ぼくの実家では第一次世界大戦が終わる頃まで狐が人を化かしていた

兵藤晴佳

第1話 ヨウコは、僕の……。

 僕の実家では、第一次世界大戦が終わる頃まで狐が人を化かしていた。

「告白された」

 でも、彼女からこの一言を聞いた時は、大正、昭和、平成と来て更に年号が変わったばかりの今現在になっても、まだ僕は化かされているんだと思いたかった。

 放課後遅くに、そろそろ終わろうとしている春の日が窓から低く差し込んでいたが、そんな時間にはまだ早い気もする。

「へえ……」

 自分でも、気のない返事だと思う。当然の成り行きだったからかもしれない。

 夕暮れのぼんやりとした光の中、彼女は大きな長机の向こうに、ブレザーの制服姿で端正に座っている。その様は、まるで一枚の肖像画のようだ。

 高校の図書館は、もう閉まろうかという気配を見せてガランとしていた。司書のオバサンお姉さんがせかせかと歩き回っているのを横目に見ながら、僕は広い机の向こうから囁いた声を夢だったことにしたいと切に祈っていた。

 だが、それは所詮、願望にすぎない。

「聞いてるの?」

「聞いてるったら」

 じっと見つめる彼女の眼差しを正面から受け止められない視界の隅で、自動ドアが開く。出ていった者もなければ、駆け込みの入館者もない。

 あれっと思ったとき、まっすぐな眼をした由良ゆらみさきが、責めるように僕の名を呼んだ。

浅賀あさが君!」

 僕にとっても、彼女が告白されたされないというのは他人事ではない。結構、大問題なはずなのだ。

でも、そのときは、図書館に誰も出入りした者がないことのほうが気になっていた。それこそ狐か何かの仕業のようにもみえたのだが、何のことはない。本棚のチェックをして回っている司書のオバサンがすぐそばを通り過ぎただけのことだ。

「浅賀……さい君!」

 岬さんは同級生だが、名前まで呼んでくれることはめったにない。さすがに僕も我に返った。

「あ、ああ、あの大学院生ね」

 正直、考えたくない話題だった。

 彼女が民俗学かなんかを研究している大学院生とつきあっている……というか、休日を共にしていることは、既に何のためらいもなく打ち明けられている。告白されたってことは、今まではやっぱり彼氏彼女の関係じゃなかったということだ。

 つまり、毎日のように平日の放課後を図書館で一緒に過ごす僕は、むざむざチャンスを逃してしまったということだ。

「どうしよう」

 そこで迷うということは、まだ僕にもまだ逆転の余地があるといえないこともないことはなくもない。

 蔵書量2万冊とも3万冊とも言われる巨大図書館を誇るのが、ウチの学校だ。だが、この私立高校に独り暮らしの下宿生活をして通うことにしたのは、読書のためではない。1年間、部活も入らずに、学校で放課後を過ごすようになったのは、ひとえにこの由良ゆらみさきがいたからだ。

 彼女目当てだったと言ってしまえば身も蓋もないが、それでも僕は、去年の秋まで声もかけられずにいたのだった。

「断れ」

 本当に、そう言ったわけじゃない。

「……って言いなさいよ」

 そんな声が聞こえてきたのだ。

 確かに押すなら今なんだろうけど、そんな甲斐性があるならとっくにやっているはずなのだ、考えてみれば。

 この図書館で彼女と話ができるようになったこと自体が、僕の人生最大の飛躍だったと言っても過言ではない。

 きっかけは、去年の秋頃だった。ちょうど、こんな閉館時間になって自動ドアから出ようとしたとき、何かに蹴っつまずいて、先に出ようとしていた岬の背中にぶつかったのである。

 何か不意に足払いを食らったような気がしたのだが、そのときに落とした本を拾ったときも、聞こえたのだった。「面白そうな本ですね」と言え、と……。

 あのとき、誰が言ったかは、もう分かっている。放課後になると必ず僕の隣に座っている、この辺では見かけないセーラー服姿の、小柄な女の子だ。おまけに、首から絵馬を下げた異様な格好をしている。

