃん」

「そうね。拍手しても外に漏れないし」さく姉。「資料とかあるの」

「ある」私は頷いた。「用意しとく」


「彼くんの発表も聞いてみたかったなぁ」すみ姉。「ま、それはいつか紹介された時でいいか」

「お父さんには私から話をしておくね」さく姉。「多分、お父さんも楽しみにしてくれると思う」


 それにしても、とさく姉がため息をつく。

「同い年の男の子かぁ。私には幼く感じられたけどなぁ」

「……今のさく姉だとちょうどいいくらいだと思うよ」すみ姉。

「何だとぉ」


 ふふふ。

 姉妹で笑う。素敵な時間だった。いつか、お互い家族を持っても、こうやって姉妹で集まって、食事をしたりお茶をしたり、したい。そう思った。


 ねう。


 賑やかな気配を察したのだろうか。ジェームズがリビングにやってきた。姉妹揃って、「ジェームズ」と呼んだ。

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