魔導士レイの推察 ~異常犯罪調査記録~

冬野氷空

変身魔法に関する研究

ショッキング・ピンク

「酷い状況ですね」


 雨の中しゃがみ込んでいた少年が嘔吐を堪えるように口元を覆いながら呟いた。しかし実際には吐き気など一切感じていない。少年には残虐趣味はなかったが、“慣れ”が彼の冷静さを支えていた。しかし顔色一つ変えないのでは周囲の人間が怪しむので、「を見たら動揺する素振りを見せるように」と彼の師匠から言い聞かせられていた。

 ――若い女性が好みそうなピンク色の物体。全身の皮が綺麗に剥がされているのは医者や検視官でなくとも一目瞭然である。そしてそれ故に周囲の人間に与える動揺が限りなく大きなものとなっていることも。

 王都・バンデール――王城を中心に円形に広がる巨大都市。海と山に囲まれた豊かな国。しかしその外円部の一角はある種のスラム街となっており、ギャング、マフィア、売春婦、そして貧乏人が暮らしの拠点としている。事件はそんな下層地区の大通りで起きた。

 死体から顔を上げて立ち上がった少年は、彼が魔導士であることを示す大きなローブのフードをゆっくりと持ち上げると、中から濃いブラウンの髪の毛を掻き出した。雨の中ここまで大急ぎで駆けてきたため、フードの中はひどく蒸していた。額に張り付くウェーブがかった髪の毛を払いながら、すぐ脇で死体を見降ろしていたもう一人の人物へと視線を向ける。


「この雨で魔法痕跡が流されていなければ良いのですが……」


 少年に視線を向けられた若い女性が心配そうに告げた。男勝りな快活な印象だが、胸部を覆う軽装甲冑のわずかな膨らみが、彼女の性別を表す記号の役割を果たしている。まだ若いが、胸部装甲には青いユニコーンの紋章が彫られ、それは彼女が治安維持を担当する騎士団に所属していることを、その中でもとりわけ隊長格であることを示していた。服装規定によって傘を差すことを許されない彼女は、少年と同じように額に張り付く美しいブロンドの髪の毛を頻繁に払いのけている。


「おそろしく綺麗に皮膚が剥がされています。それも全身がほとんど同時に。まさにショッキング・ピンクって感じですね。魔法でここまでやろうとすれば、何重もの陣と複雑な術式が必要です。このくらいの雨じゃあ、とても消えるような痕跡じゃないですよ。とは言え……」


 少年が周囲を見渡す。

 騎士団の人間が道路封鎖をすることで辛うじて現場の秩序は維持できていたが、しかしその円の外には既に大勢の野次馬が押しかけていた。中には死体をちらりとでも見たのだろう、道の隅で盛大に嘔吐しながらうずくまっている者までいる。道路を囲む質素な二階建ての建物には、現場を上から見下ろす者が窺えた。建物も含めての現場封鎖が騎士団に命じられたのは少年が現場に到着してからのことであったから、現場を見下ろす人々が規制されるまでもう少しかかるだろう。いつまでも情報を封じ込めておくことは不可能であり、このままでは混乱が広がるのは自明の理であった。


「ですから早急にをお呼びしたのです」


 ブロンドの女騎士が答え、そしてさらに神妙な表情で少年に尋ねた。


は優秀な魔導士である上に、こういった特殊な魔導事件調査のプロだとも伺っています。去年ハルート共和国で起きた連続魔導殺人事件を解決させたのはお二人なんですよね? この現場をどう思いますか? この辺りにはギャングやマフィアもいます。奴らの犯行でしょうか?」

「まだ何とも言えませんね。ちなみに騎士団長殿、連中の中でこういった殺害・拷問方法を得意とする者、あるいは好む者に心当たりはありませんか? 噂程度でも良いのですが」


 騎士団長殿と呼ばれた女騎士は困惑するようにかぶりを振った。


「聞いたこともありません。というより、人死にが出たのも数十年ぶりです」

「ギャングやマフィアがいるのにですか?」

「国の外から来た方からすれば不思議に思うかもしれませんが、事実そうなんです。この辺の悪党連中の仕事内容は専ら違法な薬物や魔道具の売買です。それも、どうやらこの国は一種の中継点のような役割をしているらしく、取引は国外で行われることがほとんどです。だから少なくとも国内で揉め事が起きることはほとんどありません」


 王都・バンデールは海に面した国であり、その少年も元々は船に乗ることを目的に訪れていた。当然ながら昔から海洋貿易が盛んに行われ、それらの活動が国に大きな利益をもたらしてきたことは言うまでもないが、貿易で儲けたのは国だけではなかった。この国の最底辺に巣食うマフィアやギャングたちは違法な物品の輸出入で生計を立ててきたのだ。そしてその一部は秘密裏に国側へと譲渡されているということも、少し考えれば簡単に分かることであった。だがしかし、それら暗部を追求するのは今の少年の仕事ではない。少年は改めて目の前の死体の調査に集中することにした。


