容疑者

 生徒支援部に赴く前にレイの提案で、講義室の清掃にやってきた青年に話を聞くことになった。質問は三つ。変身魔法学の後の清掃は毎回しているのか。変身魔法学の受講者の中に挙動の不審な人物はいないか。普段のロンバートはどんな人物なのか。内側からではなく、外からの印象を聞きたいとレイが言い出したのだ。


「講義室の清掃は毎回僕が担当させてもらっています」


 青年はおどおどとした様子で答えた。どうやら人と話すのが苦手なタイプらしい。レイにとっては共感できる相手であったし、ウェーブからも扱いの慣れたタイプだったので、二人が話を焦ることはなかった。


「大学内の清掃は全て外注しているのです。彼はその清掃会社の一人です」


 どうやらハウエルも顔見知りのようであった。青年は目を伏せ、箒を握りしめたままで質問に答えていく。


「大学内の清掃は区域を決めて分担しています。でも、ロンバート先生が毎回掃除をして欲しいと言われたので、この部屋は僕の担当になりました」

「その分の追加の賃金はロンバート教授の私財から支払われております」横からハウエルが付け足す。

「変身魔法学の生徒については……すみません、分かりません。僕は生徒の人とは話をしないので。すれ違うだけです」

「ロンバート教授についてはどうです?」

「先生は……僕にとてもよくしてくれています。講義室の清掃を任せてくださったのも、僕が変身魔法に興味を持っていると知ったからなんです」

「変身魔法に興味が?」

「ええ。だから先生は黒板を消す前に板書する許可もくれましたし、古くなった教科書や教材を廃棄扱いとしてこっそり譲ってもらったこともあります」


 隣に校長であるハウエルがいることを思い出して青年がはっと口を紡ぐ。ハウエルは「気にしないよ」と言わんばかりに笑みを浮かべて話の続きを促した。


「それほど熱心で、しかもロンバート教授に気に入られているのなら、大学で変身魔法を学んでみたいと思ったことはないんですか?」

「そんな、僕なんかには無理ですよ。学力的にも経済的にも。ロンバート先生には申し訳ないですけど……」

「一つの科目だけできても大学じゃそれほど意味を持たない。僕にも覚えがあるよ。似たようなタイプだったからさ」


 ウェーブが共感するように、慰めるように青年の肩を叩いた。

 回想。最悪の人生。奴隷としての生活。レイによる救済。中途半端な魔法能力。才能の発見――レイによる二度目の救済。最低限の単位を死にもの狂いで取得し、卒業。旅立ち。恩人の補佐官に。


「ただ、諦めるのはよくない。どん底でもあがき続ければ、きっと救いはあるよ」


 ウェーブにはそれを言うことしかできなかったが、その言葉は彼が心の底から信じている言葉だった。




 生徒支援部を訪れた。

 番号の振られたカウンターがある。1番から5番。それぞれに役割があり、共通する目標として“生徒が大学生活を充実させるために必要なありとあらゆるサポートを提供する”というのが掲げられている。またカウンターの奥では何人ものスタッフが書類仕事に追われている様子が見えた。

 単位や履修を希望する科目の相談などは3番窓口が担当している。窓口に立つ女性スタッフはハウエルの存在に気付いて軽く会釈した。


「どうかしました?」女性スタッフがはつらつとした笑みを浮かべてハウエルに尋ねる。

「レベッカ君はいるかな? 変身魔法の講義についてちょっと訊きたいことがあるんだ。ロンバート教授の許可は取ってある」

「少し待ってください」


 女性スタッフは答えると窓口から下がり、スタッフの一人に声をかけにいった。

 それから窓口の女性に連れられて一人の女性スタッフが現れた。長いブロンドの髪の毛を後ろにまとめた美人だった。ウェーブは何となく学生時代に学校のマドンナと言われていた女生徒を思い出していた。レベッカにはそういう明るく、誰にでも分け隔てなく接するような気質が感じられた。

 ハウエルに紹介されてレベッカがレイとウェーブに挨拶し、二人も自分たちが何者であるかを明かした。そして事件の話を聞く前に場所を変えたいと伝えると、レベッカは素直に応じてくれた。


