グリモワフィリア

隠井 迅

プロローグ 炎上する図書館の消失した書物

第1話 アレクサンドリアの炎上

 アレクサンドリアは燃えていた。


 常ならば、ファロス島の東端に聳え立っている、高さ約百スタディア(一スタディオンは一.八メートル)の灯台が、巨大な鏡によって光を反射させて、港の周囲を明るく照らし出しているのだが、燃え盛る紅蓮の炎は、灯台から放たれている白色の光を遥かに凌駕していた。

 火元は、アレクサンドリア港内に停留されていたローマ軍の船であった。それが、港を封鎖していたエジプト軍の船団に衝突して、その火が町に燃え移ったのだ。


 プトレマイオス朝エジプトの首府で、地中海世界の中心である、巨大都市アレクサンドリアで発生した大火災は、この都市を隅から隅まで焼き尽くさんとしていた。そして、業火は、城壁によって固く守られていたはずの王宮にまで及び、その王宮内に建てられていた王立研究所である〈ムーセイオン〉を燃やしていた。


 ムーセイオンは、芸術・文学・科学の殿堂で、地中海世界のみならず、世界各地から数多くの優れた学者が、この学術都市で、〈知〉を極めんと集まってきていた。

 そして、この研究所の付属機関である〈アレクサンドリア大図書館〉には、世界中から可能な限り全ての書物が収集され、この王立図書館には、七十万巻以上もの、ありとあらゆる種類の書物が所蔵されていた。


 王宮内の研究所と図書館の建物それ自体は石造であった。そのため、建物それ自体が焼き崩れることはなかった。

 だが、その内部は違った。


 高熱の炎に焼かれ、黒い煙に燻られ、研究所と大図書館の壁も床も、その至る所は煤で黒ずんでしまっていた。

 そして、建物内に所狭しと置かれていた、様々な素材の東西古今の書物は、まさに破壊の憂き目に合わんとしていた。


 本棚に堆く積み上げられた巻子(かんす)本は床に散乱し、その巻物を縛っていた革紐は焼き切れ、床に広がっていたパピルスの紙片は燃え尽き、羊皮紙は炎のせいで捲れ上がっていた。

 メソポタミアの粘土板は、分類整理のために、板の端に見出しが刻まれ、付箋が貼られた籠の中に整然と保存されていた。また、粘土板は、耐久性が高く保存にも優れ、火にも強かった。そう、たしかに火には強かったのだが、人の手によって、籠から乱雑に放り出され、床の上で粉々に砕け散ってしまっていた。


 床に散乱した燃えかけの巻子本や、砕散したバラバラの粘土板を掻き分けていた幾つかの人影は、本棚に近付くと、棚の上に残されていた巻物を次々に放り投げてゆき、九人それぞれは、ついに、目的であった、白い小箱に収められていた巻物を見つけ出した。


 九つの人影は、一度、アレクサンドリア図書館の中央部にまで集まり、お互いに頷き合うと、各々、小箱に入った巻子本を懐に仕舞い込み、焔立つ建物を抜け出し、燃え盛る都市の中、炎に紛れて四方八方に駆け出して行った。


               *


 大火に見舞われたアレクサンドリア図書館を、王宮の一室から見下ろす者がいた。


 カエサルである。


 カエサルは、視線だけで背後に合図を送ると、それらの〈影〉は、アレクサンドリア図書館から出て行った者たちを追うために、姿を消し去っていったのであった。

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