聖ヨハネ祭[せいよはねさい:仲夏]

 夏至の長い日が暮れようとしていた。砂とわずかな草に覆われた丘を琥珀色の光線がひたす。周辺に人家はなく、人工の灯りを有するのは灰色の塔、それきりだ。見渡す限りの荒廃にあっても、石造りの天文台はまだ文明の残り香を保っている。

 緑青のびっしりと浮いた扉を叩くものがひとりある。細い十字架をかたどった杖を手に、茶色い毛皮をまとう。年若く、男とも女ともつかない端正な姿をしていた。

「どちらさんかな」

 老博士は暖炉の炎を背にして迎える。かつては電気を用いた高効率の照明も使われていたが、今となっては炭素化合物の燃焼が夜を明るくするほぼ唯一の手段だった。

「わたしは先ぶれです。のちにみなを救う者が訪れることを、告げ知らせにまいりました」

「集落でもそれをやったのかい」

 博士は皮肉そうに笑う。

「はい。しかし意を汲んでくださるかたは皆無でした」

「そうだろう。我々はあまりに多くを失った」

「このあたりでは最も有名な物語であると聞きました」

「純粋に物語、というのとは違ったのだがね。神を信じるなんてこともとっくに過去になった。書物は風化し、物語としてすら伝えるものはない」

「もう少し、早く発見できればよかったのですが」

「きみはどこから来た? まさか神の国とは言わんだろう」

「天より。あなたがたの危機を知り、われわれは人員の派遣を決めました。存亡にかかわらなければ接触はしない取り決めですが、あなたがたは文明を失い、極端にその数を減らし、今まさに滅びようとしている」

「そしてきみが遣わされた」

「あなたがたを知り、希望を灯し、本隊が到着するまでにわずかでも状況を整えるのがわたしの使命です」

 泥炭が暖炉に投げ込まれる。炎が揺らいだ。博士は燃焼のさまに目を落とす。

「情けないものだな。きみたちが必ずしもわたしたちの益になるとは思えない。やり口だって無神経にも程がある。おおかた信仰など持ち合わせないんだろう。だが、かつてあった豊かな時代を会話に感じるだけで救いのように感じてしまう。知識を口にする喜びは抑えがたい」

「物語の効用は証明されています。多くの知的生命体において、共有される物語は精神の安定と共同体の結束の強化につながるのです。あなたが許すならばここに居させてはいただけませんか。わたしはあなたから当地の知識を得たい。あなたは会話を求めている。利害は一致します」

「きみは何を語るんだい」

「われわれの持つ物語を。また知りうるかぎりの知識を」

 好きにするといい、と言いながら博士は薬缶を手に取る。戸棚から引っ張り出すのは古い茶葉だ。

「長居するつもりなら名を聞いておかないとな」

「こちら風の名前が欲しいのですよ。つけてくださいませんか」

「まったく白々しいな。ずうずうしくも聖人の似姿で現れておいて」

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