第15話 図書館で、作戦会議。
「私も、高木彬光をテーマにしたいと思う」
図書館。うちの学校は図書室の規模が大きすぎて図書館と呼ばれている。蔵書数もその辺の市立図書館より多い。完全にオーバースペック。意味が分からない。
そんな図書館の一角。テーブル席。ひそひそ声で私たちは会話する。
「これ」私はスクールバッグの中から『想い出大事箱』を取り出す。
「高木彬光の娘、高木晶子が書いたエッセイ。面白い」
拓也は私の手から本を受け取る。
「こういう本、あったんだ。知らなかった」
本を開いて、著者近影を見る。拓也はつぶやく。
「素敵な女性だね」
その一言に、胸が温かくなるのと同時に、苦い気持ちも湧いてきた。
「私よりも素敵なの」
思わず、そんな意地悪をする。すると拓也はにっこり笑った。
「君が一番素敵だよ」
頬が熱くなる。自分でやってて何がしたいのか分からない。
「そういえばさ、共同発表、どうだったの」
訊ねる。拓也は首を横に振った。
「駄目だって。あくまで個人戦、って白川先生に言われた」
でも、と拓也は続ける。
「発表内容がかぶったり、自分ともう一人で前後編に分けたりするのはオーケーだって」
「なるほど」私はつぶやく。
「だからさ、こういうのはどうかな」拓也はひょいと身を乗り出す。顔が近くなって、心拍数が一気に上がった。
「僕が、高木彬光の作品、つまり高木彬光文学史について発表する。君は、何か、高木彬光個人について迫って、発表してみる、っていうのは」
「いいかも」
でも、と私は続ける。
「その……気づかれないかな。私たちが……その……」
「付き合ってるってことに」拓也が私の言葉の尻を持っていく。私は慌てて続ける。
「違う。違うの。気づかれてもいいんだけど、何というか」
「恥ずかしいんだ」
「……うん」駄目だ。これじゃ誤解を招く。そう思った私は続ける。
「拓也と付き合ってることは知られていいよ。むしろ嬉しい。でも、私こういうこと人生で初めてだから、どんな顔していいか……」
「大丈夫だよ」拓也は優しい。「どんな顔しても。僕も一緒に恥ずかしがるよ」
うう……。私は椅子の上で縮こまる。完全に拓也のペースじゃん。何これ。
「さて、発表についてだけど」何事もなかったように拓也が続ける。「君はどんなのがいいと思ってるのかな」
「……家族」私はつぶやく。「彬光の家族について、発表したいと思う。特に、父娘関係について」
私は『想い出大事箱』を示す。
「娘の高木晶子から見た高木彬光が記されている。これ、題材としていいと思う」
「二冊目は何にしたいと思ってるのかな」拓也が真っ直ぐこちらを見る。「一冊目は『想い出大事箱』。二冊目は」
「これ」私は論文を出す。じいさんからもらったやつ。『娘から見た父親の魅力』だ。
「論文が一冊にカウントされるのかは、いずみんに訊かなきゃだけど、多分大丈夫な気がする」
「へえ、こんなのが……」拓也は論文をめくる。「面白そうだね」
すっと、拓也が眼鏡を外す。汚れがついていたのだろうか。ハンカチでレンズを拭う。
「ちょっと待った」
私は拓也の手を止めさせる。
「こっち向いて」
「何」
拓也がぼんやりとこっちを見る。多分よく見えていないのだろう。
しかし。
眼鏡を外した拓也はかっこよかった。目は大きい。鼻もすっと通っている。口元もスマート。じっと見つめていると、何だかドキドキしてきたことに気づく。
「あんた、眼鏡外した方がかっこいいじゃん」
こんな顔を私は踏んだのか。ちょっぴり胸の奥が痛くなる。
「え、そうかなぁ」拓也は照れる。「実は、コンタクトにしようか、迷っているんだよね」
「あ、それは駄目」私は即答する。
「どうして」拓也は首を傾げる。
「……その素顔、独り占めしたい」自分の発言に恥ずかしくなる。さっきから私は自爆しまくりだ。
「眼鏡の下のかっこいい顔は、私の前でだけ見せてほしい」
拓也はにっこり笑う。
「じゃあ、そうする」
何だよこれ。アツアツ夫婦みたいじゃねーか。
顔を覆いたくなるのを必死に我慢する。しかし拓也はひょいと眼鏡をかけると続けた。
「論文が一冊にカウントされるか、訊きに行こうか」
「うん」
「職員室、行こう」
「うん」
拓也と一緒に図書館を出る。
職員室は二階だ。図書館は一階。階段を上る。昇降口に着いた時、拓也は一段上って、私に手を差し伸べた。
「はい。足元気を付けてね」
何だしそれ。階段くらい上れるし。
そう思いながらも拓也の手に自分の手を重ねる。心臓がぶっ飛びそうだった。
「あんた、女慣れしてるな……」
ちょっと突き刺すような言葉を吐く。すると拓也が照れたような顔になった。
「君を喜ばせたくて、一生懸命考えたんだよ」
「もしかして他の女子と付き合ったことあるんじゃない」
「ないよ」即答。「君が初めて」
「本当かよ」
「信じてほしいよ」
その言葉がさっきの中庭での言葉と同じだったから、私の気持ちはお風呂に浸かった時のようになる。
手を繋いだまま、階段を上る。
授業中でよかった。人がいたらこんなこと、できない。
