ルート5 新月の誇り 月野椿③

 月野椿はここ最近困っていることが二つある。

 まず一つは、TUKINOグループが主導している世界安堵計画の進捗状況について。

 フォーラーに対する対処と、消えゆく彼らの行方の調査。そして残っている世界の安堵の三つを最優先として民間どころか国々を巻き込んだその研究や実践はどうにも上手くいっていない。


 まず、この世の人々が減少しつつあるということを世間にまで周知させることには成功した。

 だが暴動を段階的に抑えていくため最初は随分オブラートに包んだ物言いを行っていた結果、陰謀論が乱立。

 もっとも分かりやすい証拠もなく数字と廃墟などを見せられるばかりでは実感が湧かないのも仕方がないが。


 とはいえ酷いものに至っては、十全に企業として機能している数少ない大企業、TUKINOが間引きを行っているのだというものすらあった。

 これには椿も、そして隣で偶々その上奏を見聞きした百合が特にぷんぷんとなっている。

 椿ちゃん達こんなに頑張っているのに、と怒る百合には、月野の家が優美を忘れて数多の書類やグループ内外の者達を容れて常に騒がしく世界のためにと叫びあっている現況が見て取れていた。


 そう、暗躍をすっぱりと止めた月野家は完全に正義のためにと邁進をし始めている。そもそもTUKINOの版図がこの世から消えるのに他と比べて遅れているのは間違いない。

 百合からの情報から出来上がった、月野家がこの世の主人格たる水野葵の友人椿の縁で繋がっていたために今のところ安堵されている、という眉唾な論は信じるに値しないかもしれないが、それでも事実月野の縁者は無事な者が多かった。


 なら、他の人より多く残された時間を持って、いっそこれまで他に対して使っていた我々の矛を重ねることでこの世を支えようじゃないか、というのが椿の意見でそれに同調した月野家全体の方針でもある。

 束ねたは月野の寵姫の鶴の一声。世界を救わんとするその声は些か麗しすぎるか。等などの題名で物事の裏までよく知る人間にこの動きの発端となった椿は評されもした。


 世界が重なる発端。確かに、椿は崩壊し逝く世界に強力な反作用としての動きを生じさせたのには違いない。

 とはいえ、PC操作や数字を読み解くのに優れており、順調に成長すれば将来的には追随する者がないだろう才気を秘めている椿だがまだまだ学生で実力はグループのいち社員にすら及ばないもの。

 社交界にドレス姿で現れれば、多くの異性から欲望を持った視線を受けて殆どの同性から羨望を持って見つめられるとはいえ、立派な見目に応じた権力はない。



 つまり、結局のところ。

 その手から離れていった世界安堵計画という大層なものが大人の手によって転がっていくのを、彼女はただ報告書と共に眺めるだけしか出来ないのだった。

 二人ぼっちの部屋にて、小さな声が少し低めに響く。


「暇ね……」

「そうだねー!」


 そもそもいくら頑張ることを決め込んでも、子供ばかりが活躍するのは終末とはいえ少し末期的すぎるもの。

 自室にて、特に進展無しということを夥しい文言で欺瞞した書面を最後にひと破りしてから、椿はぐたりと机にもたれかかる。

 整った顔の隣を通う持ち前のドリルカールは高い反発力で地に伏せたりはしないが、椿本体はこれよりまた報告がなければ無為な時間がしばらくやってくることにぐったりであった。