「とはいえ、連中の中で仲間割れなんかが起こることもあるのでは?」

「当然ありますが、それはあくまで連中の中で片を付けるのがほとんどなんです。大抵は警察や民間人の介入があるまでもなく、連中同士の手打ちで済まされてしまいます」

「あくまでカタギに迷惑はかけないというわけですか」


 その通りです――騎士団長が頷いたが、暗に示されたどこか得意げな態度に、少年は些か不信感や不快感を抱かずにはいられなかった。とはいえ向こうが体面上隠そうとしている以上、そこを掘り下げるのは得策ではない――それは多くの大人たちとの会話を経た少年が得た一種の処世術であった。それにこういった反刺しやと公的機関の持ちつ持たれつの関係は、田舎町ではよくあることである。王都の城壁の内側にあるとはいえ、ここはその外れ――田舎と言っても差し支えない場所に位置している。


「田舎町の長閑のどかな田園風景の中にこそ、身の毛もよだつ犯罪の歴史が眠っているものだ――」


 少年が呟いた一節は、とある魔導犯罪研究の論文に記されていたものだった。少年の最も尊敬する人物が書いた論文で、とりわけ最も気に入っている一節フレーズであった。

 星砕きの魔女。七大賢人の一人でその魔法の破壊力は星すらも砕く――というのが一般的に知られている彼女のプロフィールであるが、実態は異なっている。魔法心理学、特に“魔法技術を得た人間の心理変化”が彼女の真の専門分野であり、教育界や魔法犯罪捜査の世界ではむしろそういった学者としての面の方が強く印象に残る人物である。

 極度の人見知りで変人であり、人前に姿を現すことはほとんどない――少年はそんな噂を回想しながら自分の背後にしきりに隠れようとしている女性を見た。

 少年より頭一つ分は小さい女性であった。透き通るような深い青色の髪の毛をフードの中に隠し、目を伏せているが、それは現場に対する動揺のせいではなく、単に彼女が他者と目を合わせられない性分であるということを少年は承知していた。数少ない人々が知る彼女の瞳の色は鮮やかな金色で、その目撃率の低さから知り合いの中では“幸運の瞳”と呼ばれている。つんと尖った耳の先端は、彼女がエルフかハーフ・エルフであることを示し、それ故にその顔つきは幼く、子供のように見えた。傍らの少年共々、とてもではないが殺人現場やその調査には不似合いな容姿である。

 少女のような見た目の女性――右手には先端に大きな青い魔法石が埋め込まれた杖を持っている。彼女の身長にも匹敵しそうなその杖の先端で、恐る恐る横たわるピンク色の物体をひっくり返した。


「何か分かりますか、


 少年が尋ねた。

 まじまじと死体を見下ろす女性のローブの胸には内部に五角形を内包した円の紋章が刻まれている。それは魔導士の中でも限りなく最高位に近い“大賢人”の地位を示すものであり、現在その地位を与えられた者は世界でも三十人しか存在していないという。


「君の言う魔法痕跡は見つからないでしょうね」


 女性――“大賢人”は呟くように、しかしはっきりとした意思を持って少年にそう告げた。

 少年は教師に反論する生徒のように言い返す。


「複雑な魔法条件ですよ? この程度の雨で痕跡が完全に消えるとは思えませんが」

「そうじゃない。ほら、この死体を見てください」


 少年と、彼に釣られた女騎士団長がもう一度死体に目をやった。何度見ても惨たらしいあり様である。少年が魔導事件の調査をするようになってからかなり経つが、冷静さを保つことはできても不快かつ不安な感情であることに変わりはない。仕事に必要なことだ――少年は何度も自分にそう言い聞かせ、言われるがままに死体の観察を続ける。

 鮮やかなピンク色をしていた死体は徐々にその色素を濁らせ、今は黒に近い色になっていた。辺りに広がっていた僅かな血だまりも今やほとんどが雨に流されてしまっている。死体がこのあり様では被害者の身元を探るのも容易ではないだろう。


「気づいたのはそれだけですか?」


 横から挟まれる煽るような口調に少年はむっとしながら観察を続ける。

 確か、師匠はさっき杖で死体を動かしていたな――そう思い至って死体と地面との接点に注目した。「あっ」と少年が声を上げ、同じく死体を覗き込んでいた女騎士が驚いて少年を見た。


