空撃史 ~彼の者は空を撃ち、鮮烈な色を灯す~

大琴 流

序章

遭遇編

 厚い雲によって光が遮られた白昼の森を足早に駆けていく。


 荒廃的な雰囲気漂う静寂な森の空気を肺に取り込みつつ吐く息吹は、視界に映ることなく後方へと流れていき、体の熱を良い意味で冷却化してくれていた。

 目に映る自然界はやがて来きたる芽吹きに向けて仮初の死に身をやつし、しんしんと降ってくる白粉おしろいで着飾る枯れた木々はその土色をどこか瑞々しいものへと変えている。

 積雪によって染め上げられた地面もまた清廉な絨毯と化しているが、その肌荒れ具合は厚塗りの雪化粧でも隠しきれていない。木の根、岩肌、土の盛り上がり、動物によって作為的に作られた抉れによって我が走駆は若干の妨害を受けていた。


 だが妨害を受けているからといって即ち弊害ではない。我が俊足に陰りはない。

 探し人ならぬ"標的"はもうすぐそこだ。既にズシンズシンという地鳴りが空気や大地から伝わってきている。

 この三日探し回った甲斐もあって、そして"標的"の持つ旨味も合わさって、浮つきを覚えているのも事実。脚は軽く、自然界の妨害など意に介さない。


 ところが、"標的"を捉えている我が感覚は同時に疑問も捉えている。"標的"の傍に居る複数人――"人間"の気配が腑に落ちない。

 何故こんな陽も碌に差し込まれない悪天候の人里離れた森に"こいつら"がいるのか、普通ではあまり考えられない。


 そしてなにより、その一団の中の一人に我が感覚の目はある種釘付けになっている。こいつの気配は殊更に普通じゃない。いや……異常だ。


 そうこうしている内に、忙しなく森の木々や枝、露出した固い根を足場にした高速移動は緩やかになった。乱立する森の奥で我が"標的"がその猛威を奮っているのが視界に捉えられる距離まで来たからだ。


『『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』』


 最初に届いた凶報は複数人の人間から放たれた絶叫だった。

 軽く息を切らせながら現場に駆けつけた我が視界に収められたその光景は、まさしく虐殺の跡。

 粉微塵の肉片と内臓、頭部や千切れた四肢は夥しい血溜まりとなって陥没した地面に広がっており、周囲の木々にまで飛散し、ぶら下がり、常識外な剛力で潰され、薙ぎ払われ、圧殺された死骸の成れの果てがこれでもかと散乱している地獄の光景。


「フォォォォォォ」


 "標的"は悦びを感じているのか、満足げにその長い鼻から息吹を吐いた。

 眉間にしわが寄りそうになる悪臭の中、我が闘争本能は満潮を迎え、死屍累々としたその戦場へと自然な歩みを進めさせた。


「たッ、たす、ゲて、死にダグ、ない」


 徐に、身体の半分を吹っ飛ばされた死にかけの女が我が歩みを遮るよう、足に縋りついてきた。

 大量出血と死の匂いに絡めとられた女の青い肌を収めた白い袖と腕章が表すは――"国に認められた強者"の証。


「神、サマ、たすけッべヂュェ」


 女の頭部を踏み砕き、己の首をゴキリと鳴らしながら悪意を"標的"へと叩きつける――。


「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 我が"標的"こと上級巨象型魔獣――ノォズ・ガネファン・ギガは哭いた。 

 秘められた野生と闘争心はまるで圧縮された空気が爆発を起こしたかのように解放され、その突風は周囲の積雪や葉や石を吹き飛ばし、地面に転がる死骸の一部をも一掃させた。

 10メートルを超える人に近しい巨躯を震わせ、大きな耳で飾られた象の頭から垂れる鼻を振り上げ、その根元に隠れた大口を天へと開いて咆哮し、我が悪意に応えた。――上等だ、と。


「貴方、なにする気?」


 虐殺された者達の最後の生き残りである一人の女が涼やかな声を背後からかけてきた。その声色は酷く落ち着いている。

 だが特に振り返る理由もない。軽い息吹で息を整え、チカラを高める。


「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオッッ」


 呼応するように上級巨象型魔獣ノォズ・ガネファン・ギガも威圧を増した。

 流石は10メートルを超える、通称『大型魔獣』、その陸上種でも五指に入る怪物。その圧倒的存在感は凄まじい。

 全身を固い皮膚と筋肉で覆った黄色い肌は、返り血によって所々赤い斑点を帯びてはいるが、その手には極太の巨岩で出来た棒状の武器を携えている。武器を使う脳まであるとは、中々に侮れない。