「よしよしー」


 隣で垂れた頭をよしよししてくれる愛しい恋人の存在ばかりが癒やしである。


「はぁ……これじゃ、勇んで世界を守るなんて意気込んでた私がバカみたいね……」


 朱い唇を舐め、椿はそう呟く。

 少女が思うに世界なんて代物は百合が無理としたように重すぎる。それを一人で支えようなんてあまりに傲慢だったと今更に彼女は思うのだった。

 勿論、現時点で何一つを諦めることもないが、無力感は胸元にずっしりと重い。


 だが、それを誤魔化してくれる存在が隣で何時も微笑んでくれているから、椿は未だに空回りを頑張り続けられた。

 百合は、椿の耳元にて囁くように言う。


「あたしは、嬉しいよ」

「もう。百合ちゃんは、恋人が人にドンキホーテ扱いされてもいいの?」

「うん! ロシナンテに乗っかる椿ちゃんてきっと可愛いし、それにあたしは椿ちゃんが風車に突っ込んでいってもサンチョ・パンサみたいに離れないから!」

「もうっ、私の狂気は否定してくれないのね……」

「あたしを信じてくれた、それも椿ちゃんだから!」

「まったく……」


 この子にだけは敵わない、と椿は思った。

 好き。それはとても扁平なある種歪んだ心。そんなものをこの世に等しく並べ立てて円かにも優しくみんなを想っていた乙女が向けてくる全肯定はあまりに面映ゆい。

 それこそ、大層なお金持ちの彼女ですらこんな貴重なものを自分なんかが手にしてもいいかと感じてしまうくらいに、百合は一途であるから。


 そっと自分よりもずっとボリューミーな身体をほっそりとした少女が抱きしめ、こう言い募る。


「間違ってもいいんだ。苦しんでも、あたしが一緒。あたしだけは椿ちゃんを諦めない」


 それこそ、貴女のためならあたしは死んでもいいという恋。それは地獄より深くて金よりも重い。

 相手に強制などしない、矯正すらあり得ない、そんなただの好き。

 正しさも悪さも、共に飲み込み痛みですら愛の刺激として、恋人の幸せを願う。

 ああ、私はこの子と一緒に居られるだけで幸せなのに、この子は自分なんてどうでもいいと全て私のためにを投げ出し尽くそうとしていた。


 色んなしがらみを振り切り月野の邸宅に住み込んで、メイドさんの格好をしている今。

 朝夕夜のご飯に着替え洗濯掃除の一流の方法まで学んですらしながら百合は一緒する。

 それが恋ゆえのものと理解はしているけれども、そんな十全なサポートを受けて何も結果を出せていない今が彼女には故に苦しい。


「私が、ダメだったとしても?」

「うん! たとえ椿ちゃんの頑張りが届かなくって世界が終わってしまっても、あたしはそれが最良と決めたんだ」


 頭のホワイトブリムを揺らし、少女は言いきる。

 百合は、告白をしたあの日からとてもとても椿を大切にするようになった。

 まるで、恋することに全ての命を燃しているように、勝てないかもしれない戦いをはじめた椿に対して必死だ。


「だって、あたしはもう椿ちゃんに攻略され尽くしちゃってるから!」

「……ホント、可愛い子」

「えへへー」


 百合の言葉は本気。そう、ヒロインの攻略ターンは既に終わっていて、ならば百合がいただいてきた想いに報いる番。

 そう決め込んだプライベートスペース知らずの乙女に椿にべったり。

 思わず、二人はゆっくり見つめ合って暇の間隙にていい雰囲気になってしまう。


「百合ちゃん……」




 ちなみに、最近に椿が困っているもう一つは。


「椿ちゃん、んー」

「はぁ、百合ちゃんは甘えんぼね……ん」

「ちゅ」


 こう、好んでちゅっちゅと小鳥のようについばんでくる恋人との擦れ合いのために、少し唇が荒れ気味になってきたことであった。

 そしてまた、そればかりで満足してしまう百合の子供っぷりにもある。

 むせ返んばかりの色っぽさを視線に載せ、期待を込めた言葉を恋人はときに紡ぐが。


「……キス、だけでいいの?」

「ちゅ……ん? あたしは椿ちゃんとこうできるだけで満足だよー」

「……そう」


 物知らずというよりも性愛知らずのお子様少女は口吸いのみで満足して、ちょっと赤くなった口元をにこりと変えるばかりだった。





「うう……百合さん……またあの子、業務中にお嬢様とうらやまけしからんことばかりして……!」

「うわー……毎回あれでお預けとか、お嬢様かわいそー」

「百合ちゃん、小悪魔かわいい……」



 そんな、見習いで椿お付きのメイドとなっている百合を見る目は一つでは利かない。

 流石に数は多くはないが、それでも高待遇を蹴ってメイドを続ける変わり者上位メイド達の熱視線が椿と百合の二人に多く向けられていた。

 それらが好意的な色ばかりであるのは誰にとっても幸せなことか。


「お預けとかされて百合に攻められたいね……」

「私はお嬢様に攻められたいわ」

「いっそのこと、お嬢様メイドハーレムはなし?」

「あんたらないわー。あたい達あの二人のラブ空間に混ざる度胸なんてないでしょ」

「言えてるー。純愛サイコー!」


 いやむしろ、元々百合っけの強かったA組を中心に女子女子の愛にメイドたちは染まっているようなところすらある。

 フリフリ白黒衣装に身を包んだ見目様々な女子らは、揃ってご主人さまと新しい頑張り屋の同僚の幸せな結末ばかりを望む。


 そして、椿至上主義の化身たるメイド長田所恒美に至っては。


「きゅう……」

「あ、メイド長がまた推しからの栄養過剰摂取で気を失ってるわ!」

「毎度致死量に近い鼻血やばいよ!」

「染みにならない内に片付けないとー」


 お嬢様の恋愛成就と、その純愛の行使っぷりの解釈一致によるあまりの多幸感に血の海に度々沈むのであった。


「はぁ……」

「どうしたの?」


 だが、当然彼女らが扉の向こうで大騒ぎを始める度に、有能な雇い主はため息一つ。

 椿は抱いた百合が首をこてりと傾げる中首を振って。


「何でもないわ……こんな幸せな日々が続けばいいな、って思っただけ」

「あたしもそう思うよー!」


 幸せは、日常の中に。ならば、日々は永遠じゃなければ嫌だ。

 そんな彼女らの駄々は終末の赤色の前にはあまりに儚いものかもしれないのだけれども。


「ふふふ」

「あはは」


 額をくっつけ合い、椿と百合は違う温度を互いに感じながらも、共に望ましい未来のために笑いあうのだった。

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