第11話 超越者の憂鬱

 『やぁ〜だぁ〜。まだ遊ぶのぉ〜』


 男の子が砂場に仰向けに寝転んで、で足をジタバタさせる。


 『ダメよ。暗くなってきたし、お友達だって、もうみんな帰っちゃったでしょう?ほらっ、また明日ね。帰って夜ご飯食べましょう。ハンバーグ作ってあげるから』


 僕は、黄昏時の公園で、駄々をこねる男の子とそれをなだめる母親を、ぼんやりと眺めている。


 むくれていた男の子も、【ハンバーグ】というキラーワードに気を良くしたのか、さっきまでの駄々が嘘の様に、鼻歌混じりで母親に手を引かれて公園をあとにした。


 最後に駄々をこねたのは、いつの事であったろうか?


 最後に甘えたのはいつだったろう?


 最後に心から笑ったのは、最後に心から泣いたのは、いつの事であったろう?


 僕はもう、何も感じない。


 六千年も人間をやっていると、心がどんどん鈍くなっていくものだ。


 僕にだって、かつては、自分の無力さに絶望し、明けない夜のど真ん中で足掻き続けた日々が、確かにあったはずなのだ。


 努力が実を結び、成功を手にして仲間達と笑い合った日々。


 最愛の人と過ごした、夢の様な幸せで一杯の青い春。


 そんな瞬間ときが、僕にも確かにあったのだ。


 だけれど、今の僕はどうだろう?


 凡ゆる分野に於いて世界最高峰の能力を有し、望んだ物は何でも手に入れられる。


 およそ人間に生まれたのならば誰しもが望むであろう物の全てを有するこの僕は、それ故に、世界で一番不幸なのである。


 確かに僕は、凡人の様にお金が無くなる恐怖によって不安を覚える事はない。


 どうやったって、僕は死ぬまでお金の心配をする事等あり得ないし、人間関係に悩む事も無ければ、夢を叶えられずに枕を濡らす事も無い。


 凡人共は、どんなに望んでも、どこにも届かずに死んでいく。


 でも、望んでも届かないから、人は勇気を振り絞って、小さな一歩を踏み出すのだ。


 勝つか負けるか分からないから、人は日々勝負に明け暮れるのである。


 約束された勝利など手にした所で、その手の中に残るのは虚しさばかりだ。


 喜びも悲しみも感じられず、それを分かち合える仲間もいないのであれば、それを不幸と言わずして、何という言葉で言い表せば良いであろうか?


 あぁ、虚しい。


 自分で選んだ道とはいえ、終わりの無い命というものは、僕の想像を遥かに上回る苦悩の日々の連続であった。


 永遠の命は、人間の弱い心で受け止めるには、あまりにむごすぎる。


 僕も、初めての人生では、人並みに死というものが怖かった。


 記憶も意識も、積み重ねてきた凡ゆる努力さえも、まるで最初からそんなものは無かったとでもいう様に、存在事根こそぎ奪っていく【死】というものが憎くて、自分という存在を失って【無】に還る事が恐ろしくて、眠れぬ夜を過ごした事もあるのだ。


 だけれど、六千年生きてみて、ようやく分かった。


 命というものは、儚いからこそ光り輝く。


 使い古された陳腐ちんぷな言い回しだけれど、確かに、そうなのだ。


 命は一瞬の煌めきだからこそ美しい。


 いつまでも惰性だせいで生にしがみつき、挙句、人間らしい心を失い、僕は、一体どこへ向かおうとしているのであろう?


 もしも願いが叶うのならば。


 次の人生では、六千年分の記憶は全部捨ててしまって、まっさらな、一つの新しい命として人生をまっとうしたい。


 そして、無に還りたい。


 いい加減、ゆっくり眠りたいのである。


 僕は、心の底から【死】を渇望している。


 終わらない命が欲しいと望む者達も、いざそれを手に入れたならば、途端に絶望の底に叩き落とされて、たちまち【死】を望む様になるであろう。


 あれも欲しい、これも欲しい。でも、全てを手に入れてしまったのなら、それは何も持っていないのと同義なのである。


 そんな当たり前の事に気がついた時には、もう既に手遅れなのだ。


 キーイ、キーイ。


 錆びついたブランコが軋んだ音を立てる。


 無限に続く永久運動。


 いっそ、命が尽きるまで、このブランコをぎ続けるというのはどうだろう?


 どうせ何も感じる事の出来ない命なのだ。


 ならば、そういう使い方も悪くは無いのではなかろうか?


 『おい、皇月こうづき


 聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにはクラスメイトの水谷が立っていた。


 『お前、なんて顔してるんだよ。うんこでも漏らしちまったのか?』


 昼行灯な顔つきで、うんこ等と口にする、この水谷という男が、僕は羨ましくて堪らない。


 『いやっ、ちょっと考え事をね、していたんだよ』


 『こんな暗くて人気ひとけの無い公園で考え事なんかしたって、いい答えは出ないだろう?考え事ってのはさ、もっと明るくて楽しい場所でするのが良いんだよ。そうすりゃあ、自ずとハッピーな答えに辿り着くんだ』


 体の9割がハッピーで構成されている水谷が言うのであるから、たぶん、間違いないのであろう。


 ハッピーな答えか。


 確かに、何事もハッピーな方がいいに決まっている。


 六千年も生きている内に、どうやら僕は、勝手に人生を複雑でつまらないものに作り変えてしまっていたらしい。


 人生とは、とってもシンプルなものだったはずなのだ。


 そう、人生は、水谷の言う所のハッピーな答えに辿り着く為のもの。


 みんなハッピー。


 笑顔で溢れる世界が出来たなら、僕の人生は大成功なのである。


 みんなハッピー。


 なんだか詐欺師の吐く台詞みたいだけれど、案外、詐欺師というものは、人生の真理を捉えているのかもしれない。


 『そうだな、なんだか考え事も少し疲れたから、今日はもう帰る事にするよ』


 『そうか、何か悩み事があるなら、いつでも俺に言ってくれよ。こう見えて、俺はお悩み相談のスペシャリストなんだ。あっ、そうだ、これ、やるよ』


 水谷が、何やら小汚いぬいぐるみを僕に手渡す。


 『何だこれは?ゴミか?』


 『ゴミじゃないよ。ハッピーを引き寄せるラッキーアイテム。幸福のバナナ人形だ。』


 色褪せて茶色くなったバナナ人形は、僕の目には一本糞にしか見えなかったけれど、水谷の爽やかな笑顔に免じて、ありがたく頂戴することにした。


 『じゃあ、また、明日な』


 水谷は軽く右手を上げると、流行の歌を口遊くちずさみながら公園をあとにした。


 一本糞もとい、バナナ人形をポケットにしまった僕は、ブランコから立ち上がる。


 お尻にカピカピした違和感を感じるが、きっとそれはバナナ人形のせいだろう。


 僕は空に煌めく一番星を見上げる。


 もう難しく考えるのは辞めにしよう。


 みんなハッピー。


 それでいいんだ。それがいいんだ。


 ハッピーな答えに辿り着ける様な人生を、もう一度歩んでみよう。


 簡単な事だ。


 手を伸ばせば、それがどんなに遠くにあろうが、いつかきっと掴み取れる。


 空に煌めく一番星に負けないくらいのハッピーな人生を生きると決めて、僕は一人、家路についた。


 もう迷わない。


 いつかハッピーを手に入れるその日まで、僕はこの道を歩いていくと決めた。


 

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