ルート7 水月の大望 水野葵

 この世の基調がテキストだとしても、読み流されていく文字であったとしても、それでも愛を示すことだけは可能だと、水野葵は考える。

 奇跡は消えて、世界は滅んで、でも。

 全て乗せたプレパラートから僅かに距離を引いてみれば、そこには絶望という名の慕情が見えた。



 水野葵という少女は、心の底から日田百合を愛した人間である。

 彼女の幸せのためなら、死んでも良いし、消えてもいい。

 そして、奇跡ごと死んで消えて無くなった。


 葵の哲学として、人は己を愛せるからこそ幸せだ、というものがある。自分が何よりまず自分を愛して最低限の幸せを確保するべき、という考えだ。

 それに依れば、百合は地獄である。彼女は自分こそどうでも良くて、他人こそ愛すべき己の代わりだ。


 凄い凄いと見上げてばかりの彼女は、可哀想にも痛みに挫けきっている己に気付かない。

 そして、彼女に幸せになって欲しいというのに、彼女はそんなのよりもあなたが幸せになってとニコニコするのだ。

 そんなのをいじらしさと取り、だからこそ愛したい、彼女自身にも愛して欲しいと思えたのだけれども、それは奇跡が起きたって無理なこと。

 でも、願った。何度かけようとも繰り返し、水野葵は日田百合を救うのだと。

 そんな、傲慢を思ったのだ。


 リセットボタンを委ねられているのはプレーヤーしかないというのに作中テキストがイラストが、考えるルーチンがその理を変えてしまうなんて、製作者は許さない。

 そして、主人公は失敗した。


『ああ……だから私は、間違っていたのね』

「うう、待ってアヤメ!」

「待たないよー!」


 奇跡の力によっても意識だけしか過去に戻れなかった葵だったものは、絶望の中小さな背中二つを遠くに見る。

 片割れは愛する者の幼い姿。でもこうして離れてみれば、それはあまりにちっぽけだった。

 細い腕、進まない足、中心に向かって手術痕が走り、顔には笑みばかりが張り付いている。


『なんて、可哀想……』


 こんな全体で彼女は、呪いでしかない病弱という設定に抗い続けたのだという、くらくらするような現実。

 季節は十年近く前の春の頃。おそらく物語に言及されている最も旧い時期にまで戻り、最愛を見つけた葵は心より。


『好き』


 恋をしていた。


 勿論、葵とて分かっている。あの少女は、愛したあの子というにはあまりに色々と足りていないと。

 年若く、友もない、恋も知らない。無垢である。端に点いてた染みすら漂白されて無になったような、そんな乾いた少女。

 そんな代物を前にして、恋を抱くのは少々おかしい。


 とはいえ、空に浮かぶ幽霊よりも薄い心だけでしかなくなった葵は、たとえ間違っていても愛をする。

 比翼に飛ばずにむしろ墜ち続けていても、それでも心だけは好きと語るのだ。


 実体のない胸に痛みはない。けれども、なくなったはずの熱を感じた。そしてたとえそれが嘘でも、もう彼女は決めたのだ。


『ループは無理だった。でも、それだけで終わりはさせない』


 だから、たとえ理が敵になろうと、過去の自分に啓示としてなにか伝えることも出来ない朧だとしても。

 そんなもので、愛が墓場に沈むものか。いや、もし愛すら消えてしまっても、恋が間違っていてもそれでも。


『間違っていても、私は百合を、救うんだ』


 そればかりは、葵の心よりの想いだった。


『そのために、世界よ滅べ』


 そう言って――言葉にならず――微笑んで――像を結ばず――葵は、青い空を見上げる。



 テキストが流れるばかりのゲームにおいて、その実主人公が選択できる場面は少ない。

 だがそれでも彼女は最後に、世界と恋を天秤にかけて、そうして当たり前のように恋を選んだのだった。



「あら、何でしょうか、コレ?」

『君は……』


 あり得ないものは消え去るのが定め。そして、それは当然のように心しかもうない葵にも適用される。

 葵は消え去るまでの居として、金沢真弓の余ったメモリを用いた。が、それ以前は。


「へぇ。この世界はゲームだと?」

『その通りね。そして、貴女はその登場人物』

「ほほほ。面白い幽霊さんですわね。この月野光がその程度と仰るなんて」

『はぁ。でも、それが真実なの』


 そこらをふよふよしていた葵を素手で掴まえてしまった幼い月野光の隣人を行っていた。