 ともあれ場は整っている。はらば示し合わせよう。

 お互いの"存在を定義するチカラ"をぶつけ合い、喰らい合おう。


「雄雄!」


 裂帛の気合と共に真っすぐ突っ込む。――目を見開いて、拳を握って、歯を食いしばって。


「ヴォオオオオオ!」


 突進してくる矮小な敵に向け、ズレのない頃合いで赤く染まった巨岩の棍棒は振り回される。

 その豪打は岩山を数十分もあれば平らにできるのではないかという暴威を表していると同時に、巨躯に生まれついたからと言って鈍間ではない、そんな自信も見て取れる。


 だがそれはこちらも同様。巨象野郎に見切られるほど鈍間ではない。

 瞬間的に速度を上げて間を外し、先ずは先制の一打を顔面に向け飛び上がり、撃ち放つ。


「ヴォアッ!?」


 我が拳を起点に砲撃のような轟音が木霊し、上級巨象型魔獣ノォズ・ガネファン・ギガの顔面は大きく陥没。体ごとずれた口から少量の血を吐き出させ、唸り声をあげながらズシンズシンとたたらを踏み、自慢の巨躯を僅かに後退させた。まさか掻い潜られるとは思っていなかったのか、その眼には驚愕が表れている。

 そんな大きな隙を逃すほど馬鹿でないとばかりに追撃を敢行――。着地してすぐにがら空きの胴体へ頭ごと突っ込み、更に後方へと巨象野郎の躯を押し込む。


「ヴォォオオッッ!?」


 再び響いた轟音の後、遂にノォズ・ガネファン・ギガは尻もちをついて転倒。地鳴りと共にそのマヌケ極まる様相を晒した。


「ククッ」


 そんな無様を嗤ってみる。するとノォズ・ガネファン・ギガは――。


「ヴオッ、ォオオオ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 激昂した。これでもかと怒りを露わにした。

 さもあろう、体長10メートルの巨漢が僅か180センチほどの人間にすっ転がされたのだから。


「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 森中の木々が共振しているのではないかと思わせるその絶叫は腕力へと転化され、掴んだ巨岩の棍棒を我が頭上へ真っすぐ振り下ろす。

 その衝突にまたも森林は、大気は震える。撒き上げられた積雪混じりの土砂も降雪と混ざり、視界の全てを白く染めあげた。


 しかしノォズ・ガネファン・ギガに安寧は訪れない。勝利など降ってこない。奴の頭上に降るは……高速の鉄槌。


「ヴォオエエエッ!!?」


 先の一撃を躱した後、高速回転しながら頭頂部へ叩き込んだ蹴撃で以てノォズ・ガネファン・ギガは地を舐めた。

 だがまだ終わりじゃない。煙る白煙の中に身を顰めた我が四肢が織り成す豪速連打は、奴の矜持を肉体ごとこれでもかと痛めつけていく――。


 四つん這いになった奴の背後へと瞬時に回り、象の弱点である足の付け根の柔らかい部分へ蹴りを撃ち込む。


「ヴォオオオオオオオオオッッッ!?」


 繊細な感覚神経が凌辱され、頭の先まで怒涛の痛覚を響かせた奴の顔面に向かって高速突進。抜き手で眼を抉り刺す。 


「ヴォエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?」


 思わず棍棒を手放して立ち上がったノォズ・ガネファン・ギガの流血する片眼からの離れ際、無防備な顎へ回転蹴りを叩き込むと均整を図れない奴は更によろけた。

 その隙に着地して放つは悶絶の連打――。だらしなく股下からぶら下がっている睾丸へ向け、怒涛の連続蹴撃を叩き込む。


「ヴッッッッッッォオ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"ォン!!」


 十数発撃ち込まれた多重衝撃はノォズ・ガネファン・ギガの痛覚神経を激痛と倦怠感で征服した。奴の表情は魔獣だけあって細かくは読み取れないものの、闘志や殺意は欠片も見えていない。


 だがそれでも奴は大型魔獣。自然界の強者。その矜持は一握りの抵抗を示す。


「オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"!!」


 着地した我が身へ向け、ノォズ・ガネファン・ギガはあらん限りの力を込めてその両掌を結んで振り下ろしてきた。

 その一撃はまさに強烈無比。大地を楽に叩き割る威力を遺憾なく発揮し、今日一番の打撃音の木霊が鳴り止んだ頃には相反する静寂すらも戦場へと呼び込んでいた。


 だが、強者は震える。


「ヴッ、ヴォォッッ」


 強者は慄く。


「ォオッ、ォオオオオオオ」


 強者は拒絶する。己のチカラが呼び込んだこの現実を。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」


 深く抉れた地面の底、ノォズ・ガネファン・ギガの両掌を受け止めている我が姿を捉えたその双眸は……揺れている。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 嘘だ。そんなはずはない。これは何かの間違いだ。――そんな意が込められたかのような鳴き声が鼓膜を叩く。

 視線こそこちらに固定されてはいるものの、恐怖に染まったノォズ・ガネファン・ギガの震える腕は地面に落ちていた巨岩の棍棒を何度か地を叩きながら拾い上げ、またも振り下ろしてくる。


