第17話 少女、覚醒




 スッと空気が膨らんで。


 フッと体が張り詰めた。


 真っ黒な闇が薄らいで。


 不意に目の前が白くなる。


 小さな変化に驚いた心は、少しばかり躊躇ためらって。


 それでも、そっと手を伸ばす――







 ☆☆☆







「んん……?」


 突然、まぶたが引きつるようにうごめいた。

 どうやらあまり慣れない体勢だったらしい。

 枕にしていた腕から痺れる感覚が重く伝わってくる。

 そんな微睡まどろみの中、オウルが感じたのは今にも消え入りそうな小さい気配だった。


(……誰かいるのか?)


 知っているような。

 けど、知らないような。

 掴みどころのない不思議な気配が、思ったよりも近い場所から伝わってくる。


(……本当に、誰だ?)


 視線が、熱い。

 突き刺すような鋭さはないが、見守るような包み込む優しさもない。

 ただ見ているだけ、とでも言わんばかりの視線がヒシヒシと顔へ打ち付けてくる。

 不思議な気配と、無機質な熱い視線。

 それが気になったオウルは、ゆっくりと目を開けることにした。

 薄っすらとした視界に白い明かりが差し込む。

 ぼやけていた不鮮明な視界が少しづつ冴え渡り――




「うおあああ!?」




 突如視界に映ったモノ。

 それは、穴でも見ているかのように覗き込む少女の近すぎる顔だった。

 驚いたオウルはジタバタと暴れるように距離を取ると、荒く肩で息をしながら叫んだ。


「誰だお前っ!?」

「……?」


 息も絶え絶えな問い掛け。

 だが、日焼け色の少女はキラキラと輝く綺麗な瞳を丸くして首を傾げるばかり。

 若草の髪がサラリと流れるように揺れる。

 そして少女は、スッとしなやかな指先を伸ばした。


「……ん、知ってる」

「……え?」


 少女の口から不意にこぼれ落ちた言葉。

 呆気にとられたオウルは、すぐさま気を取り直すと困惑気味に問い返した。


「えっと、知ってるって……何が?」

「……あったかい」

「いや、えぇ……?」


 まさかの答えにオウルも言葉を詰まらせる。

 少女は相も変わらずキョトンとした顔で見てくるだけ。

 オウルの口から、ホッと溜め息が飛んだ。


(ど、どうすればいいんだこれ?)


 言葉数が少ない。

 その上、感情の起伏も少ない。

 ただパッチリと開いた土色の瞳だけが、静かに輝いている。

 今までは感情の分かりやすい相手が多かったこともあって、上手くやり取りができない。

 と。

 そこまで考えて、頭を抱えた――その時だった。




(…………まさ、か?)





 ピシリ、と雑音を立てる面影。


 脳裏に過ったの顔が、一つに結わえられた長髪を揺らして僅かに振り向く。


 ふらりと枝垂しだれた髪の合間から。


 刃のように鋭い双眸が覗く――





(やめとけ俺! 夢にまでに出られたらたまったもんじゃない)





 目を閉じ、小さく頭を振って氷のような幻影を追い出す。

 ふとした閃き。

 目を開いたオウルは、添えていた顎からゆっくりと仰向けにした手を少女へ向けた。


「もしかして、『これ』か?」

「……!」


 少なすぎる情報から、オウルが導き出した答え。

 それは、




 ――『魔力』だった。




 手首から溢れ、手の隅々に至るまで包み込んだ水色の光。

 淡く揺らめくそれを指先から押し出すように飛ばす。

 ふわふわと綿のように浮かぶ魔力が、少女の目と鼻の先で留まる。

 瞠目どうもくした少女は、まるで割れ物でも扱うかの如くおもむろに手を伸ばす。

 ペタペタ、と。

 握り締めるように掴んでから、少女の口が小刻みに動いた。


「……あったかい」

「……」


 眩しい陽だまりの中、少女が無垢にたわむれている。

 その穏やかな光景を見つめていたオウルは、ポツンと一人で考え込んでいた。


(魔力の察知、か……)