 初めて岬さんに声を掛けることができた僕を、こいつは上から目線でコキ下ろしたものだ。「なにシドロモドロになってんのよ、人がせっかく最初のきっかけ作ってやったのに! 」と。どうも、あのとき僕が転んだのも、こいつのせいだったらしい。

 もっとも、岬さんからは見えない。いや、図書館中を忙しく歩き回っている司書のオバサンお姉さんからも見えはしない。

「まずいんじゃない?」

 花のすっかり散った桜の葉影が、机に長く伸びている。それがどこから来たのか探しているかのように、このおせっかいな娘は皮肉交じりに言った。

「うるさい」

 岬さんには聞こえないように囁いたつもりだったが、机の真向かいに座られていては無理だった。

「あ、そうよね」

 そう言う顔は笑っている。冗談と取ってもらえたのは、僕も隣の小娘にそれほど腹を立てていたわけではないからだ。

 こいつもそれは分かっているらしく、満面の笑顔で僕を見つめて、今の一言について判定を下す。

「セーフ!」

 一緒に暮らしはじめたのは、やっぱり去年の秋からだ。半年ほど何かにつけて人をこんなふうに小バカにしてきたが、その物言いにもいい加減、僕は慣れてきたのかもしれない。

 その同居人の名は、ヨウコという。どんな漢字を当てるのかは知らない。もしかすると、そんなものはないのかもしれない。

「いや、そういうんじゃなくて」

「分かってる、いつものことだから」

 慌てて言い訳する僕を、岬はすんなり許してくれた。どうやら彼女は、僕を「ときどき異次元へトリップして独り言を口にする不思議少年」というキャラで捉えてくれているらしい。

 それでも手元の分厚い本は、ぱたん、と音を立てて綴じられた。表紙には、『古文書解読』と記されている。初めて言葉を交わしたとき、持っていた本だ。

「だいぶ、分かってきた?」

 話をそらそうとした先には、岬さんが平日休日問わずに図書館通いをしている理由がある。

「かなり……絞れてきたかな」

 そのしなやかな指が押さえているノートのページには、丸に稲穂の家紋がある。稲荷紋とかいうらしいが、稲穂が竜胆の葉を抱えているものは珍しいという。

 先祖はどこの何者で、何をしていたのか。彼女は、自らのルーツを探し続けているのだ。それを知った去年の秋から、僕は毎日、岬さんが休日に集めてきた情報の整理につきあってきたのだった。

「悪い、力になれなくて」

 そう言いながらも、それなりの手助けはできたと思っている。口幅ったいようだが、それなりの知恵と学力は磨いてきたつもりでいる。

 引っ越してきてからの1年で、模試ではそれなりの国立大学を狙えるくらいの判定を出せるようにはなっているのだ。それでなくては、わざわざ下宿してまで地方都市の高校に通っている意味がない。20世紀に入っても狐が人を化かすような片田舎で出せる結果など、たかが知れている。

「ううん、助かった」

 岬さんはそう言ってくれるが、実を言うと、古文書を読んだり、地方の古い家系や記録を調べたりなどという作業が、一介の高校生にそうそうできるものではない。

 姿が見えないのをいいことに使い倒してきた情報源が、俺の耳元で嫌みったらしく囁く。

「狐ネットワークに感謝してね」

 最初は、「あるんかい、そんなもん」とツッコんだものだが、そのレスポンスは本当に早かった。

 ヨウコの首から下がっている絵馬に、必要な情報が次から次へと現れては消えるのだ。おかげで、岬さんが休日に集めてきた資料では分からないことがどこへ行ったら調べられるのか、さも自分の知識であるかのように助言することができたのである。

「ガセばっかだったけどな」

 それでも何とか、由良家の先祖が宮司の家系だったらしいことまでは分かっている。

「何よ、もう助けてやんない」

 ヨウコはぷいとむくれたが、僕としては当然の抗議だと思う。実際、最初のうちは岬さんにムダ足を踏ませたりもしたのだ。最近はそんなことがないように、バイトのシフトも外して自分で現地に足を運んだりもしているのだ。

 もちろん、そのときはヨウコも一緒だ。もし、ヨウコの姿を知っている人に見られたら、明らかに中学生とデートしていると誤解されただろう。

 同じことは、姿の見える岬さんとフィールドワークやってる件の大学院生にも言えるのだが。

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