第15話 突撃、マギラの森




 食事の後。

 行くのを渋ったミーシャと親の仇でも見ているかのように睨むレオンに見送られ、二人がやってきたのは正門から近いヒルグリフの近郊。

 風のない空気は熱く、草いきれの匂いも夏時のように強い。

 そんな中で、チッと舌を打つ音が鳴った。


(やっぱダメだったか)


 ぴっちりと着こなされた無味な白服。

 風に揺れる白いコートには幾つもの金刺繍が施されており、明るく輝く太陽に照らされてほのかにきらめいている。

 それを遠くの茂みから覗いていたオウルは、小さな溜息と共に心の中で愚痴をこぼした。

 そんなオウルの苛立ちを察したのか、隣で同じく屈み込んでいたミリアが、こてんと首を傾げてオウルへと話しかけた。


「どうかしたの?」

「ん? あぁ、アレを見ればわかるよ」

「あれ?」


 オウルの指差す先へ、視線を向けるミリア。

 いたのは白い恰好をした一組の男達の姿。

 それを真ん丸とした目で捉えるや否や、ミリアは愛らしい顔を思いっきりに引きつらせた。


「うげっ、なんでこんなところに……」

「森へ行けないようにするためだろ」

「うえぇ……」


 青々とした草木の壁へ、真ん中へポッカリと開いた穴のような道。

 いつも多くの魔法使い達が行き来するために使っていた森の入り口となる場所の左右に、一人は眠たそうに欠伸をしつつ、もう一人は気怠そうな目であちらこちらと周囲をうかがっている。

 それを見ながら、オウルはポツンと呟いた。


「アイギスか……」


 白服達――彼らの正体は、治安の維持を目的として各都市に配置された魔法使い。

 すなわち、治安維持部隊である『アイギス』と呼ばれる組織の面々だった。

 基本的な任務は街中での巡回であり、大きな任務と言えば、年に一、二回の周辺地域における魔物の掃討作戦や、スラム街などに潜んでいる凶悪なグループを検挙する程度。

 にも関わらず、本来ならば街中でしか見ないはずの存在が、何故かマギラの森の入り口という辺鄙へんぴな場所にいる。

 おそらく、森の異変を受けたギルド側が、対策のためにアイギス側へと打診でも行ったのだろう。

 そのことに肩を落としたオウルは、数えるのも億劫おっくうになった溜息を吐き捨てた。


(何とか正面から……いや、さすがに無理か)


 一見弱そうな態度を見せているアイギスの男達。

 しかし、アイギスへ入隊するためには、実戦技術を含む厳しい試験に合格しなければならないことをオウルは知っている。

 故に、正面突破するのは現実的ではない。

 そう判断を下したオウルはミリアの方へ顔を向けると、すぐさま右手を上げて二つの指を伸ばして見せた。


「ってわけで、二つ目の作戦で行こう」

「え、二つ目?」

「おう」


 ミリアの顔に訝し気な表情が浮かぶ。

 しかし、オウルは何かを匂わせるようにフッと口角を上げた。


「急がば回れ。遠回りだ」




 ☆☆☆




 カサカサ、と大地を踏みしめる。

 真っ直ぐに伸びていた道を横に外れ、二人が歩いていたのはヒルグリフの『裏庭』――南西部に広がる平原地帯だった。


「悪い。ちょっと待ってくれ」


 びっしりと、額ににじんだのは大量の汗。

 それを右腕で拭い去り、不意に立ち止まったオウルはポーチから小さな革袋を取り出すと、その中に入っていた水を飲み始めた。

 新鮮さはなく、熱いとも冷たいとも言えなくなったぬるさが少しばかりの虚しさを覚えさせる。

 それでもコクコクと流し込み、喉を潤わせたオウルはちゅぽん、と水筒代わりの革袋から口を外した。


「くっ、ぷはぁ。生き返っちまうぜこんなのはよォ……」


 ほんのりと、冷たい何かが体を駆けていく。

 それに小さな満足感を抱き、水筒をポーチの中に押し込んだオウルは、


「暑い!」

「えっ?」


 振り向いた先には、袖の短い布の服と、丈が太ももあたりまでしかない短い布のズボンに身を包んだ金髪少女のミリア。

 しかし、パッと見ただけでも涼しさを感じる恰好をしながらも、汗に濡れた童顔は不満気に膨らんでおり、グイっと突き出た右手は何かを催促するが如く、小刻みに折って伸ばしてを繰り返している。