 視線や気配、そして、感情。

 そういった見えない何かに敏感な人間がいるように。

 多少の個人差はあれど、殊更ことさら魔力に敏感な者――つまりは、『魔力の察知能力』の高い人間がいる。

 とは言いつつも、大体は魔力の有無しか判断できない程度が普通だ。

 もし、それ以上のことができるのであれば、それは、




(見えるって訳ではないが個人差レベルで魔力の違いを認識できる……凄まじい、って程じゃあないが察知能力はかなり高いな)


 ポンポン、と件の少女は塊になった魔力をお手玉のように浮かせている。

 時折「おぉ……」という声が出ていることから、心底楽しんでいることはわかる。

 それを見たオウルは、困ったような苦笑いを浮かべた。


「……とりあえず、みんなのとこに連れて行くか」




 ☆☆☆




 いつもより、少しだけ狭くなった食卓。

 普通通りならば静かなその時間は、今日に限って大きな賑わいを見せていた。


「はい、じゃあどーぞ!」

「ん」


 手を広げ、明るい声で音頭を取ったのはミリア。

 それを受けた薄褐色の少女はコクンと首肯するや否や、座っていた椅子の上に立ち上がった。


「エリエ」


 響いたのは、細く柔らかい声。

 エリエと名乗った少女の消え入りそうな声が、たった一つの言葉を残して無機質な部屋へと溶けていく。

 そうして――食卓は静寂を取り戻した。


「え、終わり?」

「……?」

「こうさ、もっと他に何か……」

「大丈夫よエリエ! こういう時はよろしくって言っとけばいいから」

「……ん、よろしく」

「取って付けたように言わせるなよ!?」


 何よ、何だよ、と。

 突然始まったオウルとミリアの言い争い。

 それを見守るエリエの目は、いまいち状況が飲み込めていないようで呆然としたまま。

 レオンも二人の言い争いが始まると、興味が失せたのか鼻を鳴らしてから食事を再開している。

 こうなったら仕方がない、と静観を決めていたミーシャは肩を落とすと、音を立てずに隣へ大きく椅子を近づけた。


「大丈夫? エリエちゃん。もう座ってもいいと思うよ」

「……ん」


 ミーシャに優しく促され、小さく頷く。

 椅子から降りることなくそのまま腰を落としたエリエは、目の前の皿に手を伸ばした。

 そこにあったのは、瑞々しさ溢れるキャベツの葉が一枚。

 手に取るや否や、それを口に含んだエリエはムシャムシャと美味しそうな音を立てた。


「エリエちゃんって野菜好きなの?」

「……あんまり」

「え、そうなの? じゃあ、お肉の方が好き?」

「……ふつう」

「そ、そっか……」


 椅子の上で胡坐あぐらを組み、コクリとエリエの細い喉が鳴る。

 思いのほかに会話が進まない。

 段々と目線をあたふたと泳がせて相槌ばかりになりつつあったミーシャだったが、


(あ、そうだ!)


 目を開き、ポンと手を打ち叩く。

 話のタネを閃いた、と顔が明るく緩む。

 早速ミーシャは、隣で次々と野菜を口内へ放り込むエリエに向き直った。


「ねね、エリエちゃんってどこに住んでるの?」

「……森の中にいた」

「そうなんだ」

「……ん」

「じゃあさじゃあさ、お父さんとかお母さんとかは?」

「……お父さんは知らない」

「そ、そうなんだ……じゃ、じゃあ、お母さんは……?」


 不意に、ムシャリムシャリ、と噛み締めていた音が止んだ。


 間を置かずに、ゴクン、と形を失った野菜が喉を通っていく。


 そして、話しかけてきたミーシャへ顔を向けることなく、エリエの口が開いた。


 未だ止まぬ喧騒。


 それにも関わらず。


 ゆっくりと動いた口から出たのは、やはり細く小さな声。


 しかし、










「……死んだ」




 その声は、粘りのある嫌な響きで。


 何気なく問い掛けたミーシャの耳へ、こびり付くように張り付いた――










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