「変身魔法の講義についてですか?」

「ええ。いくつかお伺いしたいことがありまして」


 ウェーブが答えた。レイはいつも以上に口数が少なく、落ち着かない様子だ。レベッカのように明るい女性は、レイが最も苦手にしているタイプであった。

 ハウエルも交えた四人が移動したのは大学内にある小さな喫茶スペースだった。今は講義の時間のため人はまばらだ。ただしいくつかの席は講義のない学生で埋まっており、ある者は書物を広げ、ある者は友人とのお喋りに夢中になっている。ウェーブは何となくロンバートの言っていたことを思い出していた。

 ――高度な魔法を習得することができる人間というのは、何かを犠牲にしても学ぶことを辞めない者だ。

 いや、それは正確にはロンバートの言葉ではなかったはずだ。それは彼が学生時代に言われた言葉だった。相手はとびきり美人な初恋の女性であり、またレイ以上の変人であり、でもあった。

 結果――主犯の殺害。初恋の終幕。ウェーブは功績を認められ、“大賢人”の補佐官に。


「質問というのは?」


 レベッカの言葉でウェーブは集中力を取り戻した。気を取り直して事件について、変身魔法の受講者に対して尋ねる。


「実は今朝、貧民街でとある事件が起こりまして。その犯人候補としてが挙げられているんです。そこでこの大学で変身魔法を学ぼうとして叶わなかった人物を探しています。ロンバート教授のお話によると今年の上級変身魔法の講義では六人の落選者が出たらしいですね」

「まさか彼らがその容疑者だと?」


 信じられないと言わんばかりに、レベッカが眉を歪ませた。嫌悪の表情。ウェーブは自身の失態を直感した。


「いえ、まだ決まりではありません。それに我々は騎士団ではなく、あくまで協力者です。犯人を探しているというよりは、のが仕事なんですよ」


 騎士団の要請にはほとほと参っているというポーズだった。自分はあなたの味方であると主張するための、一種のパフォーマンス。演技――人生の暗黒期の遺産。

 ウェーブの台詞にどれだけの効果があったのかは分からないが、レベッカはコーヒーを一口飲むと質問に答えた。


「確かに落選を伝えた直後はみんな落ち込んでいましたけれど、でも犯罪をするほどじゃありませんでしたよ。それにロンバート先生が成績に厳しいのはみんな知っていますから、落選者はむしろやっぱりかって感じでした」

「では落選者以外に変身魔法を学ぶことを希望している人間に心当たりはありませんか?」

「いいえ、特に心当たりはありませんね。それにロンバート教授は休日に変身魔法の実生活使用に関してのワークショップを開催しているんです。私も通っていますし、学外の希望者はそれに通っているはずです。もちろんそこにも怪しい人物はいませんが」


 またコーヒーを一口啜る。緊張の現れ――平常心を保とうとしている。


「生徒支援部は生徒のプライベートの相談も受け付けているんですよね」


 砂糖とミルクを入れたコーヒーをかき混ぜながら、レイが口を開いた。


「進路やアルバイトに関する相談がほとんどですよ」

「失礼を承知で伺いますが、落選者の中で貧民街出身の者や、貧民街によく行く人物について心当たりはありませんか?」


 レベッカの表情に少しだけ陰りが見えた。何か心当たりがあるのは明らかだ。レイは質問を続ける。


「その人物は大柄か、極端に細身です。無口。成績は振るわず、私生活もあまり見せたがらない。プライドが高く、自分の過去の経歴を恥だと思って隠している。大学内に友人は少なく、彼らのことも友というより利用する道具だと考えている」

「ラッセル・ホーキンス」

「誰ですって?」

「今の特徴にぴったり当てはまる生徒が一人だけいます。名前はラッセル・ホーキンス。出身は厳密には貧民街ではないですが、そのすぐ近くです。あと休日はよく貧民街に言っているみたいなんです」

「その情報は誰から聞きました?」

「生徒の私生活を支援している同僚です。変身魔法学の落選を伝える直前、その同僚と話したんです。同僚もラッセルのことを知っていましたから」

「どうもありがとうございます」


 レイがばっと立ち上がる。一口も飲んでいないコーヒーを放り出して駆け出そうとしたが、すぐにぴたりと足を止めた。


「レベッカさん、あなたも魔導士なんですね」


 レイが自身の胸をちょんちょんとつついてみせた。レベッカの胸には辺が一つ欠けた五角形の紋章――上級魔導士の証がある。


「この学校の出身です。ハウエル先生やロンバート先生には在学中にもお世話になりました」


 納得したような笑みを浮かべて会釈をした後、今度こそレイが走り出し、ウェーブが慌てて追いかけた。

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