第35話

第三十五話 決着 その2


 静まり返る五番街。前面に分厚い鉄板が装着された荷車は、一列に跳ね橋から街の外へと押されていく。

「装甲怪物、第一波、東の関所付近を通過! 三、五、八番街の市民の避難誘導完了! 対装怪弾メルトリオン、百発配備完了! 防護壁補助車、所定の位置に移動中、怪物到着までには間に合います!」

「報告、感謝する」

「ハッ」

 ジェネスはきびきびと持ち場に戻る兵士の背中を、厳しい表情のまま静かに見送った。それから、東の樹海に目をやった。緑色に染まっているはずのその場所は、無数の赤い光点と黒い鉄板に侵食されている。

 

 軍勢を前に、彼の決意は揺るがない。自分が最後の砦であるという自覚。街を守る兵を束ねる者としての責任。

 やらなければいけない。果たさなければいけない。

 守るんだ。


「総員ッ! 我々、ジェネス兵団は、怪物に対して反撃を開始するッ! 通常砲弾、撃て!」

 ジェネスの怒声が響き渡る。静かだった街に砲撃の音が木霊する。


 強大な力を持った無数の怪物に相対する人間。数も力も人間側が一切優っている部分はない。

 それでもジェネスが掲げた信念と意志を胸に、兵士達は最大にして最後の抵抗に出る。意志こそが人間が唯一怪物に優っているからだ。

 東からは強い風が吹いている。まるで怪物達の背を押さんばかりだ。



 ドロドロとした化け物が振るった右腕が、上に乗っている半人半獣の少女を吹き飛ばし、空間の後ろまで投げ飛ばす。

「大丈夫か!」

「う、うん!」見上げると、少女が引っ掻いていた化け物の右腕が、修復されている。「……も、もう少しだったのに! 取れなかった!」

「無理をするなよ!」 

「大丈——」

 起き上がっている少女に向けて、化け物は右腕を向けている。手先は化け物が取り込んだ巨大な機械を形作っていた鉄片が、浮き上がってきている。


「アーリ!」


 ループが叫んだ瞬間、怪物は無数の鉄片をまるで銃弾かのように撃ち出した。

 少女は地面を蹴り、突風のように空気を切り裂き飛ぶ鉄片を躱していく。アーリの背後で、冷たい石の地面に鋭い鉄片が突き刺さる。幾つかは少女の右腕を傷つけるが、黒い鎧のような甲殻がそれらを弾く。


「今の内に!」



 化け物がアーリに気を取られている間に、ループは怪物の腕に登り、毒に塗れる牙を突き立てる。毒はジュージューと化け物の肉が溶かしていき、右腕が崩れていく。

 化け物が異変に気が付いた時には、もう遅い。白狼はちらりと見えた紫の煌めきを、周りの肉片ごと噛みちぎった。

 低い唸り声と共に、巨大な化け物の肩から先は朽ちていき、ずるりと落ちていく。


「やった!」

 ループはアーリの側に戻ってくるなり、クリスタルの埋まった肉片を吐き捨てた。

「これであいつも少しは大人しくなるはずだ」


 化け物は無くなった両腕を如何にか修復しようとしているが、やはり不可能なようだ。しかし、体を捩らせて周囲を、そしてこの空間をも破壊し尽そうとしている。機械を飲み込み、地面に落ちた一部だったものですら吸い上げ、ごぼごぼと体を巨大化させている。

 この空間と一体になろうとしているのだろうか。地面が、空間全体がぐらぐらと揺れる。

 

「どうやら、自分や私達諸共、この空間を壊すことにしたらしいな……まずいぞ、アーリ!」

「バレント! ミリナさん! 早く逃げないと!」


 アーリの言葉が空間に響く。


「ロッド! どうすればいい?」

<あ……かいぶ……操って……る発信装置……はずだ! ……れを止めろ……壊しては……けないんだ!>

「一体それはどの機械だ⁈ おい! ロッド!」

<赤……スイッ……押し……まる……だ!>

「ミリナ、赤いボタンがある! 探せ!」

「はい!」 

 二人は鳴動する空間の中、狼狽えながらも怪物を操っているであろう装置、そしてその赤いボタンを探す。

「ば、バレントさん! これですかね⁈」

 ミリナは十個の赤いボタンが並んだ装置を指差す。無数の赤い点が動いている様子を映し出すモニターとその下にあるボタン達。訳の解らない操作装置であることは、機械に疎いバレントやミリナでもなんとなく理解できた。