 それは少女のイマジナリーフレンド。誰にも愛されない寂しい少女の心を慰める存在として葵は一時固定される羽目になった。

 こんなの勿論、恋愛ばかりを強請る物語の設定にはない。けれども、或いは余剰空白としてあり得るレベル。

 だから。


『そして、でも貴女は希望の光になり得るかもしれない』

「あら? それは良いですわね」


 水野葵は、小さな子供の依存をすら利用するのだった。それこそ友のふりをして、道を示すことを当然とする。

 ライナスの毛布は、何時か手放されるのがならい。もしそうであったとしても、決して忘れられないものを彼女の心に焼き付けるために、葵は。


『貴女は、世界を滅ぼしてでもしたい恋はある?』

「……どういうことです?」

『私は、もうそれをしたんだ』

「へぇ」


 恋愛ゲームの主人公として、当たり前のように月野光の攻略をしたのだった。


「友達は、同じものでなくていい?」

『そう。不揃いこそが美しい場合もあるよ』

「なるほど。そうして、わたくしはどうやってどうでも良いものの中からホンモノを見つければ良いのです?」

『はぁ。世界は全てどうでもよくない、そんなことから教えないといけないとはね』

「?」


 少女が孤独。ならば、友達の作り方を教えれば良い。


『どうかな、姉に負かされる気持ちは』

「悔しい、ですわ……」

『君は馬鹿にしていたけれど、実際この時期のあの子は馬鹿っぽいけど、月野椿の器は月野の家の当主たるものだからね。君では何一つ敵わない』

「でも、あの人、わたくしの好きな皆がどうでもいいって……!」

『……その怒りは正しいよ。それでも勝てない間違った相手がふんぞり返っていたら?』

「皆で一緒にぶっ飛ばしてやりますわ!」

『ふふ……その意気だよ』


 少女が孤高。ならば、身の程を教えてしまえば良い。


 そんなの、過去のように要らぬ情報を参照しなくても、葵という年上にとっては簡単な教え。でも、それすら知らない少女を篭絡するのは、あまりに簡単だった。

 でも、一緒にいれば情も湧く。振り返る必要すらない価値だろうと、優しくしたくもなる。


「見て下さい、葵! なんと、三咲さんから交友の文をいただけましたわ! おほほ、これはもう勝った同然ですわね!」

『友情に勝ちも負けもないと思うけれど?』

「いえ、わたくしは知っていますわ。どんなものだって、手に入れなければないと一緒だっていうこと。おほほ。わたくし、貴女が愛しの人から心をいただけなかったのから学びましたのよ!」

『言うね』

「言いますわ! だってわたくし、貴女と違い、今を生きていますから!」


 だからこそ、おほほと笑う少女の心は、直ぐに葵の元へと依った。そして、光はこうして独りでも笑える子供となった。

 だが、本当の一人になるのはあまりに恐ろしい。だから、彼女はぎゅっと葵の端を握ってなかなか放さなかった。

 偉ぶっていても弱い、子供である。実際賢くたって経験の無さが恐怖を呼び起こす。


 葵の空の光。太陽は、空にあるのが普通である。だから、夜を恐れる少女はずっとずっと一緒に居たいと思い。震える手でそれでも彼女を大切にしたけれども。


『じゃあね』

「行ってしまいますの?」

『それは当然だよ。君は私の愛する人じゃないから』

「そう、ですか……」


 しかし、夜は来る。そして終わりだって訪れるものだ。

 ある時当たり前のように、一人でも大丈夫になってしまった光は葵という助けに縋れなくなる。

 震える身体。あの温かみが、心あるものが遠く。そして振り返らずに消えていってしまうのが、辛い。

 恋は乞いではないという。けれども。


「私は、貴女に恋していたかもしれませんね」

『ふふ、そんなのはまだ早いよ……光、君はずっと素敵な素敵な恋を見つけるんだよ』

「ええ。わたくしは終わりの空に到るまでに。そして貴女は……」

『ああ。私も終わりの空の向こうで、彼女を捕まえるんだ』


 それでも、ふつと空に消えて不通となった彼女へと向けた涙は、どうしたって恋の温もりに似通っていて、少女にとって辛いものだった。

 指を何時ものように掴む。でも、そこに当然感触はなく、悲しみばかりが胸に触れてやがて。


「もし恋していなかったとしても、わたくしは確かに貴女を愛していました」


 一時の隣人に向けた愛を撫でるのだった。

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