「死体が綺麗すぎます!」


 少年が師匠に向かって叫ぶように報告する。


「死体が発見されたのは?」

「今から一時間ほど前」女騎士が答えた。「仕事帰りの娼婦が発見し、我々に通報しました。お二人をお呼びしたのは私が現場に到着してから三十分ほど後なので、発見から二時間ほどでしょうか」

「たとえ全身の皮膚を瞬時に剥がされたとしても、人間はすぐに死ぬわけじゃない。耐え難い痛みからその場で呻き、這いずり回っていたでしょう。この雨です。這いずり回れば死体も現場ももっと荒れるはずですよね。ところ我々が到着した時はまだ死体には血色が残っていたにも関わらず動いた形跡がない」


 なるほど、と少年が手を打った。


「つまり被害者は元々別の場所で死んでいた。皮膚を剥いだのもおそらく同じ場所で、少なくともこの現場ではない。犯人は被害者が死亡するのを待ってから死体をここに捨てたんだ。だから魔法痕跡もない。そういうことですね?」

「はい」青髪の女性は僅かに視線を上げて「非番の者も含めて半径5ブロックを封鎖してください。容疑者はその現場の近くに家か活動拠点がある可能性が非常に高いです」

「ちょっと待ってください!」


 “大賢人”の指示に口を挟んだのは女騎士だった。突然の事件の後だからだろうか、彼女がひどく狼狽しているのが少年には手に取るように理解できた。


「5ブロックの封鎖なんて無理です! この1ブロックを封鎖するのでもてんやわんやしてるんですよ! 人員だって少ないですし」

「やれなければ犠牲者は増えます。それも今度はもっとたくさん、そしてもっと残虐になるでしょう」

「なぜそう言い切れるんですか」

「通常の犯罪は段階を踏むことがほとんどで、魔法犯罪でもそれは同じです。誰でも突然魔法が上手くなることはない。ましてやこの犯人が被害者に施したのはかなり複雑な魔法ですよ。切断や剥離系の魔法は比較的初歩の魔法にあたりますが、ここまで拘ったものを施すとなると、上級魔導士でも三重以上の魔法陣と五分から十分の詠唱が必要になるはずです。それだけ手間のかかる犯罪を突発的な思いつきでやるとは考えられにくい」

「つまりこの犯人はどこかで予行演習をしている可能性が高いんです。対象が人間か動物かは分かりませんが……その手がかりは5ブロック以内にあると、師匠は考えています」


 師の言葉を少年がまとめた。少年から見た師匠は大いに尊敬に値する魔導士ではあるが、その強い専門性故に一般の人間に伝えるのがあまり上手くないと感じていた。よって師匠の言葉を一般の人間にも分かるように噛み砕いて説明するのが少年の役目でもあった。


「こういった犯罪は段階を追ってエスカレートしていきます。だからそのエスカレートの段階を逆に遡ることで犯人を見つけることができるようになるんです」

「犯人はこの周囲5ブロックを自分のテリトリーと思っている可能性が高い。死体を捨てようと思えば海でも山でもいくらでも選択肢があるのに街道を選んだのは、捕まらない自信がある――つまりこの辺りを熟知している証拠ですよ」

「……」


 女騎士はまだ決断できないでいた。一度事件を解決した魔法の専門家とはいえ、目の前の子供のような二人組を信用しても良いものだろうか。騎士団にもそれぞれの家族や暮らしがある。そこを侵してまで大々的な調査をするべきか? あるいは騎士団が大手を振って調査に乗り出せば周辺の住民は警戒し、また不安に陥るかもしれない。果たしてそんな調査をするべきだろうか?


「住民を守るためでもあります」

「街を多くの騎士団員が歩き回れば犯人が次の犯行を起こしにくくなりますし、住民が警戒してくれるなら犠牲者を出すリスクが減ります。騎士団の皆さんには、皆さんの家族を守るための行動でもあることを伝えてください。そうすればきっと協力してくれるでしょう」


 少年と青髪の女性の力説が効いたのだろう、女騎士は一分ほど逡巡してから、渋々といった様子ではあったが頷いてみせた。


「騎士団を総動員して周辺を封鎖します。中央部へ応援も呼びます。ですが、封鎖は長くはもちませんよ」

「分かっています。我々も調査に協力します。騎士団の皆さんは周辺の住人から事情を聴いて下さい。ここ一か月で何か怪しいことはなかったか――とりわけ動物の虐待死や行方不明になっている人物がいないかを念入りにお願いします。証言から犯人の拠点が分かるかもしれません」

「お二人はどこから調べるんですか?」


 青髪の女性がフードを脱いだ。まるで予知していたかのように、雨がピタリと止んで雲の裂け目から日光が差し込んでくる。


「我々の専門分野――魔法からです」

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