 半ば反射的にポーチを見えない位置に隠したオウルは、呆れたような目でミリアへと相対した。


「いや、『暑い!』じゃねえよ。お前も水持って来ただろ?」

「全部飲んじゃった」

「うっそだろお前……って、こっち来んな!」

「私も水飲みたい!」

「ちょ、俺だって水筒は一個しかないんだからやめろ!?」


 じりじりと距離を詰められたオウルが、そろりそろりと距離を離す。

 だがそれは、暴走がちなミリアに対しては、明らかな悪手で。


「水、水! みっずぅぅ!」

「うわああああ!? 俺のそばに近寄るなァァ!」


 結局。

 飢えたミリアに襲われ、水筒をポーチ丸ごと奪取されたオウルは、目の前で水筒が空になる様を見せつけられることになったのだった。




 ☆☆☆




(やっと……やっと着いた……)


 どことなく。

 見慣れた世界は相も変わらず鬱蒼としていた。

 瞳を閉じ、空を仰いで息を吸い、深く溜め込んだそれを追い出すように吐き出す。

 そんなことをしつつ、ゆっくりと前を見据えたオウルの顔には、色濃く疲労した表情が浮かんでいた。


「ねね、オウルオウル! ここってもしかしてマギラの森?」

「あー、多分、きっと、恐らく……」

「へぇ!」


 キラキラと目を輝かせたミリアが、感嘆の声を上げる。

 その声を背中で聞き、さっきまでのへなへなと暑さにやられた姿はどこに行ったのか、と呆れたオウルはもう一つ溜息を吐いた。


(ほんっと、若さって強さだわ)


 暴れるように伸びた草や、高く伸びた木々へ絡み付いた細長いつる

 それらはいつものマギラの森からは想像もつかない、自然の持つ力強さを放っている。

 もしかしたら、そういった原風景に近い世界が疲れを忘れさせているのかもしれない。

 そうやって一人納得したオウルは、本来の目的までも忘れているであろうミリアに声を掛けようとして――




「オウル! あれ!」




 不意に飛んだ金切り声。

 その鋭さにビクリと肩を震わせたオウルは、何事かとすぐさま後ろを振り向いた。

 そこでは、ミリアがあらぬ方向を指差していて、


「急にどうしたよ。あんま大声出すと魔物が……っ!」


 突然の奇行に驚き半分呆れ半分な表情をしていたオウル。

 しかし、ミリアが指差す方へ顔を向け、グッと目を凝らすや否や、その目をみるみるうちに見開くと、何かを考えるよりも早く地を蹴っていた。


(こんなことになるとは……)


 小さく歯を食いしばり、邪魔な枝を振り払って、茂った草むらを踏みつける。

 そうやってオウルが脇目も振らずに駆け寄ったのは、一本の大きな木――その根元にぐったりと座り込んだ一人の少女だった。


「おい、大丈夫か?」


 かたわらまで近づき、小さな声で問い掛ける。

 だが、手足を染めた青紫の痣を浮かべた少女の体は、ピクリとも動かない。


(まさか……)


 「悪い」と心で謝りつつ、右手を少女の健康的な薄い褐色の肌の上に置き、左手を薄緑色の下の額に当てる。

 そして、手から伝わる小さな熱と、弱々しく刻んでいる脈拍に胸を撫で下ろしたオウルは、囁くような声で言葉を紡いだ。


「『ウォート治療ヒール』」


 瞬く間に淡青色の魔力で覆われる両手。

 目を閉じて、匂いも音も遠くなる程に神経を尖らせたオウルは、フッと息を吸い込んでからおもむろに魔力を少女の体へ流し始めた。


(特に目立った外傷はない。血管の損傷が激しくて、内臓は肺の方に軽い出血あと……それとあばら一つにヒビと、手足の骨折か……)


 頭の上から足の裏まで。

 巡りに巡る魔力を通して、少女の状態を探るオウルの顔が徐々に険しくなっていく。


(外傷がゼロで内臓や胴体の傷も多くない。なのに手足の骨へのダメージが激しい……これは一体どういうことだ?)


 流していた魔力を霧散させ、集中を切ったオウルが首を傾げる。

 ちょうどそこへ、パタパタと息を切らしたミリアが遅れてやって来た。


「オウル! どうだった?」

「見ての通りだ。怪我が酷すぎる」


 手を離し、振り向くことなくオウルが答える。

 肩からひょっこりと覗き込んだミリアは、あまりにも痛々しい少女の姿に、ふるりと小さな体を震わせた。


「正直言って生きてるのが奇跡ってくらいに酷いな」

「……オウルの魔法で治せる?」

「生きてるからな。できるにはできる。が、ちょいと時間が必要だな」

「そっか……」


 ミリアが心配そうな表情で呟く。

 その目の前で、傷付いた少女の腕を取ったオウルは、そのまま自身の背中へ少女を乗せると、痛まぬようにゆっくりと立ち上がった。

 それから互いに顔を見合わせて、


「とりあえず、今は戻ろう。この子の命が先だ」

「うん、わかった」



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