第38話 誰が欠けてもダメ

 奥の店員さんは、焙煎が終わって、コーヒー豆を取り出し、それを金網のザルの上で冷ましながら混ぜています。ここまでくると、もう話しかけても大丈夫になってきます。このくらいの『話しかけても大丈夫なタイミング』がわかってきたのも、私としては成長でしょうか。


「お詫びのしるし、という訳ではないですが、ちょっと味見をしてみませんか? 明日お店に出すコーヒーです」

 奥の店員さんのオススメで、またコーヒーを試飲させてくれるそうです。

「じゃあ……、お願いします」

 ちょっと申し訳無さも感じつつ、その申し出を受け入れました。これもお話をするキッカケと思えば……。

 早速焙煎の道具を片付けて、ドリッパーとサーバーが出てきます。お湯が電気ケトルで沸かされ、グラインダーでコーヒー豆が挽かれ、準備が完了。ペーパーフィルターをセットして挽いた豆を入れ、ドリップが手早く行われます。

 お湯が注がれると、ちょっとチョコレートっぽいニュアンスも感じられる香りが漂ってきて、もうこの時点で美味しそうと思ってしまいます。ドリップしたコーヒーを、試飲用の小さめの紙コップに注いで、それを持って私の所に近づいて来ます。そして私と店員さんの間のカウンターの上に紙コップを置いて、「どうぞ」と差し出してくれます。

 この距離感が、なんだか心地よいんですよね。


 冷めては不味くなるコーヒーですので、早速試飲を。

 香りはチョコっぽくもあり、味にはローストしたナッツっぽさもあり。非常に美味しいコーヒーでした。

「今回のコーヒーは、コスタリカのガンボア農園のものです。香味を活かすように、中深炒りにしてあります」

 コスタリカと言うと中米……でしたっけ? そんな記憶も曖昧なまま、とにかく美味しいコーヒーをしっかり分析しようと、鼻と舌をフルに活用して味わいを探ります。


「今日のコーヒーも美味しいですね。やっぱり焙煎している店員さんの腕がいいから、なんですかね?」

 本当に、ちょっとポロッと感想が漏れて出てきます。そのくらい美味しいコーヒーでしたから。

 そうしたら奥の店員さんは、腕組みをしてちょっと考える素振りをしてから、私に返答をしてきます。

「うーん。コーヒーに関わっている人全員のおかげ、でしょうかね」

 そこで一旦切って、お話を続けます。

「なんでもそうですが、ひとつの商品には色々な人が関わってますから。栽培・物流・管理・焙煎・抽出。誰が欠けても、お客様には商品が届けられませんもの。私はその一部分を担ってるだけですよ」

 謙遜とも取れる発言ですが、とても正論を言っていました。誰が欠けても商品が届かない。それはこの社会では、当たり前ですが重要な事なんですよね。


 そんな事を思い知らされつつ、少しだけ底に残ったコーヒーを喉の奥に流し込んで、試飲は終わりです。

「ごちそうさまでした。明日もまた、飲みに来ますね」

 私は明日も必ずこのコーヒーを買う事を心に誓い、言葉にして奥の店員さんに届けました。そういうのも、大事な事だと思うからです。

「はい。明日もお待ちしてます」

 奥の店員さんが、爽やかな笑顔で返してくれます。






 そんなこんなでその日の出来事は終わりになり、帰宅したのです。

 まだ後味にコーヒーの心地よい余韻が残っています。この余韻を消したくなくて、何も飲まずに眠りにつく事にしました。

 明日はこのコーヒーが待っている。それだけで明日も仕事を頑張ろうという気持ちになるのですから、私も現金なものです。

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