「赤いボタン、十個もあるぞ? どれだ、ロッド⁈」

<……だ……じ……の>

 装置越しのロッドの声が掠れていく。そして、何も音を発さなくなった。

「クソッ! こんな時に!」

 操作の解らない機械を前に、バレントの額に汗が滲む。

「……師匠、取り敢えず押して見ましょう!」

「お、おい!」

 そう言うと、ミリナは手当たり次第に赤いボタンを押しまくった。



 空間を飲み込もうとする、ナーディオだった異形の生命体は、天井まで到達した。

「……どうする、アーリ」

「バレント達を助けなきゃ! 逃げられないよ、そのために来たんだもん!」 

 アーリは駆け出した。

 蠢く怪物の体からは少女を捉えようとする触手が伸びだす。


「近づかないで!」

 少女は触手に二つの爪を振るう。焼け焦げた触手は地面へぼとりと落ち、ドロドロの液体へと変わる。しかし、切断面からはさらに触手が分裂し、少女を絡め取ろうとする。

 少女の振るった爪に切られた、触手が弧を描き、少女の銀色の毛皮に包まれた右腕に巻きつく。

「……やっぱり、この力が欲しいのね⁈」

「アーリ!」ループはそう言うと触手を噛み砕く。「大丈夫か?」

「うん、平気。ありがとう!」

「ああ、走るぞ」


 少女はコクリと頷くと、白狼と一緒に走る。

 巨大な化け物は天井を支えている柱を破壊しようと触手を伸ばしている。メキメキと聞きたくもない音が空間に響く。


「ど、どうすればいいの……」

 少女が呟いた時、胸の内側にあった手製のネックレスが呻く。

 若干の温もりを放っていたはずのそれは、出せと言わんばかりに熱を放っている。同時にそれは少女に何か伝えようとしているようだ。


「……も、もしかして」アーリは麻紐を引きちぎり、赤く輝きを放つクリスタルを見た。「ごめん……カルネ! 使わせてもらうね!」


 伸びてくる触手の根元に向けて、アーリはそれを投げつけた。

 化け物は音を立てて転がる水晶に触手を伸ばし、それを体の内側へと飲み込んでいく。まるで体の全体が食道であるかのように、ドロドロになった化け物は赤い水晶を咀嚼していく。

 かと思うと怪物は動きを緩め、痛みに悶えるようなうめき声を上げる。怪物の体の中から赤い輝きがちらつき始める。

 触手は動きを止め、自らが飲み込んだクリスタルを外に出そうと蠢いている。


「な、なにをしたんだ?」

「怪物はクリスタルの力を吸い取って動いてると思う。だから、この水晶を取り出すと腕がなくなっちゃったでしょ?」

「そう言うことか……だからフレイムクリスタルの力を吸い込んで、痛んでいると……いう事だな」

「うん」

 動きの緩まった化け物の横を駆け抜けた。



「こ、これでどうでしょうか?」

「ロッド、おい、聞こえてるか?」

<…………>

 音を発する機械は黙りこくったままだ。


「ば、バレント! ミリナさん! 早く逃げないとこの場所ごと、埋められちゃう!」

 部屋に走りこんできたアーリは、バレントに呼びかけるが、バレントは静かにモニターを見つめている。

「……怪物は止めれたのか?」


「……分かりません」

「……ああ、すまないな」

 バレントとミリナは静かに宙を見つめている。


「二人とも、早く!」

「時間がない、逃げるぞ!」

 アーリは二人の手を無理矢理引いて、暴走したナーディオだったものが破壊しようとしている空間を駆け抜けた。


 四人は神妙な面持ちのまま、真っ暗な階段を駆け上る。

 街を救えたか分からない不安に、バレントとミリナは青い顔をしている。どうやら放心状態のようだ、今にもあの場所に戻って行ってしまうかもしれない。


 背後ではあの空間の天井が崩れ落ち始める音が聞こえてくる。

 階段を登り切り、王の間を走り抜けた。城の中までその鳴動は響き渡り、部屋全体がキシキシと悲鳴を上げている。部屋を、そして建物を支えている柱はヒビが入り、ボロボロと剥がれ落ち始めている。


「ご、ごめん! 先に出てて! 大切な荷物、取ってくる!」アーリは駆け出して行ってしまった。「私は大丈夫だから!」

「アーリちゃん!」「アーリ!」

「おい待て!」ループは追いかけて行こうとするも、天井の一部が崩れ落ちてきたのを見て立ち止まる。「……行くぞバレント、ミリナ」


 外に出ると、天井が崩落し出入り口を塞いた。かと思うと建物全体が斜めに傾き出し、沈み込んでいく。城の地下にあったあの空間が崩れ、その上に建っている城ごと地面に引き摺り込んでいるようだ。


「アーリ!」

 ループの叫び声が響く。

 二階の窓ガラスが弾け、鞄を抱えた少女が飛び出してきた。彼女は三人の前に着地した。それと同時に城が完全に地面に落ちていった。


「な、なにやってるんだ……」バレントは幾分か落ち着いたようで、戻ってきたアーリを抱きしめた。「……街まで失って、お前まで居なくなったら——」

「ご、ごめんなさい……でも……大切な思い出が……なくなっちゃったら嫌だから……」

「……ったく、自分を顧みないのは本当に誰かさんみたいだな」


 そう言うとアーリは、鞄の中に入っていた日記を取り出した。母の日記だった。

 少女に取って忘れたくない記憶、確かに自分の母親が生きていたという証。自分の事を思ってくれていたという証拠。


「そうだ、怪物は! 怪物は止まったんですか?」

「……分からない、確かめに行こう」


 彼らは馬に跨って、砂の街を進む。

 怪物達が踏み荒らし、破壊した古の街並。砂に残る無数の足跡は、風に流されて消えかかっている。どうやらあの空間で作られていた怪物達は、全て山の下に通る洞窟を通って樹海へ抜けたのだろうか。


 踏み固められた地面を三匹のオクトホースと、一匹の白狼が駆け抜ける。登り始めた陽の光が彼らの背後を暖かく照らしていた。


 洞窟の中をランタンで照らしながら駆け抜ける。この暗闇の先に広がっている光景を想像し、全員はただ沈黙することしかできなかった。

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