「ちっ」 


 イラつきから出た舌打ちと共に突き上げた蹴りは巨岩の棍棒を粉砕。その原型が図れない程の木っ端微塵となった。


「ヴォォッ、ォォォォォッ、ォォォォォォォォォォォォォッ」


 その光景にまたも絶望したノォズ・ガネファン・ギガは棍棒の持ち手を放し、膝をついた。頭を垂れた。その有様は――降服の証。


「クソが」


 所詮は象、図体だけの小心者か、と嘆息しながらケチがついたこの茶番を締めくくろうと、蹲って服従姿勢を取っているノォズ・ガネファン・ギガの自慢の鼻を踏みつけ、震える角膜の前へと立つ。そしてゆっくりと我が右拳を象面の眉間に当て、腰を落とし、ひとつ呼吸を吐く。


「くたばれ」


 撃ち放たれた乾坤一擲はノォズ・ガネファン・ギガの眉間に深々と突き刺さる。

 拳から放たれた衝撃は奴の体内に波及・浸透・貫通し、背骨を暴れさせながら内側から爆発させ、脳や内臓をぶち撒けさせた。

 周囲に放たれた血飛沫と臓物の容量は、先の虐殺の憂き目にあった人間約10人分よりも遥かに多く、闘争の色が濃く残る銀世界を赤黒い色で汚染したのだった。


 ノォズ・ガネファン・ギガの身体を内側から開いた憐れな亡骸から下り、つつ、と額を流れ落ちる血を拭う。傍目から見れば軽傷での完勝なのだろうが、我が心中は晴れやかとは言い難かった。


 上級巨象型魔獣ノォズ・ガネファン・ギガ、奴は強者ではなかった。

 確かに奴は卓越した力を持っている。奴の一撃は確かに我が身に損傷を与え、固い皮膚への打撃もあまり効いていなかった。

 だが奴は土壇場でその脆弱な正体を現した。"自称強者"の化けの皮は剥がれ、貧弱な精神を曝け出した。


 強者を名乗り、不遜に暴れ狂い、デカい図体に自惚れ、持って生まれたチカラに疑問を持たなかったノォズ・ガネファン・ギガは、最後の最後にあろうことか武器に頼った。いや、縋った。

 敵を効率的に屠るために武器を"使う"のは正しい。だが武器のチカラに"縋る"のは許されない。それが強者の理にして原則。

 しかしノォズ・ガネファン・ギガ、そして先程引導を渡した死にかけの女は違う。

 己のチカラで勝てない相手へ、他のチカラを無償で借り受け、あわよくば生き延びようとした。

 これは紛う方なき弱者の理である。恵まれた身でありながら、その優遇を甘受しておきながら更に要求する、乞食の如き醜い生き様だ。それが理解できず、自覚せず、自覚しても放棄し、それでも強者ぶる奴は醜い『欺瞞』に塗れている。


 こんな奴に三日もかけてしまったか、と脳内で呟きつつノォズ・ガネファン・ギガの5メートル近い長鼻をもぎ取りにかかる。

 メキメキという肉と骨の悲鳴を肌で感じながら根元から切断し、引きずっても問題ないだろうと肩に掛ける。荷物になるが、これがないと討伐依頼の達成にはならないから致し方ない。


 煙草に火を点けつつ帰路に着こうと歩を進めようとしたところ……。


「止まりなさい」


 先の生き残りの女がまたも背後から声をかけてきた。そこには僅かな喧も表れている。


「私は征道協会本部に勤務する一級征道士です。お伺いしたいことが――」

「クソして寝てろ」


 白煙と共にそう吐き捨てながら構わず歩を進めるも、女は込めていた喧を少し増やし、また制止をかけてくる。


「止まりなさい。でなければ撃ちます」


 視界に入らずとも我が感覚はそれが脅しではないことを察知していた。

 何故ならその女の此方へ掲げられた手の先には魔法術式が展開されており、しかも決して並ではない強力な魔力が込められているからだ。


 だがやはり、俺が歩みを止める理由にはならない。


「止まりなさい、脅しではなくてよ」


 しゃく、しゃく、と血に染まった雪を踏みつけ、歩く。歩を進める。


「…………」


 女は撃った。

 迷いなど見えない強力な魔法弾は恐るべき速度で我が身へ撃ち込まれんと迫る。


 だが瞠目は、驚愕は術者を襲った。

 何故なら己の撃った魔法弾が……破壊されたのだから。


「素手で、魔法を……?」


 魔法弾が向けられた我が身に変化はない。唯一あるとすれば、背後から迫っていた魔法弾へと叩き込んだ裏拳を振り抜いた腕くらいだろう。


「貴方、何者?」


 単独で上級大型魔獣を殺せたとしても、魔法弾を素手で破壊できようとも、俺の在り方は何も変わらない。

 何故ならその公式は明確で、その答えもまた無二なのだから。


「ジン、だ」

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