誰もいない校内を拓也と手を繋いで歩くのは、スリルがあった。ドキドキする。何だか、たまらない。このままずっとこうしていたい。
職員室の前に着くと、拓也は手を離した。ちょっと、寂しい。でも手を繋いだまま職員室に入る訳にもいかないしな。そんなことを思っていると拓也がドアを開けた。
「失礼します」はきはきした声。そんな声、出せるんだ。
拓也と私は真っ直ぐ室内を突っ切って白川先生のデスクへ向かう。先生は、机の前で授業用と思しき資料を作成していた。
「あら、あなたたち」いずみん先生は驚いたような顔になった。
「授業は」
「サボりました」拓也が堂々と告げる。
いずみん先生が私のことを見つめてきた。それから、意味ありげに拓也の方を見る。私は心の中で、つぶやいた。そう。この人が、私に情熱的な気持ちをぶつけてきた男子。私の大好きな人。
「先生、質問なんですが……」拓也が私に合図を送る。私はバッグから論文を取り出し、拓也に渡す。拓也がそれを先生に渡す。
「今度の総合の時間の読書発表会、論文を一冊とカウントすることは可能でしょうか」
「うーん」先生は論文をめくる。それから、答える。
「いいでしょう。認めます」
にっこりと、笑ってくれる。
「情報量は一冊の本より多いこともあるしね。特別に、認めます」
「ありがとうございます」
拓也が頭を下げる。いや、私の発表資料だけど……。でも、嬉しい。
「頑張ってね」いずみん先生が意味ありげに私の方を見てくる。
「期待してます」
「失礼します」
拓也と一緒に頭を下げて、職員室を出た。
二人で廊下を歩く。ふと、拓也がこちらを見てきた。
「デートしよう」
「へ」私は拓也を見つめ返す。
「デートしよう」再びハッキリそう告げられる。
「授業は」
「サボろう」
どうせ、君は今日教室に行く気はなかっただろ。そう言われる。
いや、それはあんたに会うとどんな顔していいか分からなかったからで……とは言えず、私は拓也に引っ張られるようにして靴箱の前に連れていかれた。
「いいカフェがあるんだ」
靴を履く。ローファーの先をとんとんしながら、拓也がこちらを見てくる。
「一緒に行こう」
「うん」
校門を出る時。
拓也がぎゅっと私の手を握った。たったそれだけで、体の力が抜けそうになる。
私は拓也に寄り添うようにして歩いた。
学校の最寄り駅。藤沢本町。
拓也の言っていたカフェは、駅の目の前にあった。正確には、駅の目の前の塀の向こう。かなり奥まったところだった。
「こんなところで商売できるんだ」
思わず私はつぶやく。完全に私有地みたいな場所にそのカフェはあった。
Caf’e凛。そういう名前らしい。拓也はドアを開けて私を通してくれた。その姿もいちいち様になって、私だけを見てくれる紳士っぽくて、ときめく。
席に着くと、拓也はメニューを見せてくれた。
「おすすめはナポリタンだけど……」
お腹空いてるかな。そう訊かれる。私は答える。
「拓也と一緒に食べたい」
拓也は笑う。
「じゃあ、二人で一皿」
拓也がナポリタンを注文してくれる。取り皿を二つ。そうも告げる。
「あのさ、高木彬光の『刺青殺人事件』なんだけど」
私は話を切り出す。
「家にあったの。読めると思う。ただ……」
「時間がないかな」拓也は私の目を覗き込む。
「うん」
私、読むの遅いから。そう告げると拓也が口を開いた。
「あらすじだけ教えようか」
うん。私が頷くと、拓也はゆっくりと話してくれた。
三姉妹に彫られた刺青。残忍な殺人。密室。
面白かった。拓也の語り口が、というのはあるかもしれない。きっと、拓也はこの作品が大好きだ。そんな情熱が伝わってくる。少し、嫉妬した。私もこんな風に拓也に語られたい。
運ばれてきたナポリタンを、拓也が皿に取り分けてくれる。いただきます。二人して食べる。
「一緒に食べると、美味しいね」
拓也が微笑む。その笑顔を、ずっと守っていたい気持ちになって、私はまた泣きそうになった。私、こんないい人を蹴っ飛ばしたんだ。罪悪感で胸がいっぱいになる。
「どうしたの」
私の表情の変化を読み取ったのか、拓也が訊いてくる。私は答える。
「この間はごめん」そっと、テーブル越しに拓也の頬を触る。唇の端に、少し傷が残っていた。私がつけた傷だ。
「暴力振るってごめん」
「いいよ。あの時も言っただろ」拓也は笑った。「君には何をされてもいい」
「殴ってもいいの」
「いいよ」
「踏んでも」
「いいよ」
「蹴っても」
「いいよ」
うう。たまらなくなる。まだ拓也とちゃんと話すようになってから一週間も経っていない。何なら、付き合い始めてからまだ二時間も経っていない。なのに、こんなに、好き。一生分の好きを使い果たしたんじゃないかってくらい好きだった。
「私も、拓也には何をされてもいい」
「じゃあ、いっぱい愛するよ」
嬉しい。
泣いていた。今度は、こっそり。泣きながら食べるナポリタンは何だか酸っぱくて、私は水をごくごく飲んだ。
拓也は美味しそうにナポリタンを食べていた。
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