第36話 ワンオペ営業

 やっぱり美味しいコーヒーを挟んでの、ゆったりとしたコミュニケーションというモノは、私にとっては心地良いもので、言葉を無理に紡ぎ出そうとしなくていい、そんな安心感がありました。


 そんな焙煎見学と試飲会が終了し、帰宅してその日は終了しました。明けて翌日。今日も平日ですので、普通に電車に揺られて出勤です。昨日が心地良かった分、今日の通勤電車の車内は居心地が悪く、やっぱりうんざりします。


 そして会社に出勤し、いつも通りの掃除と準備をこなして、午前の仕事です。これが終わればコーヒースタンドに行けますから、多少の気合いも入ります。

 そして午前中の仕事も片付いて、お昼休みになりました。今日も遠藤さんと一緒に、コーヒースタンド『ピーベリー』に向かいます。


 遠めからお店の様子が見てとれたので、ちょっと様子を見ながら近づいて行きます。今日は男性のお客二人が並んでいました。ここでなんだか「あれ?」という、些細な違和感を覚えました。それが何なのか分からずお店に到着すると、中では奥の店員さん一人だけが、注文を取ってコーヒーをドリップして渡す、ワンオペでの営業でした。

 そう。本来ならイケメン店員さんの石原さんが、カウンター越しに女性客とおしゃべりをしているのが常だったのですが、その石原さんがおらずなので女性客もいない、そこが違和感の正体だったのです。


 私たちの順番になって、注文する前に、石原さんがどうなったのかを聞いてみる事にしました。

「今日、石原さんはお休みですか?」

 私の問いかけに、奥の店員さんが困った顔で返答してきます。

「そうなんですよ。連絡も無く、スマホを鳴らしてもアプリでメッセージを飛ばしても、音沙汰なし。仕方ないので、一人で営業しています。ちょっとお待たせしますけど、勘弁して下さいね」

 コーヒー一品だけの営業とは言え、一人ですべてを切り盛りするのは、かなり大変な様子でした。

 とりあえず私たちは、深炒りを二つ注文して、カウンターの前からどいて待つ事に。


 少しの間があって、コーヒーが二つ出来上がり、カウンター越しに受け取って会計をして、今日の所はそのまま会社に戻る事にしました。なんだか忙しそうでしたから、話しかけるのもためらわれました。

「石原さん、どうしたんでしょうね?」

 私のふと出てきた言葉に、遠藤さんもどう答えていいか分からなかった様子です。

「ホントねぇ。いつもならイキイキとおしゃべりしているはずなのに……」


 お昼ご飯のサンドイッチとコーヒーを味わいながら、言葉少なに今日の奥の店員さんの忙しさを思い出していました。

 それにしても石原さん、突然休むなんて、何かあったのかも。連絡もつかないって言うし。なんだか心配です。


 女性客とのおしゃべりの列が無いのは、コーヒー目当てで買いに来る私のような人には、邪魔が無くなって良いですが、売上が少なくなるのは、奥の店員さんとしても不本意でしょう。

 明日はちゃんと、いつもの営業体制になってくれてる事を、祈るばかりです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る