第24話 アリス&サンダー、コンコルド広場にて

 有栖川哲人(ありすがわ・てつと)と有木雷太(ありき・らいた)の講師と教え子の師弟コンビを、大学内では、「アリス&サンダー」と呼ぶ者もいるのだが、今パリにいるこの師弟コンビは、二人連れ立って、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館、パンテオン、そして、クリュニーの中世美術館と、三つの地を巡ってみたのであった。

 これら三ヶ所の歴史建造物は全て、「カルチエ・ラタン」という同じ界隈に位置しているので、見学それ自体は、二時間程度で済んでしまった。


 クリュニーの中世美術館を出た哲人が、左腕をわずかに外側にひねって、文字盤が手首の内側に来るようにして着けていた腕時計に視線を落としたところ、時計が、四時を指し示しているのが分かった。

「なあ、サンダー、今頃のパリだと、陽が暮れるのは、十八時半頃なんだよ。今はちょうど午後の四時で、外はまだまだ明るいし、ここから、もう少し足を延ばしてみようか。お前、何処か行ってみたい場所ってあるかい?」


 そんな提案をした哲人に対して、雷太は応えた。

「ムッシュー、自分、シャン=ゼリゼ大通りを歩くのが夢なんすよね。シャン=ゼリゼって、こっから遠いっすか?

「そんなに遠くはないぜ」

「じゃ、シャン=ゼリゼを、いっちょ、よろしくっす。

 ところで、自分、気になったんすけど、ムッシューって、文字盤が手首の内側に来るように、時計、はめてるんすね。なんか、珍しくないっすか?」

「そうか? でもさ、こうしていると時刻を確認し難いんだよね」

 そう言って腕時計を外した哲人は、文字盤が手の甲の下になるように、時計をはめ直した。

「こんな風になっていると、腕を内側に回さなくっちゃ、時刻が確認できないし、そんな風に捻ると、肩の辺りの筋肉に負荷が掛かるんだよね。だからさ、時刻を確認したいのならば、手首の内側に着けておいた方が楽だぜ」

 それから、哲人は、時計を、手首の内側という、元の位置に戻したのであった。

「僕は、本を読んだり、パソコンで文を打つのが基本だから、こおしておく方が、作業をしながらでも、少ない動作で、時刻を確認できるんだよ。

 なっ、こっちの方が理に適っていないかい?」

「ムッシュー、自分、時刻の確認って、もっぱらスマフォなんで、基本、腕時計は使わないんすけど、今度試してみます。でも、なんか、ちょっと変わった着け方じゃないですか?」

「ったく、人と違うのって、個性的で、むしろいいじゃん」

 そう自分の考えを教え子に提示した後で、哲人は、改めて時刻を確認したのであった。


「さてっ!」

 哲人は、両の掌を打ち付けた。

「じゃ、僕に付いてきな。シャン=ゼリゼの端っこには、ここからは、メトロでも移動できるけれど、パリの景色を楽しみながら、歩いてゆこうぜ、三十分くらいの道行だし」

 そう言った哲人は、セーヌ川方面に向かって歩き出したのであった。


 アリス&サンダーの師弟コンビは、セーヌ川左岸沿いのマラケー河岸とヴォルテール河岸を辿ってゆき、やがて、ロワイヤル橋の左岸側の端に至った。


 パリに到着直後に、哲人が巻子本を贖った、あの〈1111〉番の深い緑のブキニストは、この日は蓋がされたままであったのだ。

「残念っ! 今日は、店は開いていないみたいだな……。サンダーに、あのメフィストフェレスを想起させるような老店主と会わせたかったんだけどな……」

「? ムッシュー、いったい誰のことっすか?」


 哲人は雷太に、セーヌ河畔の奇妙なブキニストや、その古書店で購入した巻子本のこと、さらに、そこに書き記されていた古代文字のことなどを語り聞かせたのであった。

「な、なんすか、それっ! 古代好きの自分にとっては、垂涎もんですよっ! そおいうことは、もっと早く話してくださいよ。そ、その巻物、すぐにでも自分に見せてくださいっ!」

 雷太は興奮して、唾を飛ばしながら、哲人に詰め寄ってきた。

「ち、近いって。は、離れろよ、サンダー。少し落ち着けよ。そんな貴重な巻子本を、外で広げられるかよ。手元がくるって、万が一落として、汚損させたらどうすんだよ」

「ちぇっ、アパートに戻ったら、絶対に見せて下さいね。ムッシュー」

「わかった。わかった」


 それから、アリス&サンダーの二人は、チュイルリー公園に足を踏み入れた。

 やがて、その庭園を抜けると、そこには広場が在った。


 この広場は、一七八九年のフランス大革命前までは、ルイ十五世の騎馬像が設置され、それゆえに「ルイ十五世広場」と呼ばれていたのだが、大革命以後には、騎馬像は撤去され、名も「革命広場」に改められたのである。

 そして、フランス革命期には、この広場において、ギロチンによる公開処刑が実施され、ルイ十六世やマリー・アントワネットを初め、多くの命が、ここにおいて断頭台の露と消えたのであった。


 哲人と雷太は、十八世紀末に意識を飛ばし、当時の光景を脳裏に思い浮かべながら、しばし黙祷した。


 やがて、一七九五年——

 パリで「ヴァンデミエール十三日」が勃発した。

 王党派を中心にした、このクーデタを武力鎮圧したのがナポレオン・ボナパルトで、その後、この広場は、今現在の呼称と同じ、「コンコルド広場」と呼ばれるようになったのである。

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